第7話 都市の中にある無数の眼

 曙光が城壁の上から射し込んで街を照らしていく。ミケルの小さな体もその光に晒されて白い肌が真っ白な光を反射させて輝くように見えている。人もまばらに増えていた。


 ミケルはデッカーの自宅に戻ろうと脚を向けた。幸いな事に道は覚えている。


 デッカーの自宅の前に着いて扉を開けようとすると自分の身体がまだ美少年のミケルであるのに気が付いてデッカーの姿に創りかえるのだった。


 玄関の扉を開けて中へ入るとアダルはまだベッドの中に居た。


 カーテンを開けて朝の光を部屋の中に入れるとなにを思ったのかミケルは倉庫から食材を取り出してミケル・バシューチェカの両親が作ったようなサンドイッチを真似て調理しようと思い立った。


 パンが机の上に置かれているのがきっかけだったのかもしれない。卵も野菜もある。


 あの味をもう一度だけ感じたい。ミケルはそれを求めていた。昨晩に食べたあの料理と何が違うのだろうか。


 パンを母親が作ったように形通りに切って食材を調理して挟み込んでいく。都合、4つのサンドイッチが出来上がった。それを椅子に座ってミケルは食べ始めた。



「な、なにしてるんだ?」



 アダルが起きて来てデッカーを見るなり言った。



「なにって、サンドイッチを作って食べているんだ」


「デッカー、どうしたんだ? 熱でもあるのか?」



 そう言ってアダルは心底から心配した様子でデッカーの額に手を当てた。


 デッカーは咀嚼しながらその手を払った。



「だって、え?」



 3つのサンドイッチが残っている。アダルはデッカーがすでに衣服を着て落ち着いた姿でいるのを見ると慌てて服を着て椅子に座った。



「こ、これ、私の分か?」



 デッカーがもうひとつを手に取ったので残るのは2つである。そのサンドイッチを指で指してアダルは確認した。デッカーにはどちらでも構わなかった。もう味がしないのを知っている。それさえ知る事が出来たならもう満足だった。



「どうぞ」



 頷くとアダルはとても嬉しそうにサンドイッチを手に取って食べ始めた。



「あ、美味しい」



 アダルは彼女の性格を十分に表すように少し照れて顔を赤くしながら素直な感想を言った。ただその感想がミケルの抱いた感想とは全く異なっていて獣と人間の差を感じるのだった。


 朝食を終えるとアダルがコーヒーを淹れてデッカーに渡した。



「デッカー、本当に美味しかった。私、その、本当に嬉しくて」



 潤んだ瞳がデッカーを見ている。煌めく真紅の瞳の中にデッカーが映っている。ミケルは自身の創り上げているデッカーの姿を初めて目にした。こんな男だったろうかとミケルは不思議に思った。


 アダルから受け取ったコーヒーを一口飲んでもデッカーは味を感じなくてこれ以上に飲む必要がないと思いながらゆっくりとコーヒーを飲み干すのだった。



「さあ、飲み終わったのなら仕事に行こう」



 アダルがデッカーの手を引っ張って自宅の外へと出た。


 ギルドへ行くとそこにはすでにハリソンやべルティーナ、イデリーナが集まっていた。いつもデッカーと組むメンバーが顔を揃えている。


 すると受付嬢のヘルマがデッカーを呼んでいる。



「どうした?」



 デッカーが受付へ行くと彼女は数枚の書類を取り出して話し始めた。



「あのね、昨日の報告をしたらマスターが他のギルドにも情報を共有したの。それで急遽、ギルマス会議が行われて森の調査を行うって事にまとまってマスターが【ロンドリアンの盾】からはデッカーたちが行くようにって言ったのよ」



 ヘルマは「急だけど、行ける?」と続けた。



「行けるよ。な、アダル?」


「無論だ」


「良かった」


「ところで他のギルドはどんなところが来るんだ?」



 ヘルマはいくつかのギルド名を挙げていった。


 どれを聞いてもなんとも思わないデッカーだったのでギルド名を挙げられても分からなかった。


 ただ実力者が来るならそれなりに転生者たちの調査も進められるだろうと思うだけだった。



「行こう。準備をしなくちゃな」



 アダルが促すとデッカーは頷いてギルドを出て行った。


 ハリソンなどギルドに居た顔なじみのメンバーも2人に付いて来る。



「ねー、アダル、今日はすっごい上機嫌じゃない?」


「分かるか?」


「まあ、分かるね」


「実はな、今日の朝はデッカーが朝食を作ってくれたんだ」


「「え?」」



 べルティーナとイデリーナが驚いてデッカーを見た。アダルはそんな報告が仲間に出来るのが相当嬉しいらしい。



「なにどうしたの?」「うんうん、どういう気まぐれ?」



 デッカーは答えるのが面倒で放って歩いて行った。



「もー、怒らないでよー」



 調査隊の出発は今日の午後となっている。出発の時刻を合わせている訳ではないので準備が出来次第それぞれで出発して報告を各々で行うようにと通達が入っているらしい。


 ただデッカーは他のギルドと出発を合わせるつもりでいるのでロンドリアンを出るのは午後に定めている。



「みんな、ライフィガロの森の調査依頼だ。今日の午後にも出発するぞ。それなりに準備してくれ」


「了解」



 デッカーが言うとハリソンやハドマーは頷いて離れて行った。べルティーナとイデリーナもあれこれと喋りながら歩いて行く。


 アダルはデッカーの傍から離れようとしない。



「アダル?」



 デッカーに言われてアダルは少しだけ戸惑いながら辺りをきょろきょろと見回して少しだけ面白くなさそうに顔を曇らせると街の中へと消えて行った。


 そして残されたデッカーはどんな準備をすればいいのかも頭に無いままとりあえず自宅に戻ろうと歩き出した。


 するとその間にいくつかの分離体がミケルの身体に戻って来た。



『調査を行った。やはりギルドと貴族を中心に調べるべきだろう』『転生者という性質上、今の我々がいる下級層に留まるとは考えにくい』『この都市は上級層・中級層・下級層に別れている』『知識と技術を持っている転生者は強い地盤や権力、コミュニティを持ちうる』


『この都市にあるギルドの【グレゴリウスの網】、【放たれる光の矢】、【魔女の小指】、【トリニアクーパー】が力を持っているらしい』『【放たれる光の矢】と【トリニアクーパー】は此度の森の調査に同行するギルドのはずだ』『絶好の機会だ。転生者の有無も調査しよう』


『そうするべきだろう』『いるはずだ。この都市は広く、人の数も多い』『油断するな、転生者同士で手を組まれるのは厄介だ』



 ミケルはこの絶好を機会が訪れたのに天の采配を感じていたが神や運命というものを真っ向から否定し、拒絶して来た誕生はより彼の気を引き締めさせた。もし、彼の身が危うくなるならば調査に行く一行を全て始末する選択肢も用意するのだった。


 家の中にあるそれなりに使えそうな物を揃えるとデッカーはギルド本部に向かった。それは出発を予定していた時刻の少し前の時間だった。


 デッカーが歩いていると人が慌ただしく行き交っている。普段にはない事だったがミケルはそのような事実を知らない。ただ何かがあったのかもしれないと疑うには彼は余りにこの都市に対して無知だった。



「6人だってよ」


「そりゃあ、またずいぶんやられたな」


「【シュヴァルツ・コリダー】の連中が犯人を躍起になって探してるってよ。なんでも【トート】の誰かだと主張してるらしい。【トート】のギルド本部で諍いが起きてるんだよ」


「じゃあ、その6人は全員が【シュヴァルツ・コリダー】のメンバーだったのか?」


「そうだってよ。誰だろうな、あいつらに手を出すなんてただじゃ済まないぜ」



 盗み聞きをしてミケルは事の一端を理解した。6人という数字が彼に与えた考えは当たっているだろう。今日の朝、ミケルを取り囲んだ連中のギルドに違いない。ミケルは【シュヴァルツ・コリダー】の事を覚えておく事にした。使えるかもしれない、あのような者たちで作られたギルドであるのなら。


 【ロンドリアンの盾】のギルド本部に着いた頃、ミケルは都市という場所をようやく面白く感じている自分に気が付いた。人がたくさん集まるこの場所は多くの事が知らず知らずのうちに行なわれていく。


 ギルド本部の中ではアダルとハリソンを初めとしたいつもの彼の仲間たちがすでに集まっていた。デッカーが嬉しそうにやって来たのを見た彼らはリーダーが上機嫌であるのを見て互いに顔を見合わせるとあの森へ再び行くという不安を少しだけ拭う事が出来て明るい顔でデッカーを出迎えるのだった。



「行くか?」


「もちろんだ」



 リーダーがやって来たのでメンバーはギルドの外へ出た。

 彼らが出て行くのを見てデッカーは受付嬢のヘルマにギルド同士の争いの事を尋ねた。ヘルマはギルド間の情報通でたくさんの事を知っている。



「ヘルマ、【シュヴァルツ・コリダー】の事を聞いてるか?」


「ええ、聞いてるわ。6人のギルドメンバーが殺されたって。ナイフとか武器が落ちてたって事だから戦闘があったのかもしれないけれど相手が怪我をした様子じゃないって事よ。【ステッキとルーペ】が現場を調べてるって。気になるの?」


「いや、ついさっき噂話を耳にしたんだ」


「そっか。でも、デッカーたちが帰ってくる頃にはきっと犯人が見つかってるよ」


「そんなに簡単にいくかな?」


「だって、なんでもここだけだけどね」



 ヘルマはデッカーに近付いて彼に耳打ちした。彼女が言うには【ステッキとルーペ】に仲の良い友人がいるらしく確かな情報だと言う。



「あのね、目撃情報があるって話だよ」



 ヘルマは「秘密ね」と笑って口元に人差し指を置いてデッカーに念を押した。



「分かった。でも、森へ向かう間に口を滑らせても帰って来た頃には解決済みの事件の事になるから喋ってしまうかもな」


「あー、ダメなんだ。教えなければ良かった」



 ぷくっと頬を膨らませて怒って見せているヘルマを見たデッカーは彼女の頭をぽんぽんと叩いて「行ってくるよ」とギルドを出て行った。外からアダルがデッカーを呼ぶ声が聞こえて来たのがそうさせた。ヘルマもそれに気が付いて「いってらっしゃい」と彼らを送り出した。


 ライフィガロの森へ向かうのに彼らは前回と同じ方法で向かっている。4頭立ての馬車に乗って揺られているデッカーは目撃者がいるという情報の真偽を考えた。あの夜、6人を殺したデッカーは周囲の警戒を怠っていなかった。彼が調べられる範囲では人の姿がないのは確かである。取り零した記憶もない。そうなると犯人を揺さぶる為に流した情報である可能性も考えられた。いずれにせよ目撃者の言う情報が真偽のほどをはっきりさせるだろう。デッカーは行きの馬車に乗っていながらすでに帰るのがいくらか楽しみになっていた。



「嬉しそうだな、デッカー?」



 デッカーの正面に座っていたハリソンが言った。

 顔を上げたデッカーを隣に座っているアダルが覗き込む。



「そう見えたか?」


「少しだけ、な」


「そうか、だけどそれほど嬉しいわけじゃない」


「私も嬉しくないー。またあの森に行くなんて沈むー」

「楽しみがあればやる気も起きるんだけどなー」



 べルティーナとイデリーナが互いの肩を枕にして眠ろうとしていた。


 それぞれの過ごし方で時間が過ぎるのを待っていた。デッカーの隣に座っているアダルが彼を呼んだ。



「デッカー、黒狼の件を他のギルドの者たちに教えるべきだと思うか?」



 デッカーは「ふむ」と言った切り考え込んで口を閉ざしている。



「私はどちらでもいい。話した所で姿が見えないかもしれないからな。デッカーの指示に従うよ」


「そうだな」



 黒狼の姿を見たのはアダルだけである。どのような事を報せたとしても彼女の主観のみの報告になるに違いない。ミケルは黒狼の姿になる予定はなかったのでミケルの方こそどちらでもよい事柄だった。


 ただやはりあの姿、黒狼の姿を知る者は少ない方が良いだろう。



「まず前回のように森の前で異変を感じたら言えばいい。何も無かったらその黒狼はいないさ」



 アダルは納得してこっくりと頷いた。

 そうしてまた1日半の旅程を過ごして彼らはライフィガロの森へと着いた。

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