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「こんにちは! 子沢勇次さんのお宅ですよね?」


 真っ黒なスーツに同じく黒いネクタイをした、背の低く痩せている坊主頭の、どこに特徴があるとは言えないけれど、その雰囲気が独特過ぎる男は立っていた。


「は、はい……あなたは?」


「私、だい平温へいおんこうの田中といいますが。子沢勇次様の互助会会員のことで伺いました」


 妙にニコニコする年齢不詳の男は勝手に玄関を上がる。


「ちょ、ちょっと!」


 驚く私をよそに、ずうずうしく居間へ入ると、私が眺めていた窓のすぐ前にある椅子へ座った。


「昭和五十四年にですね、一口一万円分をお支払い頂いてまして、この度もし解約されるということでしたら、五千円分返金されます、ということで来ました」


「昭和五十四年に、一万円分?」


 男の斜め向かいに座って、私は繰り返す。


 絶対におかしいだろ、怪しすぎる。そんな四十年以上も前に一万円を払ったかどうかの話なんて、ありえるだろうか。わざわざ五千円を返金するために、この男は来たっていうのか。


「はい。解約されるということであれば、返金がありますので。この書類に署名して頂ければ」


「……そうですか。ちょっとその用紙、見せてください」


 男は何かの用紙をクリアファイルから出し、ちらつかせるが、なんとなく隠しているように見える。それで私が手を伸ばすと、男はそれを瞬時にクリアファイルへ戻した。


「で、どうします? 解約しますか? それなら署名を頂かないと」


「いや、だから、その紙を見せてくださいよ! それにおじいちゃんは本当に、一万円を払ったんですか? 受領書というか、そういう証明書とか、ないんですか?」


「えぇ、一万円支払われていますよ。どうしますか? 解約しますか?」


 男はブレない。なんの迷いもなく同じことを繰り返してくる。


 平気でニコニコしたままで、こちらの心が折れてしまいそう。


「あの、ちょっと伯母に電話してみますから、待ってください」


 言いながらスマホを取り出し、電話帳を開く。少々震える指先に男が気付いているかもしれないと思うと、さらに緊張は増す。


 呼び出し音がしばらく鳴って、伯母は電話に出た。


“もしもし、みーちゃん? 何かあった?”


「あっ、おばちゃん!? あの、互助会の人が今訪ねて来てて、おじいちゃんが四十年以上前に一口一万円で会員になってたとかで、解約するかって話なんだけど……」


“え? 互助会? そんなの私も知らないけど……その人、そこにいるのよね? 代わってくれる?”


「あっ、うん。ちょっと待ってね」


 私は男にスマホを渡す。男もすんなり受け取った。


「もしもし? 私、台平温香の田中と申します。えぇ、勇次様が昭和五十四年に……はい? あぁ、お花のことですか? えぇ、えぇ……」


 相変わらず男はニコニコした顔を崩さず、のらりくらりと話しているが、電話の向こうで伯母は怒鳴っているようだった。ただ、私には伯母が言っていることまでは聞こえてこない。


 そのまま男は立ち上がりテーブルを離れると、おじいちゃんの寝ているベッドの脇に立った。


「解約ということですと、ご本人様に署名を頂かないといけませんので、今、そこで眠っておられますけど、起こしたらいいですかね?」


 なんてことを言い出すんだ。せっかく静かに気持ちよく眠っている老人を、たたき起こすのか。それに起きてしまってその後、私はどうしたらいいんだよ。


「ちょ、ちょっと待ってください! 伯母も母もすぐそこのスーパーに行ってるだけなんで、すぐ帰ってきますから! それまで待ってください!」


 慌てて男からスマホを取り上げ、私は耳にあてた。


「おばちゃん、すぐに帰ってきて! それじゃ」


 そして、通話を終了させた。


「そうですか、仕方ないですね。私もあまり時間がないんですけど」


 ニコニコしながらもふてぶてしく言って、男はテーブルへ戻ると元の椅子に腰かける。


 怒りとも不安ともつかないざわざわする気持ちを必死にこらえ、私も元の席につく。私は黙った。男も沈黙する。


 そうして、テーブルの上にある目覚まし時計の長針が二分くらい動いた時、男は再び口を開いた。


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