掌に、涙の意味を ③

 「……」


 何もかも、凍ってしまう。


 「……」


 胸に抱いた意思も、誰かの為に剣を振るうと誓った心も、厚い氷に包まれ、動かない。


 辺り一面が黒に塗られた世界に、氷像となったアインは立っていた。


 指一本も動かせず、瞬きも出来ぬ地獄。己に在るのは連綿と続く思考と冷え切ってしまった殺意のみ。彼の中に滾っていた激情は物言わぬ氷塊と成り、凍り付いた肉体同様微動だにしない。


 まだ敗けていない。まだ戦える。まだ……生きている。今直ぐにでも身体を覆う氷を砕き、剣を振るわねばイーストリアを守れない。蒼の騎士……流転したエルストレスの槍が彼女の胸を貫くのは時間の問題だろう。


 動け、動いて、奴に牙を突き立てろ。凶刃を弾き、黒の刃で槍を打ち落とせ。未だ己の四肢がくっ付いているのなら、戦う意思を手折るんじゃない。


 「アイン」


 耳元で囁かれた少女の声に、耳が反射的に傾いた。


 「貴男は、今の貴男じゃ誰も守れない。剣を振る事で誰も救えず、守れず、また失う」


 そっと……少女の手が剣士の顔を覆う黒鉄の仮面を撫で、もの悲しい声で嘯く。


 「貴男はこんなところで終わらない。終わらせられない。それは私が最も理解しているし、貴男自身も理解している己の心。だから……剣を、黒の剣を解放するの。その剣に囚われている王の魂をその黒鉄に宿し、思う儘に力を振るうのよ」


 黒の剣……アインの手に握られている、唯一凍り付いていない黒と白の剣が少女の声に反応する。


 「さぁ早く……。貴男が生き残る為に、世界の全てをその手に握る為に、王を呼び起こすの。アイン……躊躇う必要は無いわ。貴男には絶望を斬り裂く力がある。希望を示し、迫り来る波浪を薙ぎ倒すのよ。アイン、アイン……」


 剣に宿る王の魂……。それは、黒鉄の戦闘甲冑に身を包む剣士の事だろう。


 確かに奴の力を用い、命を焼き払いながら剣を振ればエルストレスを殺すことが出来る。抗うことが出来ない絶望を斬り伏せ、蒼の騎士を瞬く間に殺し切れる。だが、アインは少女の声に強烈な違和感と吐き気を催す拒否感を覚え、あと一歩のところで踏み止まる。


 もし……もし、王を呼び起こせば、千年前の剣士に戻ってしまったら、アインは今の自分に戻れなくなってしまう。確信は無いが、彼の内に存在する魂が叫ぶのだ。耳を貸すなと、背後に居る少女はサレナではないと。


 「アイン? どうして躊躇うの? 早くしなければ皆死んでしまうわ。貴男が失いたくないと思った者が、忘れられたくない願った存在が消えてしまうのよ? さぁ早くして。アイン、貴男は」


 「黙れ小娘が!!」


 紅蓮の炎が視界を覆い、闇を照らす。


 「俺の至高の戦士を誑かすな!! 俺の最高の英雄を穢すな!! 貴様はアインという剣士を理解しているような口ぶりだが、この剣士を黒き鋼の悪鬼と見るな!! アイン!! 貴様も貴様だ!! サレナ以外の女に気を向けるな!!」


 炎の中より歩み出るは、紅樺色の瞳を持つ筋骨隆々の大男。強大無比な闘志を赤熱の大剣に纏わせた男はアインの背後へ刃を向け、一太刀で少女の触覚を叩き斬る。


 「……何故、貴様が、此処に?」


 「俺が認めた戦士がこんなつまらん茶番で変わるのが厭だった……理由はそれだけで十分だろう? なぁ……アイン」


 火の粉を舞い散らせ、豪快に笑う魔族の英雄。己に新たな道を示した真の強者……上級魔族ドゥルイダーは、アインを覆う氷に触れる。


 「何故こうして貴様と再び会えたのか、俺にも分からん。確かに俺はニュクスによって流転し、貴様の剣で果てた」


 「……」


 「貴様に討たれたことは俺の誇りだ。あの血で血を洗う戦いの中、アインという個は確実に成長し、強くなっていた。常人ならば倒れ、挫け、諦めていたところを貴様は己の足と意思で乗り越えたのだ。そして、今も尚歩んでいる。アイン……貴様はもう少し己を誇れ。他人を信じる奴が、自分を誇れなくてどうする?」

 

 貴様を殺せたのは、己一人の力だけではない。みんなが居たから、貴様を殺し、救う事が出来た。声を震わせ、そう呟いたアインは氷の中で歯を食い縛る。


 「みんな……か。あぁ今の貴様ならそう言うだろう。他者を認め、信じる術を覚えた貴様はそう言葉を吐く。だがなアイン……貴様が言うみんなという存在は、貴様だから信じてくれたのだろう。故にアイン、少しだけでいい。己を誇れる自分に成れ。誰かを誇るんじゃない……貴様自身を好きになれ」


 紅い……炎の華が氷を覆い尽くし、業火に焚べられる。


 「進むか、死ぬか、停滞するか。人の歩む道はそれしかないのだろう。アイン、貴様に俺から言えることは、ただ一つ……。戦え。己の意思を信じ、心に従い、貴様の為に戦え。大丈夫だ、アイン。お前はもう……一人じゃない」


 氷に罅が奔り、アインの瞳が真紅の輝きを発した。


 きっと、ずっと、これからも己は戦い続けるのだろう。敵と戦い、自分とも戦い、ありとあらゆる可能性と戦いながら生きてゆく……。


 故に、剣士は身体を覆い尽くす絶望を砕き、命を奪った意思ある者の力を纏う。上級魔族ドゥルイダーの赤熱を黒白の剣に宿し、紅蓮と黒炎が入り混じった炎を黒鉄から噴出したアインはドゥルイダーの横に立つ。


 「……ドゥルイダー、貴様は俺を何故信じる」


 「俺を殺し、希望を見せた英雄だからだ」


 「そうか……。なら、見ていろ。貴様が信ずる英雄が絶望を斬り刻み、進む様を。ドゥルイダー……助かった。礼を言う」


 「礼なら不要だ。勝てよ、アイン」


 あぁ……。短い言葉を返し、アインはその黒鉄に真紅を滾らせ、刀身から漏れ出した靄を纏う。


 そう……戦闘甲冑ノスラトゥの右腕を呼び出した。

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