掌に、涙の意味を ①

 涙の血族……精霊種の生き残り……!! イーストリアを視界に映したエルストレスの瞳に闇が蠢き、鮮烈な欲望が色濃く宿る。


 その娘は我のモノだ!! 我の為に涙を流し、富と権力を齎す素材が……意思を圧し折り、心を砕いた筈の娘が何故貴様の後ろに立つ!! そして何故……我の言葉と命令に一切耳を傾けようとしなかった二体の魔導人形が隣に立つ!? 


 忌々しい、憎々しい、馬鹿馬鹿しい……。命を魔力に変換し、猛烈な吹雪を巻き起こしたエルストレスは己の肉体である蜘蛛の腹を揺らし、銀氷の意図を射出する。


 「バトラー」


 「はい」


 「視界を覆う吹雪が邪魔だ。消し飛ばせ」


 「アイン殿の御意向のままに……」


 「メイ一号」


 「……何だ、小僧」


 「糸を断ち斬り、イーストリアを死ぬ気で守れ。奴は俺が殺す」


 「……言われなくとも勝手にやる。だから貴様は」


 成すべき事を成せ。その言葉を聞いたアインは剣を突き出し、魔石が放つ炎の中に身を投げ込む。


 紅蓮の炎に巻かれ、黒鉄が煤を纏い、赤熱の色を帯びる。息を吸えば熱された空気が気道を焼き、眼球の粘膜を瞬時に蒸発させた。


 自殺願望を具現化させたような戦闘方法。魔力の業火に己から突っ込み、肌を焼く戦い方など常人から見れば死を望んでいるように思えるだろう。だが、アインという剣士は死ぬつもりなど毛頭無いし、吹雪と銀氷を撒き散らす大蜘蛛を……エルストレスを殺すことだけを考えていた。


 鎧に降り注ぐ霜があるのなら、魔力を帯びた炎で溶かし尽くしてしまえばいい。肉を凍らせ、血を氷に変えてしまう冷気があるのなら、鎧に熱を纏わせ時間を稼ぐ。剣を奴の顔面に突き立て、命を奪うのだ。


 一直線に、最短距離を駆けたアインの足に糸が張り付き、瞬時にして凍り付かせると剣士は己の脚を叩き斬り、地を転がりながら這い進む。血を流し、真紅の瞳に激情と殺意を滾らせ、エルストレスへ牙を剥く。


 「エルストレス……イーストリアは貴様の道具などではない」


 狂気に蝕まれたアインの獣性が獰猛な闘志を沸き立たせ、剣を握らせる。


 「涙を流す為に、あの子は生きて来たワケじゃない。無論、貴様の為に、俺の為に涙を流すなど以ての他だ」


 来るな……。


 「貴様があの子を害そうとするならば……貴様がイーストリアを再び塔に縛り付けようとするならば、俺が貴様を殺す!! 貴様のような小物など……生かしておく価値も無い!!」


 来るな!! 銀の糸が剣士に飛ばされた刹那、上方から振り下ろしたハルバードの刃が銀を断ち、蒼に染まる。


 「小僧、脚を再生出来るなら今の内に戻せ。イースが張る力場はそう長く保たん」


 「恩に着るメイ一号」


 「……礼など不要だ。行け、小僧」


 数々の武器を虚空から取り出し、地面に突き立てたメイ一号は迫り来る糸を断ち、ありとあらゆる得物を使い捨てにしながら迎撃する。


 治癒の力場が邪魔くさい。吹雪と冷気を溶かす炎が邪魔だ。糸を断つ立つ刃が死を阻む……。四人諸共殺すべきか? いや、それでは精霊種をこの手に収めることは出来ない。


 エルストレスの一瞬の迷いが剣士の接近を許し、黒白の剣による一撃をその身に受ける。鮮血が顔面の真横から噴き出し、金切り声のような叫びが空間に木霊した。


 「喰らい付いたぞ……エルストレス」


 大蜘蛛の身体が壁に激突し、剣を突き立てたアインを振り落とそうと藻掻くが剣士は肌に吸い付いた蚤のように張り付き、歯を食い縛りながら血に濡れる。


 此処で、このまま一気に斬り殺し「バトラー!! 此奴を縛り付けろ!! どんな方法を使ってもいい!! 動きを止めろ!!」ツケを払って貰う。


 「了解しましたアイン殿」


 細く、鋭い返しが付いた無数の暗器が執事服の裏側から放たれ、バトラーは繰り糸を手繰る為の輪を指に嵌める。

 

 戦場で散った戦奴の髪と、志半ばで命を落とした兵士の血管を編み合わせた糸はバトラーの魔力を感知すると同時に、鋼鉄以上の強度に変質する。幼児の髪のように柔らかく、それでいて鋼を容易に断ち切る魔なる糸は目印となる暗器に繋がれたまま大蜘蛛の足に突き刺さり、絡みつく。


 「どうぞ、後はご自由に」


 「良くやったバトラー」


 黒と紅の奥に輝く真紅の瞳がエルストレスを見下ろし、空間が歪む程の殺意がアインから溢れ出る。


 待て。


 「断る」


 待て……!!


 「何故とは問わん」


 待て!! 我を……僕を見逃せ!! 見逃してくれたら、命だけは救ってやる!! 止めろ、止め―――。


 「黙れよ……塵屑が」


 ずるりと引き抜かれ、血が滴る剣を振り上げたアインは力の限り刃をエルストレスの顔面に突き立て、大きく薙ぐと雨のように噴き出した鮮血の中へ飛び込んだ。


 濁流となって流れ出る血肉の中を斬り進み、心臓へ進むアイン。激痛に泣き狂うエルストレス。ありとあらゆる臓器が黒の刃によって斬り捨てられ、何処が痛むのかさえ分からなくなった大蜘蛛は大量の血を吐き出し、のたうち回る。


 己よりも小さな剣士に、剣一本を握る餓鬼に、敗ける筈が無い。己はまだ満足していないのだ。まだ満たせぬ欲がある。このまま死を受け入れることなど到底出来る筈が無い。


 ニュクスの祝福よ、もっと、もっと力を寄越せ!! この剣士を、道を阻む者を圧し潰す力が欲しい!! その為ならば全てを捧げよう!! 命も―――意思も、心が生み出す思考を捧げよう!! だから―――僕に、力を。


 願いを掲げ、祈りを捧げた瞬間、エルストレスは耳元に聞こえた美しい声……。天より舞い降りた白銀の少女に全てを

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