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910号室と書かれた部屋の前で、知香は立ち止まった。追いついた私も、その隣に立つ。
「ここよ。じゃあ開けるから」
コンコンコンとノックして、知香は持っていたカードキーを引くタイプのドアの持ち手、すぐ横の壁に設置された機械にかざす。ピッと音が鳴り、彼女は持ち手を左に引いた。
心が整わない私は妙に緊張し、心臓の鼓動は全身に響き渡る。
「いらっしゃい。実理さん」
ベッドで半身を起こした男性は言った。
その声に、我に返る。
「あっ、あの……えっ? 今、私、知香さんに連れられて来たんですけど……あれ?」
おかしい。私の右手に、知香が持っていたはずのカードキーがあり、左手はドアの持ち手をしっかり握って、左に引いているのだ。
変だ、変だよ! 知香がカードキーをピッとして、このドアを引いてくれたはずなのに。それに、知香の姿はどこにもない。彼女はどこへ行ったというの!?
「フフッ、知香に会ったんだね。彼女は君になんと言ったんだい? 僕の妹? それとも親戚、いとこ?」
くすくす楽しそうに笑う彼は、シュッとしていて上品で四十三歳くらいにも見えるが、それより少し若くも見える。知香が話していた修睦はきっとこの人に違いない、と思う。
「知香さんは五年くらい前に修睦さんと知り合って、婚約していると言っていましたが……あの、どうして私の名前を?」
知香に続きこの知らない男も、名字でなく私の名前を呼んでくるのは何故だろう。人生の中で他人にあんまり名前を呼ばれたことはないから、ドキドキする。
それに、なんだか馴れ馴れしくて、騙されているとか詐欺にあってるんじゃないか、と不安にもなってくる。
「いつまでもそんな所にいないで、中へ入っておいでよ。そうか、僕の婚約者か、フフフ……さぁ、遠慮しないで。とは言っても、お茶もお菓子も、特に出せるものはないんだけど」
何がそんなにおもしろいのか。彼は笑いながら手招きしてくる。
迷ったが、私は左手を離し部屋の中へ入った。ドアはゆっくり、ひとりでに閉まっていく。
「知香はね、僕の頭の中から生まれたんだ。時々、自由に動き回るんだよ」
「はっ?」
やっぱり、私は騙されているのか? このまま不安をあおられて、高額商品を勧められたりして……走って逃げた方がいいのかも。
「もう少し近くにきてよ。それじゃ、話しにくいから」
部屋に入ってすぐの所から動けないでいる私に、彼はさらに手招きする。手招きに弱いのか、私は吸い込まれるようにベッドの脇まで歩いてしまった。
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