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「壺の中と外、内側と外側のどちらに君は存在する? 頭の中と外、内側と外側のどちらに君は存在する? そういうことだ。壺の中も頭の中も宇宙であり、繋がっているなら、僕の頭の中も君の頭の中も、壺の中でさえ全て繋がる。肉体、物資、精神、魂の全てはエネルギーであり、密接であり繋がっているのだから、内側も外側も無いんだよ。それで君はどう思う? 君は一体、どこに存在しているんだ?」
「……わかりません。内側も外側も無いのなら、私が存在しているかいないかもわからない。全てが繋がっているのなら、全てに存在しているかもしれないし、どこを探しても存在していないのかもしれない。修睦さんが消滅したとしても、それは本当に消滅したと言えるのか……」
自分でも何を言っているんだか。このまま私は狂うのか。
「僕らが見ている現実は曖昧だ。時が経てば現実にあったことを証明するのは難しい。そうすると、現実にあった事はうっすらぼやけて、宇宙に漂ってしまう。物質も事象も存在がどこにあるか、わからなくなる。君は気付き始めたんだ。全ては繋がっていて、君は全てに存在しているということを」
ぶっと空気と共に、彼は大量の血を吐く。
「大丈夫ですか!?」
「……僕は消滅するが、もしかすると、ぼんやり漂うかもしれない。完全に消えることはかなわないかもしれない。それは僕の意思だけではどうにもならないだろう。おじいさんの頭に、君の頭に、宇宙に、繋がる全てに漂うのだろう」
ぜぇぜぇ息をする彼はベッドの上で倒れ、赤黒く脈打つ天を仰いだ。
「実理さん、君と話せてよかった。僕は消滅するのが怖かったのかもしれない。でも、口に出してみて、必ずしも消え失せるわけではないと確かに思うと、楽になったよ。ありがとう。ただ他の人には……」
「言いませんよ。それより、私の気持ちは重くなりましたけど」
この人、今から消えて無くなる……涙をこらえながら冗談っぽく言って、へへっと笑えば、思い出したようにあの獣の臭いが鼻を突いた。
私は、これからどうしたものか……
「ふふっ……君はもう帰りなさい。もうすぐ現実が還るよ。早くこの部屋から出るんだ」
私の気持ちを見透かすように言って、彼は手をひらひらさせる。
「修睦さんは、その、本当に……いいんですか?」
「いいから、早く行きなさい」
私はゴホゴホと咳をする彼を尻目に、910号室を出た。
たぶんエレベーターから降りてきただろう場所へ向かって、無我夢中で走る。脈打つトンネルの闇から闇へ飛び込むように……
「……あっ」
公園だった。スーパーの帰り道にあった、あの新しい公園に、私はいた。
ふり向くと、そこにはトイレがあった。あの不気味な古いトイレでなく、きれいな真新しい明るいトイレの建物がある。
呆然として、腕時計で時間を確かめた。時間を見たところで、頭には何も入ってこない。それに、そんなことはどうでもいい事だろう。そのまま自然と、私は家路についた。
家では母が夕飯の支度を始めていた。そこには大きな鶏ひき肉のパックがあった。
鶏ひき肉がある……ぼうっとそれを眺めていたら、母が口を開いた。
「この前、一緒に買い物したときに買ってきた鶏ひきだよ? 安いからいいねって、ほら、あっちの方のスーパーでさ、買ったやつ。それより、コンビニに行くって言ってたけど、何買ったの?」
「えっ? えぇっと……」
言われて気付けば、左手にコンビニの袋を提げていた。
希迫醫院へ行き、修睦と話した覚えはしっかりある。あの時の臭いや焦る気持ち、別れ際の悲しい気持ち……ちゃんとあるのに、コンビニへ行ってシュークリームと紙パックの紅茶を買った記憶もあるのは……何故。
「シュークリームと紅茶だよ……」
小さく応えて冷蔵庫にそれらをしまうと、私はいつもの自分の部屋へ帰る。
バッグの中を確かめた。
あのカードキーはどこにも無い。そして、財布の中にあったはずの二千円も消えていた。タクシーで払ったからだと思う。シュークリームと紅茶だけで二千円は消えない。最初から無かったとも考えられるけど、いや絶対、財布のここに挟んであったはずだ。
修睦のいう現実は還ってきたのだろうか。私にとっての現実はなんだろう。近所のスーパーから希迫醫院へ行ったことも、コンビニへ行ったことも現実なのだろうか。
とりあえず、今から風呂場へ行って、湯を張ろう。
湯船につかって、浄化しよう。そうすれば、私は大丈夫。
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