第6話 白き城壁を黒く染めてゆく
ロンドリアンという都市は一団が戦闘を行なった森からほとんど2日かかって辿り着いた。
馬への指示はハリソンとハドマー、ハムリン、デッカーが交代して行った。朝に森へ辿り着いてそこを昼過ぎに発った。それから1日後の夜にロンドリアンへと辿り着いたのである。
ロンドリアンという都市は城壁にぐるりと囲まれた堅固な都市だった。城の門の所で通行証を見せると一団の馬車の通行が許可されてようやく彼らは一息ついて安心する事が出来たのである。
「ハリソン、悪いがアスレ草の若葉をソフィア婆さんの所に届けてくれるか?」
「分かった。デッカーは?」
「俺はあの森でのフィルハイツェーナの活発な活動をギルドへ報告して来る」
「心得た」
「デッカー、私も付いて行くよ」
アダルが同行を提案した。断る理由のないデッカーはただ笑うだけだった。
「ハドマー、一緒に行くか?」
「ソフィアの所に?」
「そうだ」
「嫌だよ。爺さんがひとりで行ってくれ」
ロンドリアンの街の中心部にあるギルド【ロンドリアンの盾】の本部へと一団は到着した。
「ふー、終わった終わった。私たちは帰るよー?」
べルティーナとイデリーナは同じアパートに住んでいる。デッカーは手を振って許可を出すと2人の娘はどっちが今晩の夕食を作るのかを決めるじゃんけんをしながら街へと消えて行った。
ハリソンは街の外れにあるソフィアの館へ向かって歩き出した。彼は最後までハドマーとハムリンを睨んでいた。ハリソンの視線に気が付いていないふりをしながらハムリンとハドマーは自宅へと向かって歩き出した。
デッカーとアダルは馬車を片付けるために厩舎へと向かった。4頭をそれぞれ縄に繋いで餌と水をふんだんなく与えるとギルド本部へ向かうために扉を開けた。
ギルドの本部には受付の嬢がいる。
ヘルマという名前の少女だった。胸に付いている名札を読んでそれと分かった。
「やあ、お疲れさま」
「デッカー、お帰りなさい。仕事はどうだったの?」
「うん、いくつかのアスレ草の若葉を手に入れてハリソンに配達は任せてる」
「そう、なら良かった。今朝にもソフィアさんの使いが来て若葉はまだかーって催促が来たところよ」
「そうか、ところでライフィガロの森の事で報告があるんだ」
「報告?」
「ああ、記述してくれるか?」
「ええ、構わないわ」
「森のごく浅い領域でフィルハイツェーナの活動が活発になっていた。外から奥へ向かって凡そ200メートルほどの所で計7体のフィルハイツェーナに遭遇した」
報告しているデッカーの肩に手を置いてアダルが割り込んだ。
「9体だ。自分が撃退した分を忘れてるぞ」
「そうか、そうだったな」
デッカーが笑っているとアダルは仕方がない奴だなと言わんばかりに息を吐いた。
「あと、黒狼の件はどうする?」
「黒狼の件は………」
アダルは悩んでいるようだ。ミケルは出来るなら報告は避けたいところだったのでどうにか誤魔化す方へアダルを説得しようとした。
「正確な報告が出来ないならするべきじゃない。もう少し情報が増えてからでいいんじゃないか? 例えばまたあの姿を見たとか」
デッカーの提案にアダルは同意した。
「済まないな。ヘルマ、それだけでいい」
「分かった。9体と闘ったの?」
「ああ」
「へー、全部倒しちゃったんだ?」
「そうだよ」
「さすがだね、アダル」
「デッカーもひとりで2体も倒したんだ、それも無傷で」
「えー、信じられない」
「こらこら」
「でも、良かった。無事でね、今日はゆっくり休みなよ。森のフィルハイツェーナの件は私がしっかりと報告しておくから」
「頼んだぞ」
報告を終えてデッカーとアダルはギルドの外へと出て行った。
「さて、腹が減ったな」
「そうだな」
「食べに行こう」
「どこへ?」
「街へさ、いくらでも食堂は転がってるぞ」
アダルに連れていかれるままにデッカーは1軒の食堂へ入った。その食堂にはたくさんの人が入っている。ミケルはこれだけの人が集まっているのを初めて目にして些か驚いていた。そこにそれだけの人が集まっていたが転生者の気配はない。
安心して注文をするとウェイトレスの少女が馴れ馴れしくデッカーの肩に腕を置いて凭れて来た。全体重を預けるようにしているのにそれほど重くない。その少女の身体は全てが細かった。アダルが突き飛ばせば軽々しく吹き飛ぶだろう。
金髪を肩で揃えて切っている。短いスカートの中を覗こうとする不埒な男どもが店内には少なからずいた。彼女はそうした男どもをあしらうのが上手かった。
「おい、ヒリーヌ」
アダルにヒリーヌと呼ばれた少女は「んべ」と言って舌を出してアダルを挑発した。
ぎろりとヒリーヌを睨む目が鋭くなった。
「ねえ、デッカー、こんな怪獣を傍に置くよりも私と過ごそうよ」
「遠慮しておくよ」
「もう、ちょっとぐらい良いでしょうに」
デッカーが断ると店の奥からヒリーヌを呼ぶ声が聞こえてくる。
「あーあ、お仕事しまーす」
ギルド【鋼鉄のフライパン】の看板娘であるヒリーヌは一番人気がある。彼女のファンになって店に足繁く通う者までいるほどだ。アダルはいつもヒリーヌがデッカーにちょっかいをかけるのが気に食わないがそれよりもこの店の味を信じている。
腕っぷしもあるヒリーヌだからこそ不埒な男どもを一蹴する事が出来るし、アダルに対しても強気に出る事が出来るのだった。
「困った奴だ」
「まあ、落ち着け」
「デッカーもデッカーだ。どうして何も言わない?」
「いいさ、別に。彼女なりの愛嬌だろう」
「ほーう、じゃあ今度から私なりの愛嬌も示してやろう」
「辛らつだな」
デッカーの指摘に「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向くのだった。
料理が運ばれて来た。デッカーはミケル・バシューチェカの両親が彼に与えてくれたあのサンドイッチ以来の食事である。楽しみだった。
それだったが彼にとって食事はそんな程度だった。全く美味くない。あのサンドイッチの味の鮮明であった事と言ったら言語に出来ない。ミケルはすぐに食事を終えたい気分でいるがデッカーを演じるならばこのまま味のしない食事を続けなければならない。
必要に駆られて演技を続けた。アダルはそんな彼を見つめながら食事をしている。眼が度々合った。
「どうした?」
「べつに」
彼女が頼んだのは貝のパスタだった。デッカーが頼んだのは牛のステーキである。
「それ、少し貰うぞ」
アダルがデッカーの切った肉の一部をフォークに突き刺して攫って行く。デッカーは何も言わなかった。
「ふむ」
アダルは「やはり私も肉にするべきだったかな」と呟いた。なんなら全てをくれてやっても構わないと思っているデッカーだがアダルはそれ以上に手を伸ばして来なかった。
食事を終えるとデッカーはミケルとしてこの都市を調べるために街の中へとふらふらと歩き出した。
「おい、デッカー。これ以上にどこへ行こうって言うんだ?」
アダルが彼の腕を取ってがっしりと組むと「帰って家でゆっくりしよう」と言うのだった。
自宅に入るとアダルは上着を脱いでソファへとそれを放り投げた。手早く素っ裸になった彼女は浴室に入ってシャワーを浴びだした。
デッカーは自宅の中を見回していた。ミケルとしてそこに居る彼はほとんどこのアダルと言う女性を知らない。
シャワーを浴び終わったアダルが出て来た。タオルで髪を拭いている。彼女の肉体は引き締まっていて力強い。エネルギーが充満しているのがミケルにも分かる。
「デッカーも浴びて来い。すっきりするぞ」
促されてデッカーは浴室へと向かった。シャワーを浴びる習慣などないミケルは必要性を全く感じないまま水を浴びている。浴室の壁越しにアダルの気配を感じる。彼女はどうやらソファに座っているらしい。
ミケルはどうにかして自由な時間を確保しなければならないと考えた。夜に睡眠の必要のないミケルはそこで時間を作ろうと思った。
浴室から出るとミケルはアダルがしていたようにタオルで身体の水気を取りながらリビングへと戻った。
彼が戻って来たのに気が付いたアダルはソファの空いているスペースを叩いている。座れと言うのだろう。どうやらデッカーとアダルはそれなりに親密な関係であるらしい。
アダルは下着姿でソファに座っている。ミケルもそれに倣って下着を着てそこに座った。2人とも首に濡れたタオルをかけている。
隅に置かれている燭台の蝋燭の火が開いている窓から吹き込む風で揺れている。その揺らぎをミケルはじっと見つめていた。
そしてアダルが身体をデッカーの方へと凭せ掛けて来た。首を傾けて頭をデッカーの肩に置いて安らいでいる。彼女の温かい手がデッカーの手と合わさった。
ミケルは望みもしないでアダルと静かな夜を過ごした。
まだ夜明けにも達していない頃にデッカーはベッドを抜け出して街へと出た。周囲に誰もいないのを確認してからデッカーの姿からミケルのあの美少年の姿へと形を変えた。
魂を分離させて部隊を作り上げると彼らは使命に駆られて街の中へと紛れ込んでいく。
『転生者を探せ!』『転生者を!』『我らの使命を忘れるな!』
歩きながらミケルは考えた。
『全て転生者と言う者は前世の記憶や技術、特徴を引き継いでいる。ルーク・ラシュッドでもそうだった。ならば、ある程度の実力と地位を築いている者が転生者である可能性が高い。この都市の中でこの2つの要素に合致する者から調べるべきだろう』
『この都市にはギルドと言う組織がいくつもある。その組織に所属する者も転生者である可能性は高い。実力者と言うならばそうしたギルドから調べるべきだろう』
彼らの意向は固まった。
ロンドリアンの街はいくつもの区画に分かれている。これはこの都市の指導者が行なった区分けであるが平等とは言えない。ミケルはまず彼らの住まいがあった下級層の区を渡り歩いて街の様子を把握しようとしている。
この都市は円形に近い城壁に囲まれていてそれはとても高い壁だった。越えるのは容易ではないだろう。常に騎士団が配備されていて都市の防衛に勤めている。
ミケルは迷路のようなこの街をさ迷っていた。傍から見れば迷子として保護する者がいたかもしれないがそうした者はいなかった。いわゆる美少年がまだ夜も明けていない時刻にとぼとぼと歩いているのを見れば良くない予感が頭を過るに違いない。
そしてある街角に差し掛かった時に彼の前を数人の男女が道を塞いだ。彼らは明らかに酔っていた。酒に酔っているのかは分からないが顔色はかなり悪かった。酒を飲んだ火照りのような赤みではなく真っ青で痩せこけた頬をしている。額には影が出来ているが髪で作られたものではなかった。
「どうしたんだい、ボク?」
ひとりの女がミケルに話しかけた。
「こんな時間に、こんなところでさあ」
「へへっ、こりゃあ、良いぜ。高く売れらあ」
ミケルに近付いて彼の腕を取ろうとした男の手を避けると同時にミケルはやり返していた。
見えない一撃をその男の頬へお見舞いすると男は首を異常な方向へ捻じ曲げて崩れ落ちた。
「触るな」
ミケルの右手で殴られた男は絶命していた。傍に居た彼の仲間が男に呼びかけるが返事は無い。
「このガキ!」
ナイフを取り出してミケルを取り囲む。
彼らはタイミングを合わせるために互いの目を見ている。5人の男女に囲まれているミケルはその全員が武器を手にしていても動揺していない。その程度では埋まらない差が歴然としてそこにある。
その余裕を見て取った男たちは少年らしさに惑わされて世間知らずと思い込んで一斉に襲い掛かって来た。
その後、6人の男女の死体がその街路に転がっていた。その死体のどれもが恐ろしい何かを見たような顔で絶命しているのだった。
浮浪者や今、ミケルを襲った男たちのような者が多いのをミケルは見た。その彼らはどれも転生者などではなく己が肉体と魂を合致させて生まれている者たちだった。それでいて幸福そうではないのがミケルには不思議でならなかった。それ以上の幸福はないと言うのに。
故に彼らを殺めたのはその幸福を自覚しない無知への怒りであったかもしれないが、ミケルはなぜ、彼らは幸福を自覚する事が出来ないのだろうかと考えるようになった。
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