第9話 都市の穴熊は勘が良い


 夕刻にべルティーナとイデリーナがデッカーの家を訪ねて来た。



「ね、今日の夕飯はみんなで食べない?」


「そ、私たちそう言って相談してたの。良い案じゃない?」



 訪ねて来るなり招いても居ないのにずかずかと家の中へと入って来てソファに座った2人が言うとアダルは賛成してデッカーに「行こう」と言った。


 デッカーもそれに頷いて了承するとさっそく家を出て行った。ハリソンとハドマーも呼ぼうと彼らは2人のアパートにも寄っていく。ハドマーが留守だったのでハリソンを新たに加えると一行は【鋼鉄のフライパン】へと入って行った。


 元気な看板娘であるヒリーヌが注文を聞きに来た。



「森の調査が大変だったんだってね」



 「お疲れさまだねー」と注文を聞き終えたヒリーヌが【ロンドリアンの盾】の者たちを労う。彼女はデッカーの後頭部に顎を置いて全身を凭せ掛けて話を続けた。それを見ているアダルはずいぶん苛立った様子を隠さないでいるがヒリーヌは気にしていない。デッカーも考え事をしていてヒリーヌに何も言わなかった。



「そうだよー、本当に大変だったんだから」


「今日はサービスしてもらえるように言っておくよ」


「やったー」


「うんうん。デッカー、嬉しい? サービスしてあげるんだよ?」



 ヒリーヌが尋ねるがデッカーは答えなかった。尋ねられているのに気付いている様子さえない。



「なにか真剣に考えこんでるねー」


「もう、デッカー!」



 べルティーナがデッカーの腕を突っついた。



「ん、なんだ?」


「ヒリーヌがサービスしてくれるってさ。森の調査のお礼にって」


「そうか、ありがとう」



 気の無い礼にヒリーヌは気を悪くした様子もない。また店の奥からヒリーヌを呼ぶ声が聞こえて来て彼女はため息をつきながら引っ込んでいった。


 それからは和気藹々とした食事が行なわれた。ほどよく腹を満たすと一行は疲労も相俟ってすぐに解散となった。デッカーも自宅へ戻って行く。アダルはそれに付いて行った。彼女はほとんどの時間をデッカーと共に過ごした。夜、寝床に入ってからもアダルが傍に居て腕を組んでくるのでベッドを抜け出すのは容易ではなかったが身体をいくつもの個体に分離させてそれらを夜の街へと放った。


 夜の街は静かとは言えなかった。音はほとんどしない。会話が交わされている訳でもない。ただ人が以前よりも多くて騒々しさは増している。


 夜闇の街に相応しい姿でミケルは活動を始めた。下級層の街を行く彼らは蜘蛛の姿や蛇の姿で街を調べ上げていた。人間たちはそんな獣の姿に気付く事なく話したい事を望むままに話している。ミケルの分離した個体たちはそれを全て聞くのだった。


 いくらかあの目撃者の事を調べたが情報源は厳しく管理されているらしくほとんど情報は得られなかった。ただやはりあの美少年の姿にならなければ見つからないという優位は揺るがない。まだミケルに分がある。


 6人のギルドメンバーが殺されてしまった【シュヴァルツ・コリダー】は犯人捜しを続けている。ミケルはこのギルドの数人が夜に道を歩いていた少年を捕まえて痛めつけたという話をいくつも耳にした。現にミケルが街を徘徊している間にも【シュヴァルツ・コリダー】の者たちに少年が引っ張られていくのを見ている。


 【シュヴァルツ・コリダー】はどうやら地下道にギルド本部を構えているらしい。


 彼らのその在り方がミケルの気に入った。地下道へ入ると水の音が聞こえて来た。人の気配が確かにある。十数人はいるだろう。


 ミケルは更に身体を分散させて新しい姿を取り出した。鹿、黒狼、蜘蛛、蛇の姿で地下道を駆けていく。


 入り組んだ地下道の中で生活しているギルドの者たちはそれなりに生活を整えているようだ。松明やランプを使って暗い地下道の中を照らしている。ネズミがミケルに怯えて逃げ出していく。


 そしてようやく【シュヴァルツ・コリダー】のギルマスの居る場所へと彼らは辿り着いた。


 【シュヴァルツ・コリダー】のギルマスであるブロックは大きなぼろぼろのソファに座って酒を飲んでいた。彼の両脇にはギルベアタとリンダという女性がいた。護衛にはひとりのコアトという男が控えている。


 蜘蛛が全ての獣にブロックの位置を報せた。


 地下道の天井の隅に潜んでいる蜘蛛は彼らの観察を続けた。するとケレンという男がやって来てブロックに報告した。



「ブロック、地下道を数体の獣が走ってる!」


「獣だあ?」


「ああ!」



 「鹿と狼と蛇がいる!」とケレンが続けているとコアトは近づいて来る鹿に気が付いた。



「鹿だ」



 その後ろには狼も蛇もいる。



「なんだあ、こりゃあ」



 ブロックの目の前に現れた獣の一団を見てブロックは訝しんだ。



「ホウラーヒッシュだ」



 ギルベアタが鹿を指さして言った。



「ホウラーヒッシュ?」


「うん、私は北方の出身だから分かる。間違いないよ、北方の雪国に住む強いモンスターだよ」


「そのホウラーヒッシュがなんでロンドリアンのこの地下道なんかにいるんだよ?」


「わ、分かんないよ」



 ブロックは「けっ」と言ってギルベアタの頭を叩くと獣たちに向き合った。



「何か用か?」



 そうして尋ねるが言葉を解すはずのない獣に尋ねる自分の行動が可笑しくなってブロックは変に乾いた笑いを浮かべた。


 ミケルは交渉する余地があると見て【シュヴァルツ・コリダー】が十分に使える連中の集まりだと理解した。そしてこの中に転生者はいない。


 獣の姿からミケルのあの美少年の姿へと変えた。それはトリフォンの古い農夫の服を着ている。


 その姿を見たブロックたちは息をのんで驚いた。



「犯人が乗り込んで来やがった」



 ブロックが言うとコアトが腰に下げていた2本の短剣を抜いて構えた。



「止めておけ、争うつもりはない。聞きたい事があるだけだ」



 6人の仲間を殺した犯人がギルド本部に乗り込んで来て争うつもりはないと言うのを聞いてブロックたちは憤慨した。


 コアトが短剣をくるりくるりと手慣れた扱いでミケルに近付いた。ブロックへと無警戒で近づくミケルの死角からコアトが襲い掛かった。


 背が高く細いコアトは小さなこの美少年の右上から短剣を振り下ろしたが、その切っ先は肉を貫く事はなかった。ミケルの右肩が鹿の頭に変化して角にコアトの腕を取ったのである。角でコアトの腕を絡ませたまま鹿が頭を振るうとコアトの身体は地下道の壁に叩きつけられた。


 酷い音がした。細いコアトの身体は簡単に持ち上がったし、この衝撃に完全に身体が麻痺して立ち上がれないまま呻いている。


 ブロックが次の行動に移る前にミケルが口を開いた。



「転生者を知っているか?」



 虚を突かれてブロックの動きは止まった。



「転生者?」


「そうだ、知っているか?」


「知らねーよ」


「そうか、なら調べろ」


「なに言ってんだ、てめえ。命令できる立場だってのか?」


「死にたくはないだろう?」



 ミケルは激しい闘志を表してブロックたちを威圧した。手足となって働いてもらうために傷を付けるのは避けたいし、戦闘となればそれはすぐに終わってしまうほど実力差はある。手加減をしようにも彼らの抑えた力でも人間の身体は脆過ぎた。


 その威圧にブロックは押されたわけではない。仮にもひとつのギルドのギルマスである彼はこうした局面を切り抜けてきた経験があるがそれが無に帰してしまうほどの憎悪がこの小さな少年の瞳に宿っているのを見て怯んだのだ。



「ふざけやがって」



 ケレンも武器を抜いた。ブロックが頷くのが見えたのでミケルは彼も襲い掛かって来るだろうと思ったが身構える必要を全く感じなかったので立ったままで居る。


 コアトも立ち上がった。ギルベアタとリンダは怖がって端の方で身を縮めている。


 ただコアトはすでに戦意が削がれていて後退っているのが分かった。



「転生者は権力者になっている可能性がある。もし見つけたら俺に教えろ。殺すつもりだが、その後の権力はお前らが好きにするが良い。この都市の権力者、中でも転生者である可能性のある者を俺に教えろ。俺が調べたところでは貴族に一人いる」



 「分かったか?」とミケルは続けた。



 ブロックは何も言わなかった。


 またミケルは獣の姿に戻って身体を分散させるとブロックたちの住居を我が物のように歩いて地下道を出て行った。


 デッカーの姿で家へ戻るとベッドで寝ているアダルを見やってから彼はソファに座って眠りに就いた。ただ彼らは眠らない。眼を閉じているだけである。


 起床したアダルがギルド本部へと行こうと言うのでデッカーもそれに付いて行った。彼は夜と昼の行動を完全に分けていた。アダルはまだデッカーの身体がミケルに奪われているという事に気付いた様子ではない。完全にデッカーだと思っている。


 このままの生活を長く続けるつもりは全くないが、今の生活が彼の様々な目的を達成するのに便利だと考えている。


 ギルド本部に着くとヘルマがデッカーとアダルを呼んだ。なにやら慌てている様子だ。



「デッカー、アダル!!」



 そちらの方へと行くと奥の方から【ロンドリアンの盾】のギルマスであるリオニーが出て来た。神妙な表情で二人の顔を見ている。



「二人とも、何をしでかしたんだ?」



 尋ねられてデッカーとアダルは目を合わせた。全く心当たりはない。



「なにがあったんだ?」



 アダルが尋ねるとリオニーが腕組をして二人に言った。



「ソフィアたちから呼び出しがあったんだ。つまりは招聘だが礼儀を尽くしてくるとは限らないぞ。ソフィアたちが呼ぶという事は貴族からの呼び出しと同義だ」



 アダルは事態の悪さを理解しているようだ。それだったがデッカーは喜んでいる。向こうから招いてくれるとはありがたいと考えていた。

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