白雪 ①

 白銀の少女、白の君……。旅人の衣服を纏い、黄金の瞳を煌めかせた少女、サレナは実体の無い掌でイーストリアの頬を撫で、慈愛に満ちた笑顔を向ける。


 「あ、貴女は、誰ですか? その、どうやって此処に……」


 「私の名はサレナ。アイン……地下で剣を振るう人と共に在る者。イーストリアさん、貴女のことは知っています。彼の隣でずっと見ていましたから」


 「で、でも、アインさんは一人だった筈です! 彼の隣に立っている人なんて誰も居なかったのに……」


 「……そうですね、私の姿を見る事が出来る人は極僅かなのでしょう。今の私は魂だけの存在で、肉体は別の場所にありますから致し方ありません。ですが、今この瞬間……アインの剣が担い手の意思によって刃を変え、彼本来の力を取り戻しかけている状態であれば話は別。

 イーストリアさん……貴女は何の為に己が力を使うのですか? アインの為? 自分の為? それとも貴女が言うみんなの為? 私はその答えが知りたいのです」


 サレナの問いにイーストリアが口を閉ざし、一滴、また一滴と零れ落ちる涙の結晶を握る。


 自分にしか出来ないとアインが言った。彼が剣を振るい、死闘を繰り広げるのは全て己の為なのだろう。血を流し、身を砕かれ、それでも尚立ち上がり、真紅の瞳に殺意と激情を滾らせる剣士はイーストリアを信じているから彼女を地上へ送り出し、一人だけで戦っている。


 彼は自分が信じるイーストリアを信じろと言った。彼女が自分自身を信じることが出来なくとも、アインが信じるイーストリアを信じろと話した。


 アインが信じてくれるなら、イーストリアだって自分を信じることが出来る。だが、その想いとは別に少女は剣士から向けられる信頼を損ないたくはないと思ってしまう。期待に応えられず、落胆の目で見つめられるのが恐ろしい。


 「……勇気が、出ないんです」


 「……」


 「アインさんの期待に応えたい……。自分が成すべきことを成さなきゃいけない。けど、どうしても、私は自分自身を信じる事が出来ない……! 今だってこうして地面に膝を着き、迷っている……!! そんな私が何かを成すことが出来ますか!? 少しだけ自信を取り戻しても……そんなものは雪のように溶けて、消えてしまう……」


 誰かに頼られたことも無ければ、期待されたことも無い。少女の脆弱な心は悲鳴をあげて泣き叫び、己に対する疑念に揺らいでいた。


 「……イーストリアさん、私は、いえ、アインもきっと失敗しても当然だと言い放つでしょう」


 「……」


 「貴男の目に映るアインはどんな人に見えますか? 少しだけ聞かせて下さい。お願いします」


 「……強い人だと思いますよ。私なんかより、ずっと、ずぅっと強い人です。どんな困難にもめげず、抗えない絶望に立ち向かう……まるでそう、御伽噺の英雄のような人だと思います……。普通在り得ませんもん……私みたいな一日一緒に過ごした赤の他人の為に、命を賭けて戦うなんてことは……」


 在り得ない。普通じゃない。狂気の沙汰だ。


 アインが幾ら強かろうと、絶望を踏み躙り、握り潰す殺意を抱いていようと、彼が人である以上必ず死の時はやって来る。それが戦いの中なのか、老衰による自然死なのか、イーストリアには知り得ない未来。


 「どうして私の為に戦ってくれるのか……アインさんは守るとか救うなんて言っていますけど、それは自己犠牲……究極の身勝手なんです! 私には……あんなに強い人が身を削って戦ってくれる価値なんて無い……。あの人は!!」


 「……アインは貴女がどれだけ自分を乏しめようと、自分の心に従って剣を振るうでしょう」


 「……」


 「イーストリアさんはアインを強いと言いましたね? けど、彼はずっと迷い続けて、悩んで、倒れながらも進んで来た。アインはこれから先も、迷いと決断を繰り返して生きていくのでしょう」


 「……サレナさんは、アインさんの何を知っているんですか?」


 「私もアインの全てを知ることは出来ません。だけど……私は彼を支えたい。肉体と魂が離れ、一時の逢瀬でしか相見えなかったとしても、私がアインを愛している事実は変わりません。心が繋がっていると……信じていたいから」


 己の胸に手を当て、一粒の涙を流したサレナは眩いばかりの笑顔を浮かべ、イーストリアを抱き締める。


 「イーストリアさん……少しだけ、ちょっとだけでもいい。貴女自身を好きになってあげて下さい。アインが剣を振るう意味を、理由を、自分の胸に問うて下さい。貴女の意思と誓約、心は誰のモノでもない……貴女だけのものなのです。そうしたら答えは自ずと見えてくる筈です」


 「……サレナさんも」


 「……」


 「私を信じてくれるんですか? アインさんと同じように、どうして?」


 「それは……貴女の背と足を支える多くの意思があるからです」


 「多くの……意思?」


 すっと、サレナの指がイーストリアの背後を……白い靄の人型を指差し。


 「イーストリアさんは全てを失ったワケではありません。残された希望の光を見届けようと、未来を託す為に力を貸そうとしています。大丈夫……貴女は一人じゃない。だからもう……悲しみの涙を流さないで下さい。貴女の涙は……明日の為にあるものなのですから」


 清らかな雫を瞳から溢れさせるイーストリアの背を、優しく撫でた。


 

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