某島の人魚

刻露清秀

某島の人魚

 八月某日、許可を得て某島への民俗学的調査を行ふ。天気快晴。湿気多く、立っているだけで溶けてしまひさうな暑さであった。


 ここらでは浜人魚と謂へばのことである。即ち海に潜って魚をもり、それを売り歩く一族を意味して居る。浜人魚でない住民は漁をせず、魚介類は浜人魚の頭に載せてくるものを買って居る。人魚というが足は二本あり、見た目は常人とそう変わらない。唯一、頭頂に盆のように平たい箇所があるが、これは重い魚やら貝やらを常に頭の上の籠に載せて歩いているからに他ならない。浜人魚の頭には、重い魚が沢山載せられ、その所為か頭はいつも重そうに傾いてゐる。


 ある婦人によれば、この浜人魚は海中から突然現はれることがある。そしてその海岸に行つた旅人の荷物を奪ひ去らうとする。さうして海に逃がれてしまふのである。浜人魚の元へ嫁に行く子があるかと尋ねたら、あるもんですかときつぱりと答へた。


 また別の説によれば、浜人魚は人肉嗜食者であるとか、或いは人間の生血を好むといふ風な伝聞もある。だが、それは只の噂に過ぎず、島民の中でもあまり信じられていないらしかった。この辺りの人間は皆、昔から「浜人魚」と呼ぶので、「人魚」という呼び名は一般的ではない。


 尚、私は島民の妻となっていた浜人魚を一人だけ見た。その女は頭に白い布を巻きつけ、腰には長い紐を結びつけてゐた。そして顔は白粉を塗りたくったやうに白く、目鼻立ちは整ひ、髪は短く切り揃えられて、何とも形容出来ぬ美しさである。彼女は私を、浜人魚の長の家へ案内してくれた。


 かうして私は浜人魚と話す機会を持つことが出来た。浜人魚達は皆、人間の言葉を解し、話すことが出来る。但しこの辺りの方言と、この浜人魚の使う言葉は少しばかり違つてゐる。さうして、この島に伝わるいくつかの伝説について尋ねて見たところ、そのような風説については、既にこの土地に住む浜人魚も知つてゐるらしく、特に驚く風もなく、若い男が浜人魚に伝わる伝説を教へてくれ、彼は非常に親切丁寧に、私の質問に対して色々と答えてくれた。


 彼の話をまとめるとかうなる。


 その昔、この島には人魚だけが住んでいた。彼の説明によれば、浜人魚の先祖は元々海の中に住んで居て、上半身が人間、下半身が鱶の姿をしていたらしい。それがある時、嵐に遭いある船が転覆し、多くは溺れ死んだのだが、それ以来船員達が島に住むようになつた。これが今の島民の祖先である。やがて島の周辺には多くの島々が出来た。これらの島々もまた、海の底にあったものなのである。島民は大いに繁栄した。


 島民と人魚は最初は仲良くしていたが、強欲な人魚の一人が、島は元々彼らの物だから島民は全て追い出そうと言い出した。賛同者を得て良い気になったその人魚は、海の女神にかう願った。


「奴らとの戦いに力を貸せ。望みの物はなんでもくれてやる」


 すると女神は、願いを聞き届けようと言った。人魚たちは島に火を放ち、更には船底に穴を開けて、島民のほとんどを殺してしまひ、生き残った僅かな人々は、何とか島を脱出しようと努力したが、水の中で生きることの出来ない彼等にはどうすることも出来なかった。だが、人魚の中にも彼らの味方はいた。そんな人魚たちは、血気盛んな同胞を苦々しく思っていた。


 海の女神と契約した人魚は、すっかりいい気になって、女神との契りなど忘れてしまい、氏族と放蕩の日々を過ごしていた。だがある日、その男と氏族たちは、下半身の激烈な痛みにより目を覚ますことになる。海の神との契約は、鱶の下半身を失うことだったのだ。かうして氏族は人間として暮らす他なくなり、島で島民とともに暮らすこととなった。


 これがこの島に浜人魚の住む由来だといふ。俄には信じられぬが、興味深い伝承である。


 浜人魚に、今も彼らと先祖を同じくする人魚が住むという海に連れて行ってもらった。浜人魚は彼等を沖人魚と呼ぶ。かつて島民に味方したという沖人魚には残念ながら会えなかったが、彼らが住むという海は、夏の茹だるような暑さの中で一層蒼く、怪しく輝いていた。伝承といふものは誠に興味深いものである。伝承を聞いた私には、某島の海はもはや、人魚の棲家以外の何者にも見へなかつた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

某島の人魚 刻露清秀 @kokuro-seisyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ