第12話 奥の手は誰もが隠し持っている


 二頭に増えた獅子を前にミケルは笑った。


 獅子はミケルの左右に展開するようにゆっくりと歩いて行く。


 ミケルが右に展開した獅子の方を見た瞬間に左側の獅子が目の前まで迫って来た。爪が襲い掛かってくるが間一髪のところでそれを避けるとまたもう一方で右の獅子がまた別に爪を振るった。


 その全てを避けてしまうと近付きすぎた右側の獅子の胴体に横から体当たりをすると左側に居た獅子も巻き込んで押していく。


 2頭が体勢を立て直す暇も与えずにミケルは隅の方へと押し込んでいく。踏ん張ろうとする獅子たちが爪で地面を削っている。遂に館の壁に押し付ける事が出来てミケルは飛び上がって距離を取るとそのまま渾身の力で蹴り込んでいく。


 轟音が響いて館は半壊した。それでも獅子はその一撃を受けきった。


 手負いの獅子ほど恐ろしいものもないだろう。益々怒気と殺気を孕んでいく獅子はミケルへと再び突撃した。


 2頭に増えたところでやる事は変わらない。ヴェローガイスで牽制する事は欠かさないミケルはこの獅子との戦闘に慣れだしている。


 そしてミケルの攻撃に獅子が怯んだのを見て取った時にシャアフニーギィを取り込んだ時のように獅子を覆ってしまった。ミケルは獅子のうちどちらを取り込むべきか迷ったが最初から闘っていた方を取り込むのに選んだ。


 獅子を覆ってしまうとソフィアが叫んだ。



「マズい!」



 黒々とネクタネボの獅子を覆ってしまうとこの神獣のスキルを獲得した。その肉体も魂さえもミケルの中へと取り込んだのである。≪頑健なる肉体≫と≪刻まれた碑文≫がこの獅子が保有していたスキルだった。


 ソフィアは残っていたもう1頭を送還した。そして援護に付いていた仲間たちをチラリと見て顎を動かすと退くように指示を出した。


 月の光が輝いている。≪月の加護≫によりソフィアはパラメータを増加させている。


 ミケルは余裕の表情でソフィアへと近づいていた。すでに姿を青年の形に戻している。



「その余裕、気に入らないわね」



 ソフィアは鞭に魔力を溜めていく。それはネクタネボの獅子を召喚した時の魔力を大幅に上回っている。


 ミケルは待っていた。ソフィアが言うようにミケルにはまだ余裕がある。全力を出そうとしているソフィアの全てを迎え撃つつもりでいる。


 そしてソフィアが強く鋭い眼でその余裕を打ち砕かんと決意を込めた鞭を振るった。



「マハマユーリ」



 ソフィアの召喚に応じた魔獣は魔獣と呼ぶには神性が強すぎた。ネクタネボの獅子と同じように神獣の類なのは間違いない事で獅子よりもその神性は強かった。


 強すぎる神性の力に場が浄化されていく。魔獣の痕跡は跡形もなく消え去って行った。ブーザウザの出した毒液の残滓が蒸発するように消えて、シャアフニーギィの突き刺さった羽根は焼かれたように炭となって流れて行く。


 魔性の要素を持つ物のことごとくが消滅していく場は今、まさにこの孔雀の姿をした神獣の独擅場だった。


 翼を大きく広げるこの神獣は優し気な表情でミケルを見つめている。その陰にソフィアが立っているのが見えた。まるでミケルの憎悪も憤怒も受け入れる器がそこにあるかのようで水が溜まる場所を求めるようにミケルもまたその器に収まる事に惹かれていた。


 魂はそれだけで聖性であるからミケルの存在は許されていた。ただそう思う事がミケルにとって屈辱だった。肉体を奪われてなお、魂の在り方も誰かの許しがなければ居られない。そんな虐げられているこの境遇から脱出するための憎悪と憤怒があるのである。それが徐々に萎んでいく。この優し気な面相に当てられて。


 この孔雀マハマユーリの前で≪慈悲の相≫によってミケルの≪憤怒の炎≫は完全に無力と化していた。ただ彼の≪独立した誕生≫がより一層強まって彼に生命力を与えている。



「さあ、やってしまいなさい!」



 ソフィアの命に応じてマハマユーリは≪大神通力≫でミケルの柔軟な身体を圧迫しだした。


 徐々に押し潰されていくミケルの身体は小さくなっていく。ただ彼の生命力はここに来て最大となっていた。ただそれでも前に進めない。マハマユーリに近付く事すら出来ないミケルに攻撃する手段は皆無だった。


 ほとんど塵芥にも等しい粒にされていた。常人ならすでに絶命しているだろう。ただミケルはこの状況においても命を保っていられるのは魂が柔軟な形をしているからである。それでも彼らの全てがここまで小さく圧迫されていくのは気に入らない事でしかない。徐々に憤怒とも憎悪ともつかないまた別の感情が、彼らのある使命感がよりいっそう強まっていく。



『こんなもの、あの暗黒空間の閉塞感に比べれば大したことはない』『同感だ。そして我らは耐え忍ぶだけの存在ではない』『手を打つべきだ』



 大神通力に抵抗する力が徐々に形を成していく。小さな粒となっていたのがごろりごろりと球体が前へ転がり進むようにミケルは少しずつマハマユーリへと近づいていた。


 そして彼の今持てる全ての力を振り絞って彼はまた独力で立ち上がった。


 芥子粒ほどの小さな生命体だったそれが大きくなっていく。二人の距離が近づくとその分だけマハマユーリの神通力も力を増していく。明らかな拒絶だとミケルは感じていた。汚い者の接近を拒否する神獣を前にしてミケルは「俺を見ろ!!!」と叫んでいる。



「神々が人間を生むならば俺もまた神々の生み出した産物だ!」



 そして大きな球体の姿のままでミケルはマハマユーリの前に鎮座した。触れ合わんばかりに接近を果たしたが球体より他の形にする事はこの上ない困難だった。



「マハマユーリ、全力を出しなさい!!」



 ソフィアが叫んで命じた。その声には畏怖が潜んでいるのがミケルには分かった。


 彼女の命を聞いたこの神獣は力を強めるがミケルの方も敗けていない。


 球体から角を出すように一本の指でマハマユーリに触れようとしている。この神獣は神通力を使っている間、全く動こうとしない。


 球体がまた小さくなっていく。伸びる角も歪んで形を保っていない。踏み潰されたような凸凹の球体から枯れ枝のように細々として折れ曲がる複雑な紆余が生じながら徐々に近づいて行く。ミケルを生んだ摂理を良しとした神を恨む、反逆する決心の硬さがこの神獣に接近していた。


 そして遂に角の先端がマハマユーリの胴体へと触れた。その瞬間、ミケルにはどうしようもない壁がそこにあるのを感じた。それは決して神性から来るものではなくこの神獣の大神通力で身を強固に守っているだけに過ぎなかった。ただその壁を打ち破る術をミケルは持たないと痛感するには十分すぎるほど壁は厚い。


 ただミケルはこの壁が強固であるが故に次なる一手を思いついた。あのシャアフニーギィたちを取り込んだ時のように全てを覆ってしまったのである。


 大きな球体が出来上がった。マハマユーリが外へ出るために神通力をまた強くさせているがこの球体の方が柔軟で頑丈だった。


 マハマユーリの絶大な神通力をその球体の中に収めてしまうと外は静かになった。緊張や圧迫感が無くなってミケルは少しの自由を取り戻すとマハマユーリを抑えておける程度に力を残したままで青年の姿を分離させるとソフィアの方へと近づいて行った。


 鞭に魔力を込めて振るうがミケルには効果がない。ミケルは歓喜している。この時を待っていたのだ。


 魔力を帯びて七色に光る鞭を握るとミケルとソフィアが間接的に繋がった。鞭を引くソフィアの顔が恐怖に歪んで、ミケルの顔は喜びに破顔して歪んでいる。


 そしてミケルがその鞭を伝うようにして接近するのでソフィアは鞭を放して背を向けて走り出した。だが、もう手遅れだった。


 次の瞬間にはソフィアの身体はミケルに取り込まれていた。


 喜びの瞬間である。彼を構成する魂のひとつが歓喜に打ち震えてソフィアの身体に張り付いてた。ただもうすでにそこにはあるひとつの魂が入っている。新たに入り込む手段をミケルたちは持っていない。



『ここは?』



 ソフィアはミケルたちに連れて来られたこの暗黒空間に戸惑っていた。その窮屈さに身を、魂を捩っている。



『ここは我らの誕生した場所』


『我ら?』



 すると無数の魂がソフィアこと橘京子の前に現れた。彼女の魂に触れた途端に彼女がどのような人物だったのかが分かった。どうやら交通事故、車に轢かれて命を奪われて転生の機会を得たらしい。彼女の魂がこの空間で取った形はソフィアの形ではなく橘京子の亡くなる直前の記憶の形だった。女子高生らしい制服を着込んで少女らしくこの恐怖にぶるぶると震えている。



『転生者を殺すべく我らは地上に生まれ落ちた』『言う事があれば最後に聞いてやろう』



 ぶるぶると震える京子は泣いていた。



『我らの肉体を奪ったうえで生きる世の中は楽しかっただろう!』『満足したはずだ』『特別な力を持ち、他者を圧倒して今日まで生きて来た。生を十分に謳歌しただろう!』『その終わりがやって来た。訪れるべくしてやって来たのだ!』



 怒りと憎悪を当てられて京子はもう観念して逃げる素振りは見せなかった。



『私だって、転生したくてしたんじゃない!!』



 京子の悲痛な叫びに全ての魂が笑った。大きな笑い声が空間を満たしていくのに京子は心底から怯えている。



『転生者よ、恐らくこれで我らの内の魂のひとつが次の誕生へ向かって旅立っていく。お前に望むのはただひとつだ。歌え、旅立ってゆく魂と未だ旅立てない我らのための鎮魂歌を!』



 そして無数の魂が橘京子の魂を圧し潰していった。霧が消散するように橘京子の魂は消えてしまった。


 ミケルが言ったように彼らの傍を離れてゆく魂がひとつあった。物悲し気に彼らはそれを見送っているがなにやら懸命に激励するような声にならぬ声があった。去り行く魂は疑いようもなく彼らがこれまでに包まれた事のない晴明な光に包まれていた。そしてとても幸福そうだったのである。


 ソフィアが持っていた≪月の加護≫を去り行く魂は持って行った。彼らの内に残ったのは≪誘う者≫と≪独擅場の大舞台≫が残されていた。


 やはりこの復讐には絶望しか生まれない。このロンドリアンという都市にはまだ転生者はいる。次なる復讐を行なうために彼はまた立ち上がらなければならなかった。それが彼らに課せられた使命である。


 戦闘が行われて激しく損傷している【魔女の小指】のギルド本部をミケルは出て行った。

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