誰が為に ③

 日は沈み、夜闇の静寂に紛れ六人の男達が古びた剣と斧を持って丘を上がる。


 丘の、巫女が住む小屋に魔族が現れた。神の加護を穢され、儀式の邪魔をされる前に魔族を討て。村長からの言付けを受けた男達は、各々の家に眠る碌に手入れもされていなかった武器を手に取るとサレナの家にまでやって来た。


 彼女の家の玄関扉に鍵は付いていない。男の一人がそっとドアノブを握り、扉を開く。


 月明かりに照らされた埃がキラキラと舞い、暗闇に閉ざされた部屋に男が忍び込む。床板が軋み、その音だけで心臓の鼓動が早くなる。無意識に息が上がり、耐え難い緊張感のせいで額に汗が滲んだ。


 何も無い、巫女が居ない、魔族に喰われたのだろうか? そうであるのならば血の臭いがする筈だ。目を凝らし、部屋の中を観察している内にストン―――と、視界が落ちた。


 血に濡れた黒い刃。異貌の兜のバイザーから覗く真紅の眼光。異形の黒甲冑。瞳を動かした先に見えたものは首が無い己の死体と、斬り刻まれる村の仲間達。黒甲冑、アインは身の丈ほどの剣を自由自在に操り、四人の男を瞬時にして斬り捨てると残った一人の首を掴み上げ、握り潰す。


 丘の下の村では儀式の準備が進んでいるようだった。と称される像の前に酒や野菜、肉等の供物が用意され、サレナが捧げられる儀式用の祭壇が組み立てられていた。


 魔族との戦いを避けていた村なのだろう。武器の状態や送り出してきた男達の練度を見ればそれくらい容易く予想できる。


 刃に付いた血肉を振り払い、剣を肩に担いだアインは虎狼の如く丘を駆け抜け、高速で森を突き進む。枝葉を圧し折りながら進む様は檻から解き放たれた猛獣のようであり、人の走りとは余りにもかけ離れていた。


 すん……とアインの鼻が人間の臭いとは違う臭いを嗅ぎ分ける。僅かな腐臭を孕んだ熟れた果実の臭い。足が止まり、剣を抜き放つと黒々とした闇の中を真紅の瞳が射抜く。


 闇と月明かり。影と木々の間からぬらりと黒い鎧に身を包む人影が続々と現れる。その数五十。影は各々武器を手に取り、己が魔力を武器に込め剣士へ刃を向ける。


 「どけ」


 「……我が同胞の復活を阻む者、黒甲冑の剣士、我が主の命により貴様を討つ」


 「死ね」


 アインの甲冑から黒い靄が噴き出し、剣がソレを啜る。刃が黒く輝き、斬りかかった魔族を横薙ぎに斬り裂く。


 魔族の肉体は人間の肉体よりも頑強で屈強だ。木を一太刀で切り倒す筋力、身の丈を超える得物を小枝のように振り回す膂力、魔力の質と量も段違いである魔族が放つ下級魔法は人間の中級魔法に値する。だが、種として如何に強力な存在であろうとも規格外の存在を前にしては種の優劣など些細な問題でしかない。

 

 アインは自身に迫る大斧を真正面から剣で叩き砕くと一気に懐へ潜り込み、刃を股から頭まで振り上げ魔族の肉体を両断すると驚異的な跳躍力を以て局地式魔弾を回避する。


 「空中ならば回避はできまい、射殺せ」


 隊長格の魔族の号令に弓兵が矢を射る。幾本もの矢がアインを射抜こうとしたが、それは無駄な行為に終わる。


 影―――否、影と呼ぶには禍々しい黒き殺意の奔流。黒の剣が彼から噴き出した殺意を啜り、感情という形無き凶器を敵を殺す為だけの魔力へ変換すると魔法と化して剣を成す。


 汚濁に塗れた狂気が滴る影の剣。黒の剣より漏れ出るように顕現した二本の悍ましい形をした剣は、ギチギチと肉と金属が合わさったのような音を発すると、持ち主に突き刺さろうとした矢を全て吞み込んだ。


 「なんだ、それは―――」


 魔族、人間、両者とも敵を殺す際一切の躊躇をしたことが無い。生存競争と呼べる両種族間の戦闘は生き残った方が勝者であり、勝利を得る為にどんな残虐な魔法も、卑怯な戦術もであり、研究され続けてきたものだ。


 効率よく敵を殺し、必要最低限の被害で戦闘を終え、次に繋ぐ。勝利を得るためには次を意識し、一切の感情を省き、常に敵を殺す事に思考を割く必要があった。


 現に、隊を率いている魔族も幾度の戦闘を経験し、敵を殺す以外の感情を排除してきたつもりであった。だが、目の前の、あの剣士は―――


 殺意、憤怒、憎悪、狂気、怨恨、呪詛、真紅の瞳から語られる殺しの言葉は黒一色に染まり、殺しの事以外全ての思考を放棄しているように感じられる。最短で一直線に効率的な動きで命を絶ち、生物と呼べる命を喰らい尽くす巨大な一本の剣。


 あれを生物と見てはならない。あれを人と思ってはいけない。あれに目を付けられてはならない。あれは―――


 「―――あ」


 暴力的で絶対的なまでの死が一瞬にして通り過ぎ、体の半分が消し飛んでいた。否、消し飛んでいたというのは語弊がある。。鋭利な刃で斬られた半身は消滅したかのように細切れにされ、剣士を取り囲んでいた他の魔族は彼の攻撃の余波を受けただけで獣の牙か鋸で削り切られたかの如く朽ち果てていた。


 過去、聞いたことがある。強者の戦闘に凡人が入り込む余地などない、と。そんなものは弱者の戯言か人間のデマだと思っていた。だが、命を絶たれた今となって思い知る。強者とは、超越者とは、人の枠を超えたであるという事を思い知ったのだ。



 ……

 ………

 …………

 …………

 ………

 ……



 蠟燭のか細い炎に照らされた鏡を見る。

 母親譲りの白銀の髪。顔も知らない父によく似ていると母が言っていた金色の瞳。病的にまで白い絹のような肌。贄の巫女装束を着飾った少女、サレナは鏡に映るもう一人の自分の頬をそっと撫で、冷たい鏡の感触と血の通った己の頬の差異を感じ取る。


 窓一つ無い部屋には姿見と粗末なベッド。短くなった蝋燭。冷めた野菜屑のスープが入った木の容器と匙だけがあり、それ以外には何も無い。これから死ぬ運命にある人間へ他に何が必要か? と言葉無く言い表した殺風景な部屋に、サレナはジッと無言で鏡と向かい合う。問や答えを求めるわけでなく、ただ無言で床に座り込み鏡の向こう側の自分と視線を交わす。


 一見してみれば彼女は自身の運命を受け入れられず、鏡の世界へ己の意識だけを逃避させているように見えるだろう。一人で死に、個を大多数の為に捧げる運命に悲観し、せめて自分だけを慰めている。彼女を隠し窓から監視する者はその佇まいに哀れみの目を向けるだろう。だが、何故か彼女を別の存在と重ねてしまう。


 聖女―――その身を捧げ、平和を望む者。そう呼ぶに相応しいサレナの姿は、真っ暗な一室であるのに不思議と彼女の周りには神聖な領域があると錯覚してしまう程に美しく、人ではないだとそう感じてしまう。


 「巫女様、お時間です。ついてきて下さい」


 淡い蝋燭の火だけがあった部屋に松明の明りが差し込み、年老いた老婆が部屋へ訪れる。サレナは無言で老婆を一瞥するとスッと立ち上がり、蝋燭の火を吹き消し老婆の後ろを歩く。


 「その衣装、お似合いですよ。先代の巫女様を思い出します」


 「そうですか」


 サレナが居た部屋は村から少し外れた小屋だった。道を歩きながら後ろを振り向くと監視役と思われる三人の男が農具を構えながら彼女と老婆を眺めていた。


 「巫女様はお父様のお顔を覚えていらっしゃりますか?」


 「いいえ、母様からは父の存在を聞かされていましたが、実際に見たことはありません」


 「そうでしょう、そうでしょう、貴女のお母様は行きずりの旅人と関係を持ち、貴女を授かった者故、正式な儀式の手順を踏んだ巫女ではありませんでした。故に」


 村の守り神の怒りに触れ、貴女が捧げられる日が早まった。


 老婆の淀んだ目がサレナを見据える。侮蔑を含んだような、穢れた存在を見るような目。村の中の世界だけを見続けてきた老婆の目に映るサレナは儀式を穢し、村の男以外の種で産まれた忌み子のような少女。口調こそは穏やかなものだったが老婆の腹は憎しみと怒りに渦巻いていた。


 「しかし良かった」


 「……何がでしょう」


 「巫女様が生娘のまま、守神に捧げられることにですよ」


 「それは、どういった意味ですか?」


 松明の火の粉が散る。含んだような笑い声を発した老婆は村の入り口までサレナを誘導した後、懐から麻袋を取り出し結びを解くと中身の粉をサレナへ振りかけた。


 「―――なんですか、これは」


 「眠り薬ですよ、逃げられたら今度こそ村が滅びるのでねぇ」


 四肢が脱力し、瞼が重くなる。地面に倒れ、周囲に群がる村人が自身の身体を担いだところでサレナの意識が次第に遠のく。


 「村の平和のため、アンタらの一族はいるんですよ」


 最後にサレナが見たものは、歪な笑みを浮かべる老婆の顔と、守神の像に立つの姿だった。

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