第10話 転生者の細い指

 招聘に従ってデッカーとアダルは【魔女の小指】のギルド本部へとやって来た。入口の扉の前でアダルはデッカーを見た。すると彼のなにやら喜んでいるような表情が見られてアダルはぶりぶりと怒った。



「喜んでいるように見える」


「そうか?」


「そうだ、歯なんて見せると怒りを買うぞ。気を付けてよ」


「分かった」



 扉を開けて中へ入ると受付の女性に訪問の旨を伝えると頷いてから奥へと引っ込んでいった。彼女はローブを着ていて魔女らしい恰好をしている。



「こちらへ」



 戻って来た受付魔女に案内されるとある大きな部屋の前へと通された。


 【魔女の小指】のギルド本部内は【ロンドリアンの盾】の装いとは異なっている。薄暗く甘い芳香が漂っていた。部屋の中の装飾も華美で揺らめく蝋燭の火の光に照らされると妖艶に見えた。その趣味がミケルには吐き気がするほど気分が悪かった。というのも彼らの誕生したあの漆黒の空間のような閉塞感が感じられたからである。


 それからいくらかの時間が経ってからデッカーとアダルは先ほどの受付魔女に呼ばれて別の大きな部屋へと入った。


 そこには【放たれる光の矢】、【トリニアクーパー】、【魔女の小指】、【グレゴリウスの網】のギルマスと貴族が四名いた。総勢八名が入室したデッカーとアダルを見ていた。



「デッカーとアダルだね?」



 【放たれる光の矢】のギルマスであるウルリックが口を開いた。どうやらこの男がこの場の進行を行なうらしい。



「はい」



 デッカーとアダルは頷いて改めて所属と名前を言った。


 八名が頷くのが見えた。


 ウルリックと【魔女の小指】のギルマスであるソフィアが紙に目を通しながら話をしている。


 四人の貴族たちは憚る様子もない声で話をしていた。



「アルドスは来ないのか?」


「来るはずがない。こうした事には無頓着だからな。金儲けと女遊びの事しか頭に無い男だ」


「困ったものだな。五候としての役割を理解してもらわないと」


「理解なんかするもんか。本当にそうと望むのならそれなりの報酬を用意しないと来る事は永久にないぞ」



 こうしたやり取りが聞こえていた。アダルはまだいくらか緊張した様子でいる。


 デッカーは歓喜していた。次の標的を見つけたのである。【魔女の小指】のソフィアがそれだった。彼女の姿を見た瞬間に彼の右の胸の辺りが震えるのを感じた。今、この場でも戦闘を行なってあの喉を掻き切ってやりたい衝動をなんとか抑えている。



「事の発端は私のアスレ草の若葉の採集の依頼からって事でいいのかしら?」



 デッカーの歓喜など露と知らないソフィアが口を開いた。その透き通るような声が部屋の中に響き渡ると好き勝手に話していた貴族たちも静かになった。


 アダルが答えた。彼女は都市の中でもトップクラスの実力者である事から貴族やギルマスたちにも顔が知られている。



「はい。その時からフィルハイツェーナの巣の位置の変化など森の様子が変わっていました」



 ウルリックが手に持っている報告書を繰って次のページを開くとアダルに尋ねた。



「黒狼の報告をしなかったと記載されているがこれは何故だ?」


「はい。それについては黒狼を目撃したのが私だけだったからです。その黒狼とも戦闘はありませんでした。なので私たちのギルド【ロンドリアンの盾】で報告したのは正確に報告できる事だけに留めました」



 アダルが答えるのにデッカーは補足した。



「最終的に森の変化の報告だけに留める判断をしたのは私です。目撃証言がアダルしかない事とその気配もアダルしか感じられなかったという事から私が判断しました」



 ウルリックが顎を撫でながら言った。



「二人とも今ではその判断が誤っていると理解しているか?」


「はい、痛烈に認めております」


「はい」



 【トリニアクーパー】のギルマスであるフォルカーが口を開いた。



「過ちであるがそれを認めるのは進歩だ。建設的な話し合いが出来る。私のギルドメンバーからはこの森の調査では積極的に働いていたと報告を受けている。デッカー、アダルよ、森の再調査は本当に必要な事か?」


「必須だと思います。それも早急に進めるべきかと」



 アダルが答えた。

 デッカーはただ頷くだけだった。答える気はない。もうあの森へ黒狼の姿で足を踏み入れる事はないだろうと考えていてそうとなれば再調査などするだけ無駄だとデッカーだけが理解していた。彼はもう目の前に座るソフィアしか見えていなかった。



「アダル、この都市の中でも最たる実力を持っている君が黒狼を見た時の感想を率直に教えてくれ。危険な、つまりはこの都市に住み、そして他の街や村へ行く人々に危害を及ぼす魔獣であるだろうか?」


「その黒狼は恐ろしいほど強い魔獣です。私は見ただけですが遭遇した際には戦闘を避けて逃げの一手しかないと考えています。森の魔獣のフィルハイツェーナとシャアフニーギィの惨状を目にして更に確信を固めました。あれには今、この都市で太刀打ちできる術はありません」



 アダルの見立てを聞いた貴族たちは声を潜めてなにかを話し始めた。



「そんな強い黒狼、見てみたいものだわ」



 ソフィアが言うとウルリックとフォルカーも頷いた。彼らはアダルの話を半信半疑で聞いている。それには彼らの実力もまたこの都市でトップクラスであるという自負からのものもあるだろう。



「黒狼はこの辺りに来た報告はない。初めての報告となる。その棲み処はこの大陸の端だ。凡そ六〇〇〇キロは離れているだろう。そこをやって来たと考えるのは難しい」


「だが、森の惨状を引き起こした者は必ずいる。それも人間でもない。魔獣の痕跡だったと報告されている。もし、あるとするのならその黒狼ではないだろうか?」


「そもそも、黒狼の姿をもう一度だけでも見ていたら話は違っていたでしょうね。どれも正確ではないわ。あやふやなのよ」



 デッカーとアダルはギルマスの四人と貴族たちが話すのをただじっと聞いていた。


 ただどれも意見は合致しているようでしていない。纏める者が必要だろうと思われた。そしてそれは立場的には依頼する者である貴族の方へと求められるのは間違いのない事だった。ギルマスたちもこの都市に住む市民たちに影響力はあるが各方面に力を持っているのは貴族の方が勝っている。貴族が決めた事とされれば市民もギルドの者たちも従う力が宿る。



「では、そうだな。我々、貴族はギルドへ森の再調査を要請する。それも全域で行うように。依頼の遂行はこの場に集まっている四名のギルマスが行なってくれ。報告も詳細に、適宜行なってくれ。良いかな?」



 ギルマスたちは頷いた。


 貴族の面々はそれで解放されたようで立ち上がると部屋を出て行った。



「さて、アダル、きみにはまた調査に同行してもらう事になる準備をしておいてくれ」



 フォルカーが言うとアダルはこっくりと頷いた。


 それからはギルマスたちが話し始めてデッカーたちはただそれを聞いているだけで時間を過ごした。ようやく解放されたのは日が暮れた頃の事だった。


 アダルは肩の力を抜いて息を吐くと困ったように眉を寄せてデッカーの方を見ると「美味しい物でも食べないか?」と食事へ誘って来た。


 デッカーはアダルの誘いの言葉を聞きながら沈んでいく太陽を見ていた。夜にはまだ早い。活動するのは夜になってからでも良いだろう。アダルと共に【鋼鉄のフライパン】の食堂へ向かっている間に如何にしてソフィアと闘うかを考えていた。


 飯時の食堂は混雑していた。ウェイトレスとして出ているヒリーヌはずいぶん忙しそうに働いていて珍しい事に彼女の他にも数人のウェイトレスが客の注文を取っていた。



「やっほー」



 ヒリーヌがデッカーとアダルが入って来たのを見ると席へ案内した。



「聞いたよー」


「なにをだ?」


「ソフィアたちに呼び出されたらしいじゃん」


「耳聡いな」


「えへへへー。素早さが命だからねー。で、どうだったの?」


「なんて事はない。森の調査についてあれこれと話をしただけだ」


「森の再調査をする事に決まった。それも全域調査だ。今度はヒリーヌも呼ばれるだろうな」


「えー、やだなあ。デッカーと組めるなら喜んで行くけど!」


「それはどうだろうな」



 ヒリーヌは馴れ馴れしくデッカーの頸に両腕を巻きつけて抱き着くように身体を密着させた。



「ソフィアはどうだった?」



 ヒリーヌがデッカーに尋ねた。デッカーは一瞬だけ自分の思惑が読み取られた様な気になってヒリーヌを訝しむように見ている。



「どういうことだ?」


「うーん、なにか感じるものがあったかなーって。だって、ソフィアって昔は超美人だって言うからさ。まあ、もうおばさんだけど」


「強いだろうな。確か一級召喚士だったか?」


「アダルに聞いてなーい。でもまあ、そうだよ。私は一回だけ見た事があるんだ。ソフィアが召喚する猫を」


「猫?」


「そ、猫。あれはヤバいね、私だったら絶対に相手しない」


「この都市の中で昔からロンドリアンの詩なんて言われるぐらいだ、実力も相当なものだろう。それにしても猫とはね」



 三人で話をしているとデッカーの背後に巨体が現れた。その影ですっぽりとデッカーとヒリーヌが覆われてしまう。アダルはにこりと笑って「いつもありがとう。料理美味しいよ」と言った。



「へへ、ありがとうな、アダル」



 と低い声で礼を言うのは【鋼鉄のフライパン】のギルマスだった。



「うげっ!」


「ヒリーヌ、この忙しい時にサボるんじゃねえ。仕事をしやがれ。注文を取ってきな!」



 子猫のように首根っこを掴まれて片手で持ち上げられるとヒリーヌは全く抵抗しないで運ばれて行った。


 それからすぐに少しだけ早い夕食が運ばれて来た。


 食べ終わってもまだ時間があった。アダルが「久しぶりに酒でも飲まないか?」と提案するのでデッカーは時間を潰すために彼女の酒に付き合うのだった。酒の味も酔いもデッカーにはどんな影響も与えず、ただ少しだけ期待していたのが裏切られて彼らはいよいよ飲食に意味を見出さくなった。


 そして夜がやって来た。


 アダルは程よい酔い方をしていて自宅のベッドで眠っている。


 家を出てデッカーはミケルの美少年としての姿に変えると満を持して【魔女の小指】へと向かって歩き出した。


 頭の中ではヒリーヌの言った猫の事が思い出されてそれが楽しみとなっている。少しくらいの抵抗があった方が張り合いがあるというものだ。それに奥の手というものは誰だって最後まで持っているものである。


 ミケルを構成する全ての魂が訪れる歓喜の瞬間を期待してそこへ向かっている。

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