第5話 猛る獣の証明

 デッカーは気絶から目を覚ました。


 気絶などいつ以来だろうか。頭の右側がずきずきと痛む。手で押さえると血は出ていないが酷く打ち付けたのが分かった。


 立ち上がった彼はそこが何処なのかを把握しようとした。戦闘の音が聞こえない。彼が気絶する前には仲間たちがフィルハイツェーナと戦いを始めたのを覚えている。自分も腰に下げている剣の柄を手にしたところまでは記憶にあった。


 蜘蛛から予期しない一撃をもらったのか。分からない。彼もフィルハイツェーナと戦闘した経験はある。あれが動く時には独特の臭いから位置が把握できる。ただそれがしなかった。


 蜘蛛ではない、と彼は思った。だが、それだとしたらいったい何にやられたのだろうか。そして仲間たちはどうしたのだろうか。



「くそ、ここはどこだ?」



 悪態をつくとデッカーは空を見上げた。森の奥であるのは変わっていない。上も横も木々に覆われている。そんな右も左も分からない所で無暗に歩き回るのは非常に危険だった。


 戦闘の音が聞こえない。日の傾き具合からまだそれほど時間は経っていないだろうと予想するしかなかった。


 デッカーは声を張り上げてアダルたちを呼ぶ。



「アダル、ハリソン、べルティーナ、ハムリン!!!!」



 返事は無い。恐らくはアダルを初め皆が自分の事を探しているだろうと彼は思った。


 呼びかけるのを止めない。するとデッカーは自分を見つめる黒々とした目に気が付いた。


 その視線の方へ振り向くとそこには一匹の黒狼がいた。小さな黒狼だった。まだ生まれて間もない頃のものだろうとデッカーは思った。



『あれぐらいなら勝てる。だが、襲ってくる気配でもない』



 無駄な争いは避けるべきだ。デッカーはじりじりと後退りを始めた。



「どこへ行く?」



 黒狼が言葉を放った。



「つ、使い魔か?」



 魔獣が言葉を放つとなると使い魔である事しか考えられない。



「この森の中で居場所も把握できないまま当てもなく歩くのは危険だ」



 黒狼は淡々と言葉を放った。それは明らかに彼への言葉だった。



「分かってるさ。そんな事はね」



 デッカーは最大限に警戒を強めた。剣の柄に手を伸ばして何時でも抜けるように身構えた。逃げられないと彼は思った。闘うしかない。



「俺に何か用か?」



 デッカーが尋ねると黒狼は一歩だけデッカーに近付いた。するとデッカーは我が目を疑った。黒狼の姿が徐々に大きくなっていくのだ。遂にはデッカーの背丈を越して大狼となろうとしている。その黒々とした様も漆黒へと深みを増していく。



「な、なんだお前は?」



 怯えるデッカーに尋ねられて黒狼は笑った。人間だと答えるわけにはいかない。ただ彼らは思った。自身がいったい何ものなのかと尋ねられた時にどれだけのものがそれに答えられるだろうか。尋ねているデッカーさえもその答えを持たぬかもしれない。そう思えば可笑しくて自然と笑みがこぼれるのだった。


 そしてこの黒狼の微笑みは怯えるデッカーの臆病を笑っているように思われてデッカーは憤激した。


 剣を抜き放って黒狼へ向けると彼は戦いのために魔力を剣へと集中させていく。



「貴様に用はないが、貴様の肉体には用がある」



 黒狼はデッカーの目で追えない速度で彼の肉体に噛みついた。


 ただ噛みつかれたのに鋭い牙が自分の肉体を貫く感覚がないのが不思議だった。デッカーは初め何が起きたのか分からなかった。ただ自分の胸から下が黒いなにかに覆われている感覚しかない。そして遂にそれに全身を覆われると彼は再び気絶した。


 ミケルはデッカーの身体を隈なく把握した。彼の毛の一本一本に至るまで、皺のひとつひとつまで把握するともう用はなかった。



『こ、ここは何処だ?』


『ここは我らの生まれた場所だ』


『生まれた場所?』


『そうだ。どうだ、心地よいか?』



 問わずとも分かり切っている。心地よさなどない。デッカーは怯えている。恐怖に支配されている彼の心はこの場において全くの無力だった。



『君たちは何者なんだ?』



『『『『『我らは人間だ!!!!!』』』』』



 するとミケル・バシューチェカ、セシル、ルーク・ラシュッドの姿を取り出した。



『ミケル・バシューチェカ』


『知っているのか?』


『知ってるさ。ちょうどこの森を抜けて峠を越えてもっと北上した先にある村にいると聞く大賢者だ。一度、見た事がある』


『そうか、奴を知っているのか』


『彼をどうしたんだ?』


『喰った』



 ミケルが言うとデッカーは逃げようと辺りも構わずに走り出していた。


 彼らがいる内部空間は2つに分裂していた。つまりはデッカーを殺せと言う者たちと生かしておけと言う者たちとで2分されていたのである。



『殺す必要はない』『そうだ、我々が殺すべきなのは転生者だ』『無用な殺人は避けるべきだ』


『馬鹿な事を言うな。この者たちも少なからず生き物の魂を滅して来た者たちだ』『そうだ、躊躇う必要などない』『あの両親との接触で削がれた我らの獣性をここで取り戻すのだ』『復讐には少なからず獣性が必要だ!』



 デッカーはこの争い合う獣たちの叫び声を聞いて最早助かる道はないと思って覚悟を決めるのだった。


 そして彼の性格から立ち向かわずにただ死を受け入れる事の出来ぬ本能から剣を振り上げてミケルへと切りかかった。


 その剣は空を切った。いや、すでに彼の両腕が喰われてなかったのだ。


 デッカーは叫び声をあげた。正気に戻る寸前に彼はまた全てを握り込まれて無数の憤怒と憎悪に燃える魂に押し潰されるとデッカーの魂は掻き消えてしまった。



『『『『『『『『我らの獣性を証明しろ!!!!!!!』』』』』』』』



 森の中で黒狼は目を覚ました。



 デッカーの肉体と魂から2つのスキルを奪い取った。スキル≪レンジャー≫、≪風を読む者≫を得ているが、使えそうにもないとミケルは思った。


 この黒狼の姿はすでにアダルに勘付かれている。姿を変える必要性に駆られてミケルは大蛇へと姿を変えた。木々をするすると上って行くとアダルたちが戦闘を続けている場所へと戻って行った。


 大蛇がそこへ辿り着くとアダルたちの戦闘は残る1匹となっていた。どうやら4体から援軍があって3体増えて計7体を相手にしていたらしい。べルティーナとハリソンが軽傷を負っているだけで後の者はほとんど無傷だった。


 大蛇は樹上でデッカーの姿へと形を変えた。


 そして飛び下りていく時に着地と同時にフィルハイツェーナの最後の1体の頭に止めの一撃をお見舞いした。



「デッカー!」


「もうどこに居たの?」



 ハリソンとべルティーナがデッカーの方へと近づいて行った。


「少し離れた場所でフィルハイツェーナ2体と闘っていた。終わってからすぐに駆け付けたんだよ」



「心配したんだよー」


「済まなかったな。さ、もう出よう。皆も平気か?」


「うん、出よう出よう」



 べルティーナが辺りを警戒しながら先頭を切って行く。



「ハリソン?」


「平気だ。それにしてもどうしてこんなところにフィルハイツェーナがいるのだろうか?」


「うん、もっと奥部なら分かるけど。でも、良かった。襲って来たのが子供でね」


「全くだ。親が来ていたらこれだけの被害では済まなかった。死人が出ていただろう」


「さ、早く。べルティーナの後へ続け」


「それにしてもデッカーもやるようになったね。ひとりでフィルハイツェーナ2体を相手にして無傷だなんて」


「たまたまだ」


「それも実力さ」



 傷ついたハリソンから荷物を受け取ったハドマーが歩いて行くのを見送るとアダルがデッカーへと近づいて来た。



「心配したぞ」


「済まないな。でも、大丈夫だった」


「なら良かった」



 本当に安心したアダルは息を吐いて繋げて言った。



「本当に無傷なのか?」



 それにデッカーは笑って答えた。



「ああ、この通りだ」



 デッカーが腕を広げて無傷である事を示すのを見てアダルは笑うとすっかり安心してべルティーナの後へと付いて行く。



「本当にいつの間にそんなに強くなったんだろう、デッカー?」


「だから、言ってるだろ。たまたまさ」



 森を出る直前にアダルは最後まで残って森の奥の方を覗いていた。


 それを見たデッカーがアダルに尋ねた。



「どうした?」


「いや、フィルハイツェーナとの闘いの最中に黒狼を見た気がしてな。昨日からあった視線の主はあれだろうと思っていたんだが今ではもう感じられない。森の中にいるんだろうか?」


「離れた場所にいたが俺は何も感じなかったな」



 デッカーに扮するミケルはこのアダルには気を付けなければならないと思った。


 森からいくらか離れたところで一団は休憩を取った。まだ余裕のあるアダルは辺りの警戒に専念すると言って立ったままで居る。



「ハドマー、若葉はどれだけあるの?」



 べルティーナがイデリーナから治療を受けつつ尋ねた。



「うーん、そんなに多くないね。全部で8つしかないよ」


「うげー、あんなに苦労したのにー」


「仕方がないよ」


「でも、ハリソン、どうしてあんな森の外に近いところまでフィルハイツェーナが出て来ていたんだろう?」


「分からない。儂もフィルハイツェーナと闘った事は何度もあるがあれだけ森の外に近いところまで出て来た事はない。フィルハイツェーナは木々が密生する場所に巣を作る事を好む習性がある。その習性を活かした巣の特性が発揮されなかったのが我々の勝因と言えるな。もし少しでも木が密に生えていたら蜘蛛の夕食にされていただろう」


「あー、やだやだ」


「終わったわよ、べルティーナ」


「ありがとー。イデリーナ、助かったよー」



 ハドマーがアダルを見た。視線に気が付いたアダルは肩をすくめて言った。



「恐らくだが、私たちを昨晩から監視していた黒狼を警戒してフィルハイツェーナが出て来ていたのだろう。確かにあれが暴れたらフィルハイツェーナでは歯も立たないだろうな」


「黒狼がいたのか?」


「ああ、確かに見たんだ。あれは強い、恐ろしいほどにな」


「うそー、そんな奴が私たちを一晩も監視してたってわけ?」


「そうなるな」


「でも、なんのためだろう?」


「森に入ってからはどうなんだ?」


「監視の目はない。だから安心しても良いと思う」


「それなら簡単だよ。その黒狼は森の中に入りたかったんじゃないかな?」


「森の中に?」


「そうだよ、それで私たちをまず入らせて自分はその間にもっと深奥部に入って行ったの」


「なるほど、先遣隊にされたというわけか」


「そんな賢い黒狼がいたら魔獣の域を超えてるよ。きっと偶然さ」


「むー。ハドマーったらいつも私の予想に賛成しないんだから」


「だって、そんなに賢い黒狼がいたら誰だって敵わないさ。アダルが恐ろしいと言うほど強くってその上にとっても賢いだなんて魔獣としてあり得ないよ」



 するとハリソンがデッカーに尋ねた。



「デッカー、儂らとは離れた場所に居たお前はその黒狼を見たのか?」


「いや、見てないよ」



 べルティーナの視線が助力を求めているのでデッカーは彼女に沿った意見を言った。



「でも、そうだね。その黒狼も森の奥へ用があったのかもしれないよ」



 デッカーが言うのにべルティーナは頷いてハドマーに向かって胸を張った。



「ったく、デッカーはベルティーナに甘いよ」


「甘くなーい」


「デッカー、アスレ草の若葉だけれど全部で8つだったよ。足りるかな?」


「十分だろう。助かったよ」



 一団がいくらか元気を取り戻したのでデッカーはアダルを見た。するとアダルは森の方を一瞥するとこくりと頷いた。



「よし、帰ろうか」



 停めておいた馬車に一団が乗り込む時に4頭の馬は何かに怯えたように嘶くのだった。

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