死凍 ④

 霜が張られ、変わりゆく環境の変化に一早く気が付いたのはバトラーだった。


 守護と治癒の力場へ滑り込み、懐から大粒の魔石を取り出した魔導人形は術を呟き魔力を練る。既に許容量一杯にまで魔素を溜め込み、魔力という導火線と術の撃鉄を振り下ろされた魔石は暴圧的な業火を吹き出し、空間を満たそうとする冷気を散らす。


 「……アイン殿」


 「……」


 「少々問題が発生致しました。此処は私が時間を稼ぎます。お逃げ下さい」


 空間に漂う空気も、宙に漂う魔素をも凍り尽くす死の冷気。仄暗い闇が僅かに銀を纏い、吐き出す息が白に染まる。


 「アイン殿、ご決断を」


 「……バトラー」


 「はい」


 「お前はメイ一号とイーストリアを連れて塔から撤退しろ」


 「……今、何と?」


 「お前が彼女達を連れて逃げるんだ。俺にはまだやるべき事がある」


 剣を担ぎ、殺意と激情を燃え上がらせたアインがバトラーを押し退け歩み出す。


 「あ、アインさん、待って下さい!!」


 「待つことは出来ない」


 「でも!!」


 「イーストリア、お前は逃げろ。塔の外へ出て、町へ向かえ。そして、イエレザとミーシャを……俺の仲間を探せ。俺の事など心配するな。……それと、メイ一号」


 「……何だ」


 「イーストリアを頼む。死ぬ気など毛頭無いが、もしもの事を考えた時、お前の力が必要になる。だから頼む……彼女とバトラーを守ってやってくれ」


 「……貴様はどうするつもりだ」


 「俺は」


 俺のやるべき事を成すだけだ。そう言ったアインは猛り狂う殺意を真紅の瞳に滾らせ、堰き止めていた魔力を濁流の如く放出した剣士は灰の剣を振り抜き、刃と刀身を黒白に染め上げる。


 「走れ。そして……決して背後を振り向くな。バトラー、イーストリアを頼んだ」


 「……貴男様が死ぬなんてことは万が一にも在り得ませんが、一つお聞きしたい」


 「何だ」


 「どうして魔導人形である我々の為に剣を振るうのですか? 私とメイ一号は人間でもなければ、魔族でもないただの魔導具です。私自身、己の命に興味がなければ他者等どうでもいいとさえ思っています。アイン殿、貴男だけが私の生きる意味であり、この身が存在する理由。私は」


 「零し落としたくない。理由はそれだけだ」


 「……」


 「俺の剣で誰かを守れるならば、其処に刃の意味がある。バトラー、これは俺の我が儘に過ぎず、身勝手な振る舞いなのだろう。だが、この手で救える命があるのなら、守れる誰かが居るのなら、戦う意味と理由がある。簡単な答えだ」


 「……そうですか。それが貴男様の意思と誓約と云うのであれば、主の言葉を信じ、命令を全うするのが私の使命でありましょう。アイン殿、私共はこの戦場から撤退させて頂きます。ご武運を」


 「ああ」


 黒白の剣を振るい、冷気を殺しながら突撃したアインは鎧の装甲に霜を張り付かせ、凶刃に黒の輝きを纏わせる。


 「アインさん!!」


 「行け!!」


 「―――ッ!!」


 「走れ!! 走って、塔を脱出しろ!! この冷気の相手は俺がする!! だからイーストリア!! お前は生きろ!!」


 「で、でも、それじゃ貴男が!!」


 「イース!!」


 今にも駆け出そうとした少女の手を握り、肩に抱えたメイ一号が「バトラー!! 非常用通路を開けろ!! 塔を放棄する!!」と叫び、迫り来る純銀を食い止めるアインを一瞥した。


 彼女の知る王の姿は無慈悲に敵軍を殲滅し、血と屍の山を築く悪鬼修羅。副官であるラグリゥスが立案する作戦の中、己を一つの駒として単身絶望的な戦況に……命が幾つあっても足りない戦力差に突撃する鋼の鬼だった。


 だが、今背後で剣を振るう剣士はどうだ? 必ず死ぬと分かっている戦いに身を投じ、背後の誰かを守る為に剣を振るうアインは王と似つかぬ意思を持つ存在だ。彼を王と重ね合わせるのは不可能。彼の王がそんな馬鹿げた戦い方をする筈が無い。


 「……死ぬなよ、小僧」


 不意に口から洩れた言葉に目を見開いたメイ一号は頭を振るい、そんな筈は無いと思い込む。


 己が昨日今日言葉を交わした剣士に気を取られている筈が無い。後ろ髪を引かれるような思いだって、人工脳が起こしたエラーである筈だ。心が彼と共に戦えと叫んでいても、今はイーストリアを逃がす方が先の筈。


 「メイさん!! 降ろして下さい!! あの人が……アインさんが一人で戦おうとしているんですよ!? わ、私もアインさんと一緒に」


 「……駄目だ」


 「どうして!?」


 「お前は外へ連れて行く!! あの剣士ならば……アインならば必ず勝つ!! だから信じろ!! お前自身の心を―――」


 心を信じろ。その言葉を口にしたメイ一号の足が止まり、背後を振り向いてしまう。


 右腕を砕かれ、凍った血の結晶を撒き散らす剣士が居た。冷気を放出する巨大な人面蜘蛛と死闘を繰り広げる剣士は粉砕された左脚に影を纏わせ、補強する。


 嗚咽の一つも漏らさず、激痛が脳を焼いているにも関わらず、アインは一言も叫び声を発しない。その理由をメイ一号は察し、何故だと叫ぶ。


 逃げる時間を稼ぐために叫ばない。

 

 背後を振り向く時間さえ惜しい故に、狂気的な痛みに耐え、剣を振るう。


 己がもし倒れ、嗚咽と叫喚を漏らせば逃げる者達の後ろ髪を引き、足を止めてしまう。


 「どうして、其処まで!!」


 「ただ一重に、私達を守りたいからでしょう」


 「ッ!!」


 「自分が傷付き、戦う限り時間は永遠に稼げるとアイン殿は考えている。ですが、彼の御身は肉と骨で出来た人の肉体です。必ず限界がやって来る。それまで、耐えようとしているのです。メイ一号、彼は己の意思と誓約、心に従っています。貴女はどうしたいのですか?」


 「私は……」


 バトラーの虚ろな瞳を見つめたメイ一号は唇を噛み締め、冷気で凍て付いた拳を握った。


 

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