掌に、涙の意味を ④
黒白の剣から噴き出した紅蓮の炎が蒼の氷を溶かし、右腕に纏う戦闘甲冑が黒炎を吐く。
意思を阻む氷塊に罅が奔る。剣と黒鉄から溢れた二つの炎が絡み合い、巨大な炎龍を象ると蒼の騎士が放出する冷気を業火を以て打ち消し、純銀に染まる魔力を貪り喰らう。
「アイン、さん?」
一言、イーストリアがそう呟いた瞬間、少女に槍を振り上げていた騎士が膨大な魔力を纏う剣の一撃で弾き飛ばされた。
「……無事か? イーストリア」
「アインさん!!」
黒紅の炎を揺らめかせ、氷の破片を舞い散らす黒鉄の剣士は赤熱の罅が奔る剣を払い、少女と向かい合う。
「あ、あの、その姿は……?」
「……力を貸してくれる奴が居た。そのおかげで、剣を振るうことが出来る。イーストリア、頼みごとがある。いいか?」
「は、はい!」
「奴は……エルストレスは俺が殺す。お前は雪原を侵す毒を浄化しろ。それが出来るのは、お前だけだ」
「毒……ですか?」
全てを凍らせる冷気を噴出し、憎悪と殺意に目を眩ませた騎士が立ち上がる。
「俺も雪原に撒かれた毒がどんな効果を持っているのか、解毒には何が必要なのか何も知らん。だが、イーストリア……お前なら分かる筈だ。毒を癒す力も、雪原を救う力も、お前の胸に宿っている」
「私の……胸に」
「あぁそうだ。お前にしか出来ないから……俺には誰かを癒すことなど出来ないから頼みたい。頼まれてくれるか?」
アインの真紅の瞳が輝き、罅が奔った剣から火の粉が散る。
彼を覆っていた氷が砕け、蒼の騎士と対峙する剣士の姿……果ては剣までもが変わっていた。
黒白は赤熱の罅を帯び、剣の柄から伸びて繋がった亀裂はアインの右腕を通し、胸を中心にして鎧全体をくまなく覆う。心臓の鼓動に合わせるように鈍色の光を発する亀裂と罅は、見ていて痛々しくも勇ましい。
身を焼き、心を燃やし、意思と殺意を業火に変える。彼が抱く激情に呼応するようかのように、黒紅の炎龍は紅樺色の瞳を剣士へ向け、襲い来る冷気を赫々とした炎で焼き払う。
今この瞬間、彼の頼みに応えられるのは己だけだ。だが……本当に己はアインが望む癒しを雪原に齎すことが出来るのだろうか? もし失敗してしまったら……何も変えられなかったとしたら、己に向けられた信頼に背くことになる。
怖い。歩き出さねばならないのに、地面に足が縫い付けられてたかのように動かない。
失敗を恐れている。信頼を損なうことに恐怖し、己の力を完全に信じることが出来ないでいる。己は未だ歩みだせないでいるのかと、心が嘯いていた。
「…イーストリア、いや、イース」
「……」
「誰だって最初の一歩は怖いものだ。誰かに信じられ、頼られることに恐怖を感じてしまうことも理解出来る。だがな……もしお前が失敗したとしても、俺は責めない。それ以上に……誇りに思うだろう」
「どうして、ですか」
「ただ一重に……美しいと思ったから。恐怖を振り切り、己に出来る何かを成そうとする姿は綺麗なんだ。激情に身を焦がし、殺意を剣に纏わせる姿よりも、誰かを癒す姿の方が何倍もマシだ。イース……俺が戦っている間に、お前が何かを成し遂げようとするのなら、その意思を誇りに思おう」
亀裂から黒炎を吹き出し、剣を振るったアインは紅蓮を薙ぐ。
「俺が信じるお前を誇れ。だから今は成すべき事を成すんだ。いいな?」
「……アインさん」
「何だ?」
「敗けないで、下さいね?」
「任せろ。俺は絶対に敗けない」
敗けない……。その言葉を聞いたイーストリアは小さく頷き、昇降機へ駆ける。
「……来いよエルストレス。流転し、何もかもを無くした貴様を……殺してやる」
一歩、炎を纏って歩み出したアインは冷気を溶かし、吹雪に含まれる魔力を焼く。
真紅の瞳が蒼の騎士を映し、氷の大槍を視認する。人が持ち得る命を全て魔力に変換した槍はこの世界に存在し得ぬ神の矛。常人であれば槍が形成される段階を見ただけで凍結し、生きたまま氷像へ変わるだろう。
だが、それが何だとアインの殺意が牙を剥き、吼え狂う獣性が死を望む。力を力で捻じ伏せ、踏み躙れと激情が狂気を呼び起こす。
剣を構え、駆け出したアインの凶刃が突き出された矛と激突し、空気を歪ませる魔力の奔流を形成する。死が拮抗し、無情の殺意と激情を孕んだ殺意が狂い咲く。
倒れない。歯を食い縛り、神速の一撃を打ち落としたアインの瞳が次の一手を見据え。
手折れない。身を蝕む冷気を黒炎が喰らい、吹き荒ぶ吹雪を紅蓮が溶かす。
斃れない―――!! 鎧を覆う亀裂が砕け、罅塗れの剣が剣士の意思に呼応するかのように新たな刃を形成する。
敗けてもいい、でも、必ず生きて帰って来てとサレナが言った。
勝って、勝って、勝ち続けて、選択と決断を下し続けて欲しいとイエレザが言った。
二人の少女の存在がアインという剣士に戦う意思を焚べているのなら、己は自分に何を掛ける。何の為に戦うか、戦った先に何を求めているのか、その答えは得ている筈だ。
「貴様、己の持てる全てを投げ捨て、捧げ、差し出し、力を得ているようだな? 馬鹿馬鹿しい……そんなもので力を得た者に俺が敗けるかよ」
槍を叩き壊し、騎士の放出する魔力を全て喰らった剣士はイーストリアが昇降機の扉を閉めたことを確認し、胸に渦巻く魔力を右腕に集中させ。
「もう貴様にイースの邪魔はさせん。彼女は己が往く道を見定めた意思ある者。尤も、一人孤独に果てるのがエルストレス……貴様にお似合いだ」
剣を己の心臓に突き立てた。
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