誰が為に ②

 「……では、私達は此処ここで失礼します。今宵こよいまでに準備しておくように、お願いします」


 男はサレナの用意した茶に一切手を付けず、帽子を被り直すと落ち着かない様子で席を立つ。負い目があるような、不安がつのっているような、疲れた目で無表情のサレナを一瞥いちべつして玄関扉のドアノブに手を掛ける。


 「もし」


 「はい?」


 「もし私が役目を降りれば、放棄すれば、村人はどうなるのですか? 村長殿」


 話をしている最中一言も口を開かなかったサレナが男、村長に問う。


 「……母上殿が命を捧げたお役目を、娘の貴女が放棄するおつもりですか? 貴女がお役目を果たさず、命を守神もりがみに捧げぬのなら村人全員の命が危ぶまれる。責務を果たさぬという選択肢は……ありません」


 「……そうですか」


 何故一人に命を捧げるという責を押し付けるのか、その疑問を持つ思考に村長は

至っていなかった。村が存続し、村人の命が繋がり続ければそれでいい。守神が居れば魔族は村を襲ってこないし、悪意を持った人間も村へ侵入する事すら叶わない。一人の命で済むならそれでいい。構わない。


 「それでは、私はこれで」


 今度こそドアノブを捻り、扉を開いた村長の目に、黒鋼くろがねの甲冑に包まれた巨躯が立ち塞がる。


 「―――」


 異形の甲冑と異貌いぼうの兜。身の程大の黒い剣を背負った剣士、アインは鹿を担いだまま村長を見下ろし小さく舌打ちした。


 「貴様、何者だ」


 鹿を地面に置き、剣の柄に手を掛けたアインから村長は目を離せない。自分へ向けられる殺意と憎悪で身体が震え、動けない。呼吸する事さえ忘れ、脂汗を滝のように流す。


 「アイン、帰って来たのですね」


 「サレナ、この人間は何者だ。お前に害を与えるような人間ならば、俺が今此処で」

 

 「その方は村の長です。私と儀式に関する話をしただけです」


 「儀式だと? それは、お前の母と同じような儀式の事か?」


 「はい」


 「子を宿す儀式か?」


 「いいえ、村の守り神にこの命を捧げる儀式についてです」


 刹那せつな、村長の胸倉を掴み上げたアインは大人一人をいとも容易たやすく片腕のみで宙に持ち上げ、空いたもう片方の腕で彼の顔を殴りつける。


 「アイン!? 一体何を!!」


 「ひ、ヒぃ―――!!」


 何本かの歯が殴られた衝撃で折れ、鼻がひん曲がり、血が滴る。村長の恐怖と対をなすようにアインの瞳は憤怒の色を帯びる。


 「この子の命を捧げろだと? 守神の為に? たった一人の命を捧げて貴様らはどうする? この美しく可憐かれんな少女を贄として捧げるだと? ……ふざけるな、ふざけるな!!」


 村長を家の外へ投げ飛ばし、剣を抜いたアインは腰を抜かして尻もちを着いた村長へゆっくりと近づく。


 「貴様、剣はどうした? 丸腰で来たのか? 戦う意思など毛頭ない肉塊風情ふぜいがあの子に役目を押し付けるのか? 決めた、貴様は殺す」


 「アイン!! 待って下さい!!」


 サレナの制止の声で剣を振り上げたアインの動きが止まる。


 「いいんです、彼らに罪はありません。剣を収めて下さい」


 「……納得しているのか? お前は贄として、命を捧げねばならないのだぞ?」


 「納得できなくとも、母様の役割を私が行うだけです。それに、命が消える前に良い出会いがありましたから」


 「……」


 沈黙。重い沈黙がこの場を支配し、アインは怒りを抱いたまま剣を背負い直す。


 「去れ、俺の前から消えろ、肉塊」


 命からがら逃げ出すとはこの事だろう。脱兎の如く走り出した村長は何度もつまづきながらも丘を駆ける。一刻も早く逃げ出したかったのだ、あの黒甲冑で身を包んだ恐ろしい存在から、あの見られただけで精神を破壊しつくさんとする殺意から。


 「……アイン」


 「俺は認めない」


 「え?」


 「お前が贄となる事に、お前がとしても俺は決して認めない。サレナ、お前の一族はあの村に何か恩でもあるのか?」


 「……」


 「答えたくなければ話さなくとも構わん。だが」


 「アイン、少し冷えますね。中に入って話をしましょう」


 「此処でもいい」


 つっけんどんなアインの腰に、サレナが抱き着く。彼に顔を見せないように、強く、強く、鋼を抱きしめる。


 「……そうだな、此処は冷える。何か、温かい物が飲みたい気分だ」


 「……ありがとう、アイン」


 冷たい風が二人を撫でる。

 家へ入り、剣を背負ったまま窓の外を眺めたアインを他所に、サレナは浮かない顔で茶を淹れると二人分のカップに注ぎ、テーブルに置いた。


 「……アインは、自分を探す旅に出る意思はありますか?」


 「ああ」


 「世界には色々な土地があるのです。火を噴く山や一年中雪と氷に閉ざされた山。騎士と戦士が魔族から民を守るために修練を積む都市。魔法の開発や応用を研究する都市……様々な都市と土地に人が住み、生活を営んでいる。あなたが旅をしていれば多くの人と魔と関係を持つでしょう」


 「出来る事なら私も一緒について行きたかったのですが、それは叶いません。あなたの知っての通り私は贄であり、役割を持つ者。あなたが私を覚えていて、歩みを止めなければ私は十分です。だから、私は」


 「長々と話すな、たわけが」


 「……」


 「付いて来たいなら初めからそう言え、村の連中なんかどうでもよかろう。神が何だ? 村が何だ? それらがサレナを縛る理由であるのならば俺が破壊する」


 本気で言っているのだろうか? 自分を励ます虚言ではないのだろうか?


 神を殺すなんてありえない。村を破壊するなんてありえない。どんな武力を持っていたとしても不可能だ。けど、この剣士は本気で言っている。そんな予感がする。自分を救ってくれるような、そんな淡い希望すら手を伸ばせば掴めるような、そんな気がした。


 「俺は納得できないし、許すことも出来ない。巫女だの役目だのそんな言葉と使命でお前を束縛するのなら、そんなもの捨てて仕舞え」


 「……しかし、母様も」


 「母は母、サレナはサレナだ。……ハッキリ言えばいいか?」


 「……」


 「俺はお前に死んで欲しくない。サレナ、お前は死にたいのか?」


 「……死にたいわけないじゃないですか、私は、もっと、自分の足で、目で、世界を見てみたい。誰かと、共に、生きていたい」


 涙が、大きな雫が、白い手に落ち、潤んだ金の瞳が黒い剣士を見る。


 夜空に浮かぶ星々を思わせる白銀の長髪に涙で潤んだ金の瞳。素朴で質素な身なりであるが、少女は何処か神秘的な雰囲気を纏っていた。


 少女、サレナを何処かで見たような気がした。真っ新な頭の中に過ったあの横顔に、あの美しく綺麗に整った容姿をした少女に似ているのだ。この子が笑えば、思い出すのかも知れない。失った過去を、記憶を。


 「だから、助けて、アイン……」


 「ああ、任せろ」


 そして、ときが迫る。

 

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