第4話 人間よ、我を畏怖しろ

ミケルは森を疾駆していた。ひとつの峠を越えるとその先にもただっぴろい森が広がっていた。決して交わらない山々の隆起が人の歩く道を蛇行させた。


 森の中を疾駆していると時折、魔獣と出くわす事がある。蜘蛛に出会った。すると彼らのうちにある魔獣の魂が彼らを求めて姿を変えて主張するのだった。人間だけではない。魔獣の本能で仲間を求める姿は言葉を解さずに制止も聞かない。


 魔獣に身を任せている間に2日が経った。突然に仲間と名乗る明らかに気配の違う者が現れたのに野生の魔獣たちは警戒心を解かなかった。どれだけ交流を試みても拒絶されて迫害されてしまう。


 ようやく人間の魂に身体の権利が渡された。


 ミケルは大狼に姿を変えると再び森を出るために走り出した。


 どこに行っても彼らが満たされる事はなかった。どこに行っても拒絶される。それは分かり切った事だった。


 ただ彼らは彼ら自身によって完成された存在であるのを再認識するのだった。というのも彼らの中には多くの人がいる。男も女も、魔獣さえもいたのである。寂しくはなかった。彼らは彼らが知る限りにおいて知識と本能とを使って満足いくほど会話する事が出来るのだった。そうしていれば寂しさなど覚えなかった。


 ミケルは森を出た。


 平原が続いている。夕暮れが彼らの前にあった。沈む陽の光が彼の身体を朱に染めていく。何を思ったのかミケルはその太陽を目指して走り出した。


 太陽が完全に沈み切ると夜となった。獣の黒々とした姿は夜の闇に吸い込まれるように溶け込んでいる。


 そしてその平原の彼方に光が見えた。いくつかの松明のような物が燃えている。


 ミケルは興味に駆られてそちらの方を目指して走り出した。なにしろレフイの村を出てから初めての人間である。丸々4日間は人間と出会わなかったのだ。そしてその中に転生者がいるならば狩る必要がある。


 松明を揺らしている一団は平原にある大きな岩の周りでキャンプを張っているところだった。


 総勢12名の一団だった。旅の者ではなくギルドの者らしいのが装いから分かった。遠い場所から観察しているミケルだったがその場所からは彼らの中に転生者がいると判断がつかない。どうにかして近づかなければならなかった。


 小さく分離させた身体で鳥の姿を創り上げるとその鳥の姿の魂たちに偵察するように言った。


 鳥の姿になった彼らは翼を動かしてその一団へと近づいて行く。彼らは大きな焚火を作って辺りを照らすようになった。松明を荷馬車の台に設置するとひと際大きくなった。


 彼らの話す声が聞こえて来た。



「全く困ったもんだね。アスレ草の若葉なんてそうあるもんじゃないだろうに」


「そうだよ。なあ、リーダー、どういう目算で引き受けたのさ?」


「3日前にソフィアの婆さんがここから進んだアトレの森でアスレ草がたくさん生えているのを見たそうだ。そこにもしかしたら若葉もあるかもしれないと踏んだのさ。この時期だからな、アスレ草が育つのは」


「なんだ、考えなしってわけじゃないんだな」


「でも、森まで行くのは手間だぜ」


「そう言うな。依頼料は多いぞ。手分けして探すんだ」


「けっ」


「ソフィアの婆さんも適当に言ったんじゃないだろうな」


「あり得るぜ、あの婆さんももうすぐ耄碌する年齢だからな」


「1枚でも手に入れられれば儲けになるさ」


「ソフィアの婆さんも昔はロンドリアンの詩なんて呼ばれる凄腕だったらしいぜ」


「信じられねーな」


「ロンドリアンも大きな都市だ。色んな人が集まるさ」



 彼らの荷馬車の屋根に降り立った鳥は彼らの話を盗み聞きした。この12名の中に転生者はいない。


 どうやら都市があるらしいと分かるとそれで満足して鳥は本体の方へと戻って行く。


 羽ばたく音が12名の耳に届いて鳥が傍に居ると分かった。


 ミケルは転生者がその一団にはいないと知りながら彼らへの興味を切れずに一団を眺めていた。狼の姿をいくらか小さくさせて彼らの傍に潜むのだった。この一団に都市まで案内してもらおうと考えたのである。


 すると12名のうちの1名が彼の眺める視線に気が付いているのか警戒を解いていない者が居るのに気が付いた。リーダーと呼ばれた男のすぐ傍に居る女性だった。引き結ばれた口、じっとミケルの方を見ている鋭い目、赤髪と真紅の瞳が彼女の気質を表している。



「どうした、アダル?」


「いや、気のせいかもしれないが誰かに見られているような気がしてならない」



 アダルと呼ばれた女性が口にしたのに周囲の者たちは気を張りだした。



「いつからだ?」


「分からない。だが、見られている気がする」


「アダルの勘は当たる。どの方向だ?」



 その中で最も年長らしい男が尋ねた。



「私が見ている方向だ」


「みんな、そっちの方は向くな。俺たちに気取られていないと思わせるんだ」


「鳥が飛び去った方向よ」


「荷馬車の上に居た鳥か?」


「うん」



 今度はその中でも最も年少者が答えた。



「ビーストテイマーか?」


「さあね。でも、私たちからどんな情報を盗み取るって言うんだろう?」


「全くだ、貴重な物なんて品も情報も持っちゃいねーのに」


「気を抜かないようにしよう。交代で眠るんだ」



 リーダーが言うのに皆が頷いて交代に眠りだした。


 ミケルには睡眠欲はない。食欲も、性欲も、何もない。ただあるのは復讐する欲のみである。


 そして夜が明けた。


 一団は起きて出発の準備を始めた。



「アダル、まだ視線を感じるか?」


「ある。いるぞ。森に入る時は2つの班に分けよう。周囲を警戒する組と探索してアスレ草を探す組とで分けるんだ」


「賛成だ」


「うん、私は索敵の方が得意だから警戒に回るよ」


「ああ」



 彼らは相談しながら森へと向かった。


 ミケルは遠い場所から彼らを観察していた。それはもしかしたら見守っていると取る事も出来る。というのも彼が昨日、通った森へと彼らは足を踏み入れようとしているからである。彼が出るまで森の中の魔獣たちは一団以上に緊張していたのを覚えている。



「着いたな」


「う、うん」


「早く済ませよう」


「ああ」


「警戒を怠るな」


「分かってる。でも、ちょっとこの森、怖い」


「どうしてだ?」


「なんだかとても緊張してる。入って来るなって警告されてるような」


「歓迎はされないさ。森の財産の僅かを採って帰るんだからな」


「アダル?」


「なんだ?」


「視線は?」


「ある。それにべルティーナの言う事は正しい。この森には長居しない方が良い」


「こんな森だったか?」


「確かにな。ここはかなり広くて森の裾は都市の近いところまで広がってるぞ。そんな噂は聞かなかったんだがな」



 警戒をしつつ一団は森の奥へと進んだ。ただ広い森である。彼らが求めるアスレ草はそれほど奥へと行かずとも採取が可能だった。


 採取する班はアスレ草を採取した。若葉かどうかまで判断する余裕はない。アスレ草だと分かると彼らは手に届く範囲の物は全て採取した。



「デッカー、まだ採取するの?」



 リーダーと呼ばれていた男がべルティーナに尋ねられた。


 デッカーは少しだけ考え込んで言った。



「どれだけ採取できた?」


「これだけだ」



 最高齢の男性がまとめているアスレ草をデッカーに見せた。



「若葉じゃない物も混じってるな」


「ああ、全部もぎ取ってるからな」


「アダル、どうだ?」


「分からない。森の中であまり視線を感じられなくなった。ただ少し奥へ入り込み過ぎているような気がする」


「そうだよ、私は危険だと思う。もう少し外に近いところで探した方が良いよ」


「そうだな。じゃあ、ここからは引き返しながら見つけた物を採っていく事にしよう」


「うん」



 デッカーは高齢の男性を呼んで言った。



「ハリマン、若葉がどれくらいあるか数えてくれ」


「分かった」



 デッカーとハリマンが話している傍でべルティーナがアダルに尋ねた。



「アスレ草の若葉ってどんな効能があるのかしら?」


「自然由来の魔力が多いそうだ。種の内部にある魔力を使って育った茎と葉が次には花と実を付けるために太陽と土の魔力を吸い上げて葉に溜めるらしい。それが最も多いのが若葉の間だそうだ。効能と言うと詳しくないが補助的に作用するらしい」


「へー。アダル、物知りだね」


「これは内緒だがソフィアとは何度か話した事がある。前にもアスレ草の採取をしてきてくれと頼まれた事があるんだ。依頼としてではなく個人的な頼みだと言ってな」


「そ、そうなんだ」



 べルティーナはこの会話内容がデッカーやハリソンに聞こえていないか警戒した。が、どうやら聞こえていないらしい。



「ね、アダル」


「なに?」


「昨日の夜からあるっていう視線はどんな視線なの?」



 べルティーナが尋ねた。どうやら思い切って聞いてみようという勢いがある尋ね方だった。



「気付かなかったか?」


「うん、さすがだなって思っちゃった。どんな性質っていうか、感覚か教えてもらえれば私にも分かるかなって」


「そうだな。冷たいのに中で燻っているといった感じの視線だった。明らかな敵意じゃない。私たちを観察している感じだよ、冷静に、見極めようとしている眼だ」



 アダルが「分かる?」と続けて尋ねるとべルティーナは唇を尖らせて「分かるようになる」と言って周囲の警戒に戻った。


 すると一団のひとりが悲鳴をあげた。


 張り巡らされていた蜘蛛の巣に足をとられたのだ。そして悲鳴が上がった直後に大きな蜘蛛が4体そこに現れた。



「フィルハイツェーナだ!!!」


「4体いる!!!」


「皆、武器を取れ!!!!」



 悲鳴をあげている青年はパニックに陥っていて脚を引っ張り出そうとしているが動かせば動かすほどその脚に蜘蛛の巣が絡みついていく。



「ハドマー、落ち着け!!」



 蜘蛛の巣はその辺り一帯を囲んでいる。ハリマンがハドマーへと近づいて背を叩くといくらか落ち着きを取り戻したハドマーはナイフを取り出して蜘蛛の巣を削ぎ落していった。



「くそ、済まない。ハリマン」


「気にするな。すぐに立て」



 そうこうするうちにアダルがすでに1体の蜘蛛の頭を叩き切っているところだった。



「みんな、固まれ!!!」



 アダルの掛け声に散り散りになっていた12名はそれぞれ傍に居る者たちで組を作った。



「フィルハイツェーナは牙と糸に気を付けていれば怖くない相手だ。相手の動きをよく見て弱点である頭を攻撃すれば問題なく対処できる。数では勝っているんだ、的確に攻撃しろ!!!」


「「「分かった!!!」」」



 アダルはロンドリアンの都市の中でもトップクラスの実力を誇る。彼女ひとりなら4体を相手にしたところで物の数ではない。ただ他の者は手を合わせるしかない。


 ただアダルはその戦闘の最中に一匹の黒狼が走っているを見ている。あれは相手に出来ないとアダルは思った。



『あれには勝てない』



 べルティーナは弓矢を使って頭部を狙った攻撃をした。ハリマンは斧を持って蜘蛛を攻撃している。さすがに年を取っているだけあって彼はこのフィルハイツェーナを相手にして後れを取っていなかった。立ち直ったハドマーは杖を持って魔法で攻撃していた。


 戦闘はそれほど長引く事はなく終わるだろうと思われた。この一団はなかなか統率が取れていて実力者が数人いたからだ。


 そこにデッカーがいない事にアダルだけが気付いていた。

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