誰が為に ①
鍬を振り上げ、土を耕す。
何度も、何度も、土に鍬を食い込ませては土を耕し草を掘り返す。
黒鋼の籠手が握るは剣の柄ではなく、鍬の持ち手。金属がぶつかり合い、小五月蠅い音を発しながら剣士、アインは鍬を振るっていた。
一時も休む事無く土を耕していたアインは自分が広げた畑を見渡すと、腰に吊っていた麻袋の中から幾つかの種を取り出し、畑に植える。丁寧に等間隔で種を植えたアインは鍬を一時土の上に置き、大きく伸びをした。
戦いから身を置き、農作業に従事する。三日間剣ばかり振るっていたアインが何故戦闘とは一切関係の無い作業に従事しているのか。それはサレナがアインに頼んだからである。
「アイン、休憩を取らなくても大丈夫ですか?」森で摘んできた薬草を選別し、日が高い故に麦わら帽子を被ったサレナが問う。
「問題ない」甲冑の一切を外さず、黒い異貌の兜を被ったまま「平気だ」と話したアインはサレナの家へ鍬を戻すと剣を背負い、森へ向かおうと足を進めようとした。
「森へ行くのですか?」
「肉を食いたくないか?」
「食べたいですけど……森にはそう大きな獣は現れませんよ?」
「獣が居るなら重畳。兎か鹿でも狩って来る」
「そうですか……晩御飯までには帰って来て下さいね?」
「あぁ」
妙に身体と心が軽い。サレナの顔を見て、声を聞くだけで身体の内から無限に活力が湧き出てくるような気がした。何も無い自分が、全てを失ったと思っていた自分が新しい何かを得たような奇妙な感覚。
無くしてはならないような、こそばゆい感情を自覚したアインは、兜の下で笑みを浮かべると彼女へ手を振り森へ向かう。そして、その後ろ姿を見送るサレナは思うのだ。
(……何でだろう、どうしてだろう)
全身甲冑の男。記憶を無くした男。修羅のような殺意を纏った男。血まみれで何処か寂しそうな声色をした男……。彼を見ていると何故か放っておけないような気がしてならない。彼は記憶が無いと言うのに、何故彼はこの世界を歪と見ているのだろう。何故―――自分と同じような考えを持っているのだろう。
坂を下り、森へ歩を進めるアインの後姿を暫し眺めていたサレナは、ハッとしたように立ち上がり、台所へ向かう。
せめて彼が狩りに失敗して帰って来た時の為に、何か美味しいものを作っておこう。三角巾を被り、エプロンを首から下げたサレナが保存庫から食材を引っ張り出そうとした瞬間、玄関の呼び鈴が鳴った。
「巫女殿、巫女殿、少々お話があってやって来ました」
よく知る男の声だった。
「……少々お待ちください」
この声の主がこの家にやって来た理由は子を宿す儀式についての話だろう。三角巾とエプロンを外し、引っ張り出した食材を再度保存庫へ押し込んだサレナは無表情の仮面を被ると玄関の扉を開けた。
………
…………
……………
……………
…………
………
木漏れ日が差す森の中で、茂みに身を潜め獲物を見据える。
視界の先にいる獲物、それは草を食む鹿だった。その一頭を見据えたアインは息を殺しながら、甲冑が軋むほどの筋力を右腕に込め、剣を鹿へ投げつける。
彼の手から離れ、生物では知覚出来ぬ程の速さで鹿に突き刺さった剣は、一瞬で命を絶たれた獲物と共に木へ突き刺さる。
アインは息絶えた鹿から剣を引き抜くと、そのまま首を下に向け担ぐ。
ずっしりとした雌鹿だった。これをサレナ一人で食べ切るのは無理だと推測出来るが、余った肉や剥いだ皮は村へ売りに行って貰えばいい。来た道を振り返り、歩き出そうとしたアインの足が止まる。
声、いや、声と言うには余りに不明瞭で耳障りな音が、聞こえた。
ノイズが奔ったような音は耳の傍で断続的に、鼓膜を擦るように鳴り響く。
鹿を放り投げ、咄嗟に剣を構えて周囲を見渡す。右から音が鳴れば右へ首を回し、左から音が鳴れば左を向く。耳障りな肉声を模した音。声の主を、音の発信源を探そうにも視界に映るものは深緑の木々と草花のみ。
音を認識するたびに動悸が激しくなる。声を聞くたびに息が荒くなる。心臓をギュウと握り潰されたかのような圧迫感に胸を痛め、鋼の装甲を掻き毟るように手指を突き立たせながら藻掻く。
るな――――
腹の底から湧き出す感情。鮮烈で、強烈な、原初の感情。
せ――――
身を焼き尽くすかのような激情の名は、殺意。
思いだせ――――
声が、聞こえる。空白の黒で染まった記憶の中に声が響く。
忘れるな――――
呪いを、呪詛を、憤怒を、怒りを。濁流の如く押し寄せる憎悪に塗れた真紅の殺意。視界が、世界が、血の色に染まる。
「あ……アァあアァア!!」
無茶苦茶に剣を振るい、赤を斬り裂く。
斬り裂いた先に在るモノは深淵の黒。
そして、その黒の中から手を伸ばす、男とも女とも言えない異形の面貌。肉体的に見れば女である筈なのに、人間と魔族の二人の男女が醜く入り混じり異形となった化外は、錯乱するアインの兜を四本の腕で固定すると真紅と金の四つの目でアインを見つめた。
思い出せ――忘れるな――産まれた意味を―――役割を
剣を振るおうにも四肢が空間に固定されているかのように動かない。目を逸らそうにも眼球が一寸も動かせない。化外の言葉が、濁音交じりに鼓膜を震わせる。
―――よ―――貴様は―――だ―――全てを―――殺せ
抗えない殺意の奔流が思考を剥奪する。
抑えきれない憎悪の汚濁が死を求める。
そうだ―――貴様は―――アインなのだから
名を、化外がその名を言った瞬間アインの脳に流れた映像は白銀の髪を靡かせる少女の横顔。サレナによく似た少女は神秘的な衣装を着飾り言葉を紡ぐ。声にならない声を発した後、笑顔を向けた。
「――――」
何かが切れたような気がした。その何かは糸のように細い心許ない線だった。
「俺は―――」
全てを殺す。この世界に蠢く人の形をした肉塊を殺すのに異論は無い。だが、自分は。
「殺す奴は俺自身が決める! 指図は受けん!!」
誰の指図も受けないし、誰かに言われるままに剣を振るわない。
己の剣は己の為に振るうのだ、己の刃は敵を殺す為に研ぎ澄ますのだ。
ガラスが割れたような音と共にアインの四肢が拘束を破り、甲冑により無限に強化された筋力から繰り出される黒の刃が化外の顔面を斬り裂き、深淵の中へ押し戻す。
「貴様が何者か知らんが俺の意思を阻害するのならば殺す!! 邪魔をするのならば殺す!! 殺して、殺して、死ぬまで殺し続けてやる!! 失せろよ、化け物!!」
タール液と鮮血が入り混じった異臭を放つ液体を放ちながら、醜く悍ましい笑みを浮かべた化外は深淵の隙間へ姿を消す。不穏な言葉を残し、闇の中へ消える。
貴様を―――見ているぞ、と。
「……見ているだと?」
口角を吊り上げ、真紅の瞳に殺意を滾らせたアインが呟く。
「見たければ見ていればいい、何者か知らんが、敵ならば殺す。それだけだ」
頭痛がする。吐き気が酷い。何度も何度もあの顔が、横顔が、笑顔が頭にこびり付いて離れない。サレナによく似た少女の笑顔がアインの中で暴れ狂う殺意と憎悪を沈め、清める。
「……俺は、アイツと何処かで会った事があるのか?」
冷えた頭で剣を背負ったアインは釈然としない様子で草の上に転がった鹿の死体を担ぐと再び歩き出したのだった。
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