死凍 ③

 柔らかい白雪がひらり、またひらりと舞い落ち、闇を照らす陣がイーストリアを中心に広がった。


 罅割れた甲冑に雪が染み込み、鮮血を吹き出す刃傷を塞ぐ。剣を握り、力尽きたように膝を着いたアインは癒しの白を見つめると、大きく咳き込み喉の奥にへばり付いた血塊を吐き出した。


 「アインさん!! 大丈夫ですか!?」


 「……イーストリア」


 砕かれ、穿かれた鋼の隙間から血を滴らせる剣士に駆け寄った少女は、涙を流しながら抱き着き、嗚咽を漏らす。


 「……ごめん、なさい」


 「……」


 「私が、もっと、もっと早くに、決意を固めていたら、立ち上がる意思を持つ事が出来ていたら、アインさんは傷つかなかったのに……!! ごめんなさい……ごめんなさい……!!」


 「……いいんだ」


 「……」


 「安心しろ……こんな傷で、俺は死んだりしない。此処とは違う場所ではもっと酷い傷を負ったことがある。イーストリア……お前が謝る必要なんて無い。だから泣くな。俺の為に……涙を流す必要なんて無い」


 黒鉄に包まれた掌が少女の頭を撫で、剣士の瞳に宿る殺意が僅かに和らいだ。


 「……綺麗だよ、お前は」


 「え……」


 「前を向いて歩く者の目は、美しい。下ばかり見て、在る筈も無い空を探していたお前はもう居ない。その煌めきを宿した瞳を、強さの意味を探る意思が見たかった。イーストリア……泣くんじゃない。涙で希望を見失うな。もう大丈夫だ、お前は進めるよ。自分自身の道を」


 軋む身体に鞭を打ち、やっとの思いで立ち上がったアインは未だ敵意の炎を燃やすメイ一号を瞳に映し、灰の剣を構える。


 「まだやるか、メイ一号」


 「……」


 「貴様が満足するまで、納得するまで付き合おう。殺意のままに得物を振るい、迷いと激情を孕んだ凶刃を以て俺を斬り刻めばいい。だが、俺は絶対に敗けない。どれだけ血を流し、傷つこうとも、俺は退かない。来いよメイ一号……貴様の絶望を殺してやる」


 「……馬鹿馬鹿しい」


 手に持ったハルバードを振り、刃に付着した血と脂を払ったメイ一号は武器を虚空へ押し込み舌を打つ。


 彼女の……イーストリアの足を進ませた存在がアインだと云うのならば、メイ一号は彼の剣士を殺していただろう。無残に、滅茶苦茶にしてやりたかったとさえ思っている。だが、少女は己の意思で人の生きる道へ歩み出し、自分の心に従った。


 行けと言えばそれでイーストリアとメイ一号の奇妙な信頼関係は終わる。戦意を失い、闘志を絶やせばアインによって塔は破壊され、己の存在意義も失ってしまうだろう。しかし、千年の時を生きた魔導人形はそれで良いと判断し、唇を噛む。


 使命に沿い、過去を守る為に生きていた。もうこの手に戻らない栄光の日々を思い返し、仕えるべき主達の言葉に従ってきた。散った姉妹機達の無念を胸に、矛盾した思考を繰り返し、人工脳とは別に芽生えた何か……心が吐き出す異常に耐え偲ぶ日々は苦痛以外の何物でもない。


 故に、祝福しよう。彼女の……たった一人のの門出を祝おうではないか。これから歩むであろう苦難と苦痛に耐えられるよう、後悔と迷いの連続に挫けるであろう命にどうか希望があらんことを切に願う。


 「……イース」


 「は、はい」


 「お前は、それでいいんだな?」


 「……」


 「外は塔と別な苦しみに満ちている。幾百の……幾千の憎悪を向けられるかもしれない。身に覚えのない憤怒の刃を向けられるかもしれない。絶望に喘ぎ、痛みに挫けてしまうかもしれない……。それでも、行くんだな?」


 「……はい」


 考え直せだなんて言える筈が無い。


 「止めておけ」


 お前が苦しむ姿など、これ以上見たくない。


 「お前は弱い。剣を握れもしなければ、術の扱いも素人以下だ。外へ行けば死んでしまう。死ななくても、碌な目に遭わない」


 己は逃げ出していたのだ。ずっと、彼女の境遇から目を背け、偽りの優しさで接してきた。


 「だから―――」


 「メイさん」


 意思と誓約を宿した瞳がメイ一号を射抜き、少女はゆっくりと、一歩ずつ歩み寄る。


 「……私は、ずっと逃げていたんです。怖いからと、全てを失ってしまったと思って、諦めていたんです。だけど、まだ私には残っていたモノがあった……。それは、心と意思……私自身が、この手にずっと残されていたんです……」


 「……」


 「アインさんやメイさん、バトラーさんから見れば、私なんて、心細くて拙い灯りなのかもしれません。だけど、この冷たく、荒涼とした雪原で見つけた、手に包み込んだ火は、熱かった……。絶望の氷塊を溶かすくらいに、熱く、輝いているように見えたんです……!」


 嗚呼……と、少女が握り締めた意思を見据えたメイ一号は小さく息を吐き、彼女の足を止める術が無いことを知ってしまう。


 吹けば消えてしまいそうなか細い灯り。イーストリアという器に灯った火は、少女の道を照らす行燈のようなもの。風が吹く度に揺れ動き、迷いの影を生む灯りは彼女が倒れない限り燃え続けるだろう。


 「……イース」


 「……はい」


 「……大丈夫だ、お前なら問題無い」


 「……」


 「どれだけ迷ってもいい。挫けても、立ち上がればいいだけだ。私の心配は、不安は杞憂だったようだ。だから、行け。塔の外を見て来い。……世界は広いぞ、イース」


 「メイさん……ありがとう、ございま」


 メイ一号がイーストリアを抱き締め、少女の頭を撫でた瞬間、陣が砕け身も心も凍り尽くす吹雪が闇に霜を張った。

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