第11話 ネクタネボの獅子

 ミケルは難なく【魔女の小指】の前へと辿り着いた。この美少年の姿で夜に歩いていれば何かしらの茶々が入るかもしれないと覚悟していたがそれがなかったのが拍子抜けだった。


 夜の【魔女の小指】は昼間にやって来た時とは様相が違っていた。明らかに人が多い。デッカーたちを案内した受付魔女の姿はなかった。


 ミケルは身体を分散させてギルド内部へ侵入すると【シュヴァルツ・コリダー】のギルド本部である地下道を歩いたように【魔女の小指】の館を歩いた。


 そして広い中庭の中央にある台座の上で瞑想をしているソフィアを見つけ出す事が出来た。


 台座の四隅にはキャンドルが火を灯していて甘ったるい香りが辺りに漂っている。そして外は風が強く吹いていて木々やギルド旗が靡いているのにこのキャンドルの火は全く揺らいでいない。台座の後ろにあるピーニャと呼ばれる松ぼっくりの大きな銅像が変に存在感を放っていて夜空に浮かぶ月光を反射させて鮮やかに輝いている。


 台の上で座っているソフィアは両手を広げて目を閉じている。ミケルはその前まで黒狼の姿でやって来た。後からホウラーヒッシュの姿や蜘蛛、蛇の仲間たちがやって来て黒狼の中へと溶け込んでいく。


 ソフィアが気付いているのかいないのかミケルには分からなかったが、恐らくは気付いているだろうと思っている。


 風も吹かないその場所は完全に沈黙していた。


 そしてソフィアが口と眼を同時に開いた。



「招かれざる獣が一匹」



 黒狼の姿のままでいるミケルはソフィアを凝視している。



「転生者か?」



 ソフィアが驚きに目を見開いた。それはこの獣が言葉を発したからか、あるいは転生者という言葉の為かは分からない。ただその問いかけからソフィアの態度はがらりと変わった。



「ええ、転生者、よ。どこで知ったの? その言葉を」


「生まれる前から知っている」


「生まれる前から?」



 ソフィアは立ち上がった。手にはいつの間にか鞭が握られている。


 「黒狼」と彼女がゆっくりと呟いた。ミケルはデッカーとして呼び出された時に「そんな強い黒狼、見てみたいものだわ」と言ったのを覚えていて見せてやっただけに過ぎない。



「最近、この都市と森を騒がせているのはあなたかしら?」



 ミケルは答えなかった。

 戦うのに黒狼の姿は相応しくないように思われた。少年の姿も相応しくない。


 では、いったいどんな姿なら良いだろうか。



『我々は人間だ』『そうだ、人間だ』『人間のままで、人間を殺すのだ』『使命を全うするのだ』『我々の憤怒、我々の叫び、我々の苦しみ、全てを主張する人間の姿であらなければならない』



 するとミケルは黒狼の姿から人間の、特に男性の青年の姿へと形を変えた。黒狼でもあり、鹿でもあり、ドラゴンでもあり、蛇でもあり、デッカーでもあり、ミケルでもある。名もなき獣であるが故に彼らは確固たる実体がない不安定な獣だった。



「何者なの、あなた?」



 ≪憤怒の炎≫が燃えていく。


 ルーク・ラシュッドもこの獣に問いかけた。そして今、ソフィアも同じように問いかけている。答えは明白だったが根拠はほとんどない。やはり彼らは自分たちが人間であるという自覚以外の人間性を全く持っていないのだった。


 だからこそこの獣は虚勢めいた叫びをあげる。



「「「「「「「「「我々は人間である!!!!!!!!!」」」」」」」」」」



 その叫びを聞いたソフィアは笑っていた。


 鞭を両手で持ってぱしんと乾いた音を響かせると詠唱を唱えて召喚陣を台座の上に展開させた。


 そしてヒリーヌが言った猫がそこに現れた。それは猫と呼ぶには余りに巨大すぎた。



「ネクタネボの獅子」



 召喚の波動が中庭を揺るがせて館を震わせた。


 獅子の唸り声がミケルの耳に届いた。とても強い獣だ、それも魔獣ではなく神獣の類だろうとミケルは思った。青年の姿になったミケルをその獅子が見下ろしている。その大きな身体はミケルの獣のように黒かった。漆黒と言うには薄すぎて黒と言うには濃すぎるその黒は黒炭のような色をしている。


 召喚の波動を感じ取ったギルドの仲間たちがソフィアに助太刀するために集まって行く。


 それぞれが魔獣を使役していてシャアフニーギィの背に乗って上空を旋回しているリーナと言う魔女、ブーザウザという巨大な百足を使役しているリジーと言う魔女、ヴェローガイスという悪霊を使役しているメリア、ライナーワスという水の精霊を使役しているあの受付魔女のニクシーがそこに集っていた。


 ミケルは武器を持っていない。素手で闘うしかない。


 ソフィアが鞭を振るうとまたぱしんと乾いた音が鳴った。


 するとネクタネボの獅子がミケルへと襲い掛かって来た。


 神獣の牙がミケルへと迫って来たがそれを交わすとその胴体に拳を喰らわせた。重くて鈍い感覚が全身に伝播するように伝わった。体勢を立て直す獅子を見ていると上空のシャアフニーギィの無数の羽根がミケルへと降り注いだ。


 全てを避けきるとその隙にまた獅子が襲い掛かって来る。ミケルはこれも拳で迎え撃つがその後にもブーザウザの毒液が吐かれて追撃が出来ない。


 獅子を中心に連携を取って【魔女の小指】の者たちは闘っている。



「さあ、さあ、さあ。いったいどこまでもつかしら!」



 「やっておしまい、ネクタネボの獅子よ!」と彼女はまた激しく鞭を振るった。



 獅子はそれほど速い動きではない。ミケルは下半身を鹿のそれへと変えて機動力で上回ろうとした。ただどれだけ機動力で上回ったとしてもこの獅子の身体に傷を付けるのは不可能だった。


 この獅子はとても頑丈な身体をしていた。それは神性と獣としての資質が合わさっての防御だろうと考えてミケルは早急に打開策を立てる必要に駆られた。


 両腕を最も攻撃力のあるドラゴンのそれへと変えてミケルは闘った。その鋭い爪は獅子の肉体に多少のダメージを与えていたが切り裂くほどではない。


 メリアが振るうヴェローガイスの攻撃はミケルには全く効かなかった。≪独立した誕生≫で確たる精神と肉体を獲得しているミケルにヴェローガイスの精神攻撃は全く無力だった。


 多くの点でミケルは優位を感じていたがこのネクタネボの獅子を相手にしている時には次なる強烈な一手が思いつかなかった。


 ただ徐々にミケルの優位は増している。援護する者たちの攻撃は完全に無力化させているし、獅子の攻撃もミケルにいかほどのダメージも与えられなかった。


 上空を旋回しているシャアフニーギィの足を掴んで取り込むと≪鋭い羽根≫、≪闘いの気性≫を獲得した。


 振り落とされたリーナはまた新しいシャアフニーギィを呼び出して更に上空へと飛び上がって行く。



「取り込んだの?」



 ソフィアがミケルの取り込みを見ると獅子に気を付けるように叫んだ。



「ネクタネボの獅子よ、その獣の攻撃には気を付けなさい!!」



 ドラゴンの翼を背中から生やして飛び上がると獅子へ向けて羽根を放った。


 羽根は獅子の肉体を傷もつけられずに弾かれて地面に落ちていくだけだった。


 強すぎる肉体だった。だが、それが返ってこの状況の打開策をミケルへ教えたかもしれない。


 ミケルは次に取り込む標的をメリアの使役するヴェローガイスに定めた。



「皆、離れなさい!」



 ソフィアが警告するがもう遅かった。


 ミケルはヴェローガイスを取り込むと≪幽霊の手≫、≪未練ある魂≫を獲得した。


 そしてそれを使ってすぐにミケルは獅子を攻撃した。精神攻撃なら効果があるかもしれないと思ったのである。


 獅子は、精神攻撃耐性は無いようだった。明らかに動きが鈍くなっている。


 ミケルは物理攻撃と精神攻撃を織り交ぜて攻撃を繰りだしていく。


 取り巻きの牽制もシャアフニーギィの羽根の投擲を使えば問題はなかった。


 ミケルは力を溜めていた。≪憤怒の炎≫が力を増幅させていく。右拳を力強く握り込むとそれを獅子の頭に叩きつけた。


 一瞬に怯んだ隙に尻尾の根元を掴むと剛力で持ち上げると館の壁へと叩きつけるように投げつけた。


 獅子が叩きつけられると館の外壁は衝撃に酷い音を鳴らして崩れていく。獅子はこれに完全に怒った様子で咆哮した。ミケルの身体までびりびりと伝わる波動がある。



「強い、これまでに闘ったどの獣よりも!」



 ミケルは走り出していた。


 ≪幽霊の手≫を先行させて牽制すると獅子は十分に警戒してそれを避けてミケルを迎え撃つ。まだ戦意を失っていない。


 鋭い爪と牙、重い身体の一撃がミケルの身体を襲う。


 獅子の一撃を受けながらミケルも獅子の身体へ渾身の一撃をお見舞いした。


 互いに怯みながらも体勢を立て直して再び距離を取った。獅子はミケルと闘いながらソフィアを守っている。召喚士が倒されてしまえば現界という事を理解しているのだろう。


 この状況にソフィアは些かも焦っていない。ミケルが考えていたようにやはりこの相手は奥の手を隠しているに違いない。それを引き出さない限り勝利はないだろう。


 獅子の唸り声が耳を突く。それはこの上ない殺気と怒気を含んでいてミケルも身構えた。


 ソフィアが詠唱を再び唱えると鞭が光を帯びて輝いた。それはこの中庭を照らしている月光の光とよく似ていた。


 獅子が咆哮をあげると四肢の下端がゆっくりと輝きだした。それは文字が書かれていて浮かび上がっていく。ミケルには読めなかったがどうやらいよいよこのネクタネボの獅子を本気にさせたらしい。


 ソフィアのスキル≪月の加護≫の恩恵を受けた鞭が振るわれると弦楽器を奏でるかのような美しい音色が辺りに響いた。


 鞭に弾かれたように獅子が突進してくる。


 足の碑文が光っているためか、あるいは本当にソフィアから≪月の加護≫の恩恵を受けたためかは分からないがその突進はこれまでよりも格段に速かった。


 ミケルは避ける暇もなく防御の姿勢からその突進を受けきると勢いを流して獅子を転ばせた。露になった頸を見て好機と思ったミケルは鋭い爪を振りあげるとそこへ向けて振り下ろした。


 が、突如、側面から獅子が体当たりをして来てミケルは吹き飛ばされてしまった。


 空中で体勢を立て直したミケルは二体に増えているネクタネボの獅子を見た。


 碑文が光っている。その黒炭のような黒い体の四肢の下端に青白く浮かび上がる碑文は不吉に輝いていた。

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