死凍 ②

 よろめきながら立ち上がり、剣を杖代わりにして己の身体を支えたアインは大きく咽込み「メイ一号、貴様が何を思い、どういった言葉を吐こうが俺は塔を破壊する。イーストリアの為に、この遺物を消し飛ばす」深呼吸を繰り返すと剣の柄を握り締め、真紅の瞳に殺意を滾らせる。


 この剣士は何度打ち倒そうと、肉体に壊滅的な損傷を与えようと、何度でも立ち上がるだろう。意思が挫け、心が叫ぶ悲痛な慟哭に耳を傾けない限り、彼は剣を握って血を流す。己が正しいと思った事を成す為に、何度でも。


 「……餓鬼、何故貴様は其処までイースの為に戦おうとする。何故絶望に屈しない。何故再び立ち上がり、剣を握る。意味が分からない……彼女は貴様にとって赤の他人の筈だ。それも昨日出会ったばかりの少女の筈。貴様が身を削ってまで戦う義理は無い」


 「……確かに貴様の言う通りだメイ一号。俺にとってイーストリアは赤の他人で、端から見ればそんな少女の為に命を賭ける等到底理解出来るものではないだろう。だが、それでも、俺は彼女の為に剣を振るうんだ」


 その理由を問うている!! メイ一号の圧倒的な膂力を以て振るわれたハルバードがアインの剣とかち合い、鋭い火花が闇に散る。


 「そんなものはただの自己満足に過ぎん!! イースの背中を押し、外への希望を抱かせた責任を取ることが出来るのか!?」


 一撃を防げば筋繊維が千切れ、二撃を弾く頃には血管が破裂し内出血を引き起こす。


 食い縛った奥歯から溢れた血がアインの口腔内に溜まり、苛烈を極める剣戟によって彼が纏う鎧の隙間から血が滴り落ち、血飛沫が舞う。


 「アインさん!! メイさん!! も、もう、止めて下さい!! このままじゃ、二人とも、し、死んで」


 「イーストリア!!」


 「ッ!!」


 防戦一方のアインの口から放たれた怒号が二人の間に割って入ろうとしたイーストリアの足を止め。


 「安心しろ……!! 絶対に、お前もメイ一号も、救ってみせる!! だから、お前は自分自身の意思を信じろ!! 心に従え!! イーストリア!!」


 壁に弾き飛ばされると間髪入れずに叩き込まれた凶刃を紙一重で躱し切る。


 「わ、私は……」


 今此処で勇気を振り絞らねば後悔する事になるだろう。己の為に血を流し、メイ一号と刃を交えるアインに意思を伝えねばならないと、少女は瞳に滲んだ涙を拭う。


 涙……何故泣いている。これは、この涙は誰の為の涙なのだとイーストリアは己に問う。我が身を思う涙は到に流し尽くした筈だ。心を覆い尽くす悲しみも、切なさも、雫となって流れ落ち、少女は哀愁に染まった蒼い結晶を握り砕く。


 一歩、人骨と朽ちた魔導人形の残骸が散らばる闇へ歩き出す。


 二歩、恐怖に慄く心に喝を入れ、走り出す。


 己には戦う力が無いことは百も承知の筈。武器の握り方も、術の使い方も知り得ぬ己が彼の剣士の下へ向かっても足手まといになるだけだ。しかし、イーストリアは走り出す。新たな傷を絶え間なく刻まれる剣士の下へ、ただ駆ける。


 意思を信じることが心の証明ならば、未だ霞んで見えぬ道を辿らねばならない。深い霧に包まれた人の生きる道は時に分岐し、思わぬ落とし穴に嵌まることがあるだろう。彼が歩む道だって、順風満帆な整地されたものではない筈だ。


 誰かを救うために戦い続け、身に余る殺意を剣に乗せて激情のままに振るう。救うと言って畏れられ、守ると言って傷を負う。アインという剣士は己の手で救済と守護を誓いながら、死と戦いに濡れる修羅なのだ。心が軋み、鋼で隠された素顔が苦痛に歪む瞬間であろうと、彼は己が抱いた意思を貫く為に、藻掻き、足掻く。


 故に、イーストリアは願った。彼の痛みを少しでも和らげるようにと。アインが歩む道の傍らで、剣士が救えず、守れなかった者達にささやかな癒しを与えたいと、己が意思に願い、祈りを捧げた。


 きっと、この願いと祈りを聞いた両親は誰かの為に、それも一人の剣士の為に癒しの力を使うなど馬鹿馬鹿しいと呆れるだろう。万人に癒しを与えることこそが精霊種の持つ力の意味であり、存在する価値だと叱りつける筈だ。


 「……みんな、ごめん。私は、私の信じる人に、信じた意思の為に力を使いたい! 精霊種の最後の生き残りでも、私は自分の為に、あの人の為に力を使うことを許して! 私は―――」


 いいの。イーストリアの耳に、優しく、懐かしい声が木霊した。


 貴女は、貴女の信じる道を進みなさい。一族の使命に囚われることなく、自由に生きる権利がある。だから、貴女を信じる彼を、彼が信じる貴女の為に進みなさい。私の可愛い娘……イーストリア。私は、貴女を愛しているわ。


 「おかあ、さん? お母さん! お母さん!!」


 少女の瞳に母の姿は映らない。生者に死人が見えぬように、死人が生者に触れ得ぬように……。亡き母に背中を押され、大勢の同胞の手によって大量の魔力を己が内から引き出したイーストリアは、頭に浮かんだ術を編む。


 「悲しみも……! 切なさも……! 誰かが傷つく姿なんて、見たくない!! アインさんも、メイさんも、手離したくない人達が傷つけあうなんて、そんなのは嫌だ!!」


 イーストリアの指に何時の間にか嵌められていた蒼白の指輪が雪明りを思わせる光を発し、仄かに煌めくと少女の意思と魔力を練り合わせ。


 「メイさん!! アインさん!! 私の話を、聞いて下さい!!」


 二人の戦いを止める為、そして己の意思を伝える為に、守護と癒しの領域を発現させた。

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