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「はぁ、ただいま」


 夜になって、仕事を終えた父は帰ってきた。


 リビングへ入ってきた父は鞄を置くと、さっさとスーツのズボンを脱ぐ。


「おかえり! ねぇ、父さん! この前さ、母さんがぎっくり腰やった次の日。私、おじいちゃんのお見舞いに行くって希迫醫院まで出かけたの、覚えてるよね!?」


「はっ? 母さんがぎっくり腰だって? そんなことあったか?」


「へっ?」


 なんだって? ぎっくり腰をやったから、私が代わりに希迫醫院へ行ったのに。


「何言ってるの。私、最近ぎっくり腰なんてしてないでしょう? 去年くらいに腰が痛いことはあったけど」


 テーブルに缶ビールとグラスを出しながら、母は怪訝な顔でこちらを向いた。


「嘘……ほら、父さんが夕方、早くに帰ってきた日だよ! 私、父さんより遅くに帰って……」


 おかしい……私は希迫醫院からの帰り道を思い出していた。


「俺が早く帰ってきた日なら、三人で回転寿司を食べに行ったろう? 久しぶりだなって、実理もすごく喜んでいたじゃないか」


 Tシャツとスウェットに着替えた父はソファーにもたれ、電子タバコを吸いだす。


「そうだよ、実理。喜んでいっぱい食べていたじゃない」


 フフッと思い出し笑いしてテーブルの椅子に座る母は、そのままテレビのバラエティ番組に目をやった。


「えっ……お寿司? あぁ、でも確かに……食べたな、私」


 どういうわけだろう。三人で行った百円の回転寿司での光景はよみがえってくる。


 確かに、父が夕方早くに帰ってきたあの日、三人でお寿司を食べたはずだ。


 その時、ヒカリモノ祭りがやっていて一皿に三貫のったものも食べたし、期間限定のプリンパフェまでしっかり食べた覚えがある。三人で外食するのは久しぶりだったから、回転寿司ならなおさらで、しかもとっても楽しく過ごしたような。


「でも、だとしたら……どういうこと?」


 父の座るソファーの後ろで腕を組み考えれば、お寿司の記憶はより鮮明になってくる。


 電子タバコを吸い終えた父は母のいるテーブルへと移動し、二人は乾杯する。そして、ちょこちょこと遅い夕飯をとり始めた。


 私の中では確実に、希迫醫院へ行った記憶もある。


 知香に会ったことも修睦と話したことも、受付の看護師やタクシー運転手の顔も、はっきり覚えているのだ。


 だけど、お寿司の記憶もちゃんとあって……


「はぁ……お風呂、入ってくるね」


 二人にそう告げて、私はそそくさとリビングを後にした。




 翌日の午後、私は近所のスーパーにやってきた。母にお使いを頼まれたので、肉売り場で鶏ひき肉を探す。


 このスーパーではなぜか、豚と牛の合いびき肉は大量に置くにもかかわらず、鶏ひき肉のパックは異様に小さかったり、ひどいときには一つも置いてなかったりする。


 今日も小さなパックが一つしかない。しょうがないから、豚ひき肉の小さいパックも買って、二つ合わせるのはどうだろう……




 チャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカ……




 後方から、絶え間なくファスナーを激しく上下に動かすような、チャカチャカ音は急に近づいてきた。音はどんどん近くなり、そして、私のすぐ背中にチャカチャカは張り付いた。


 スーハーと荒い息遣いを耳元で感じる。今すぐにでも身体を避けたいが、背中に密着するチャカチャカと時おり首にかかる生温い息にこわばって、一歩も動けない。


「あのさぁ……」


 息を吹きかけるようにして、初老の男性の声は言った。

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