剣を振るう ②

 その場の生きとし生ける者が、抗う術を放棄した者が、ただただ地面に頭を垂れ、黒甲冑を着込んだ剣士に圧倒されていた。


 剣士、アインが纏う殺気、憤怒、憎悪は彼の体内で無限に収縮と膨張を繰り返し、逃げ場の無い感情の暴発は甲冑の装甲から黒い闘気となって漏れ出し、それを黒の剣が喰らい、刃の鋭利さをより一層引き立たせる。


 「何者だ? 人間の剣士が何故我に剣を向ける?」


 鈍色の輝きを見せるアインの眼光が祭壇上で眠らされているサレナへ向く。規則正しく寝息を立てる彼女へ、闇より降り立った魔族。デリエルが近づきその白い首筋に牙を突き立てようと迫るが、その凶行は全身を貫くような殺意によって止めざるを得ない。


 「……」


 アインは何も語らない。彼を物語るは大切な存在に牙を突き立てようとした魔族への強い殺意と、一人を犠牲にして平穏な生活を謳歌していた村人への狂おしい程の憎悪。そして、少女の為に剣を振るうしか脳がない己への身を焦がす程の憤怒。煮え滾り、噴火寸前にまで張り詰めた感情の枷はデリエルの行動により打ち砕かれ、黒の凶剣は敵と認識した存在の眼前へ瞬時にして斬り込んだ。


 「―――ッツ!!」


 有り得ない。奴と我の間、距離は五メートルも離れていたのだぞ? それを瞬く間に詰めた奴は、何だ? 


 デリエルが思考する間にも黒の剣は彼の魔族の肉体を切り刻み、肉体を損傷させる。鮮血が宙を舞い、地に滴る間にも傷は千を超え、血は更に吹き出しアインの剣を真紅に染める。


 傷を負っても再生し、血が噴き出そうとも肉体は倍の血液を生成する。これまで喰らってきた巫女の魔力を以てデリエルは自身の魔力量以上の魔力を有しており、たかが人間一人に敗北するなどという気は毛頭無い。だが、何故か、余裕が有る筈なのに、背はゾクリとした悪寒を感じ、小さな何か……そう、恐怖を感じていた。


 恐怖……? いや、そんな筈が無い! 我は上級魔族にも匹敵する程の力を蓄えたのだ! こんな、剣一本で立ち向かってくる人間に、恐怖など感じる筈が無い!


 血を流しながら天高く飛翔したデリエルは指先に魔力を集中させると宙に陣を描き、閃光にも似た黒い稲妻を村人とアイン、セレナが居る地上へと撃ち込み魔法を発動させる。


 「付き合ってられん、もう貴様らは用済みだ。皆共々死ね」


 膨大な魔力を練り込み発動した魔法。それは無数の食人植物の生成と地面を人間だけ腐滅させる溶解土への変性。牙を持ち、溶解液を滴らせる大人一人分程の大きさを持つ植物達は逃げ惑う人間達を我先にと貪り喰らい、運良く逃げ切った者は強力な腐敗性の毒を放つ土に足を捉われ転倒し、腐れ死ぬ。デリエルが発動した魔法は村の広場に集まった村人達を無差別に殺戮し、阿鼻叫喚の地獄へと変える。


 これで良い。また次の餌場を探せば良い。微笑を湛え、この場から去ろうとしたデリエルの背に黒の剣が突き刺さった。


 「―――な、ぁ?」


 腐れ、溶けながら一人失踪する剣士が居た。殺意、憎悪、憤怒を纏う黒甲冑の剣士。アインは片腕と両足を用いて食人植物を千切り、叩き潰し、踏み躙り、道を切り拓くと大切に抱えていたのセレナを安全な土の上にそっと寝かせ、真紅の眼光をデリエルへ向ける。


 「……他の肉塊がどうなろうと知った事ではない」


 片腕をデリエルへ向け、拳を握る。


 「だが、この子は、この子だけは、俺が守る!!」


 アインの意思に応えるかのようにデリエルに突き刺さった剣が黒い輝きを発し、魔族を突き刺しながら剣士の下へ向かう。目を見開いたデリエルの見たものは鋼の手の平。魔族の喉を鷲掴みにしたアインは剣を引き抜き、滅多刺しにすると全ての感情を吐き出すかのように叫ぶ。


 「魔族がこの子を害そうとするのなら魔族を殺す! 人間が邪な心を以てこの子に接しようと企むのなら人間を殺す! 今此処で貴様を殺すのは俺の意思だ! 覚悟しろよ魔族……俺の剣は全てを殺すぞ?」


 デリエルの脇腹を蹴り飛ばし、血を吐きながら吹き飛んでゆく魔族に並走するようにアインは駆ける。


 態勢を立て直し、アインを目視した矢先にデリエルの胴体は両断され、神速の剣技により更に細かく刻まれる。再生の速度を上回る苛烈なる剣戟は魔族の溜め込んだ魔力と肉身を斬り裂き、精神を摩耗させる。


 激痛を伴う再生と終わりの無い斬撃による苦痛。魔法を発動させようとすれば舌と指を瞬時に斬り裂かれ、体術を用いての攻撃はアインの圧倒的な膂力により捩じ伏せられる。禍々しい黒い甲冑に包まれた剣士。その様は宛《さなが》ら殺意の暴風、憎悪の剣、憤怒の化身。百年間、この世界で生を受けてから数々の人間と戦ってきたデリエルは、人間は集団戦闘により力を発揮する生物であるという認識があった。だが、何だ、この剣士は、人間は―――。


 上級魔族に匹敵する戦闘能力の高さ、血を流し続ける度に高まり続ける身体能力、無尽蔵の体力……。こんな存在が人間で有る筈が無い。同じ魔族で有る筈だ。だが、違う。この世界は同族を殺せるように作られていない。ならばこの男は、剣士は、人間だ。


 「ハ――ハッ」


 逃げなければ、この場から一刻も早く逃げ出さなければ。足を動かし、翼を広げ、逃げなければ。


 「―――ハ?」


 足が、翼が、再生していない。血が流れ続けている。魔力が、巫女を喰らって得た魔力が枯渇した。


 「……魔力切れか? なら死ね」


 黒甲冑に包まれた剣士が頭上高くまで剣を振り上げていた。


 「ま、待って、待ってくれ」


 「死ねェえ!!」


 剣が振り下ろされデリエルの首が飛ぶ。最期に見たものは剣士から伸びる影。異形の甲冑の影は人間のモノとは思えぬ形をしており、その形はまるで―――魔族の王と酷似するものだった。


 「……」


 剣に付着した血肉を振り払い、サレナの下に歩み寄ったアインは彼女の頬を優しく撫で、少女を背負う。


 村の大半の人間はデリエルの魔法により死亡した。しかし、生き残った者も少なく無い。村人たちは悠然と歩き去るアインの後姿を呆然と眺めるだけで、誰一人として彼に駆け寄ろうとはしなかった。


 魔族をたった一人で、一振りの剣だけで殺した剣士に誰もが恐怖を抱き、畏怖の目を向けていた。誰もが、この地獄のような光景から目を逸らしたかった。夢だと思いたかったのだ。鼻孔を擽る血の臭いも、腐臭を放つ死体の香りも、溶けて食い散らかされた無残な死体も、全て夢だと信じたかった。現実を、受け入れられなかった。


 今宵の空は美しい満月が昇り、冷たい風が吹く夜だった。

 凄惨な戦場と化した村は静寂に包まれ、先の戦闘の爪痕だけが残る無残なものだった。

 振り返らない。省みない。賞賛を求めない。この子が無事であれば何も要らない。

 

 傷ついた剣士は少女を背負い家路につく。丘の上の小さな家へ、ゆっくりと、歩きさった。

 

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