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子沢修睦は現在、四十三歳であるという。生まれたのは寒さが厳しい、田舎の貧しい農家だった。
家族構成は、祖母と体の丈夫でない年の多い父、物静かな母、修睦と、そして六つ年の離れた弟という、五人家族。修睦は幼少のころから、品のある賢い人物だったそうだ。
高校を卒業すると、修睦は実家を離れ大学へ進学する。卒業後、炭素製品のメーカーに就職した。その研究室でカーボン素材の研究に明け暮れ、充実した時間を過ごしていた。
ちょうどその頃に、同僚の紹介で彼は知香と知り合った。ちなみに、知香は修睦の十歳年下だそう。
「へぇ……素敵ですね」
話の切りのいいところで、私は抑揚ない声で言った。
「そうかな。フフフ、なんか照れちゃう!」
子供っぽく知香は笑う。本当に照れているみたい。
「修睦と出会って、もう五年は経つかな。で、脳に大きな腫瘍がみつかって、緊急手術したのが二年前……あれからずっと入院してるの。仕事もね、退職しちゃったのよ」
急に知香の表情は曇った。
「えっ? そんな大病を……」
「うん。とんでもなく大きな腫瘍だったんだけど、奇跡的にね、身体的な後遺症が全く無いの。記憶もちゃんとしてるし、生活には何の差し障りもない。ただ……頭の中の、腫瘍があった所は、今もぽっかり空間があるっていうのと……」
視線を下に向けた知香は、ふぅと息を吐く。
「頭に、大きな空間があるんですか?」
話の先が気になる。私は息を呑み、知香の言葉を待つ。
「……そう、ぽっかりと。それでも後遺症が何も無いなんて、すごいって、最初は喜んでいたんだけど、でも……でもやっぱりあったというか、言動がおかしい時があるの。意味がありそうで、内容がつかめない……」
「あっ! それって……」
白い封筒を取り出して、私は中の便箋を広げた。
「そう、そういう感じ。彼はもともと頭のいい人だし、研究者だから、わかる人にはわかることなのかもしれない。だけど、私やたぶん一般の、普通の人間にはわからないでしょ?」
知香はちらっと遠目にそれを見やると、うんざりといった感じですぐに目を離した。
さっきまでの少女のように笑っていたのと打って変わる知香の怖い表情に、私は変な動悸を覚え、そそくさと便箋を畳み、封筒へ戻す。
「まぁ、修睦はこういう人よ。ずっと個室にいるから、たぶん実理ちゃんのおじいさんとは会ったことないと思うの。だから、その書類に修睦の名前があったっていうのも、どうしてなのか……私は何も知らないし、他に誰かが修睦に協力して、住所を調べるってこともないと思うけど」
椅子から立ち上がり、知香はうーんと伸びをした。
「そうですか……」
空になったリンゴジュースの紙パックを手にして、私も立ち上がる。
「こうなったら、本人に直接聞いてみる他ないわね。修睦の部屋に行きましょう」
ゴミ箱に空の紙パックをパサッと捨て、知香はすっすっと歩き出した。
「あっ、あの、ちょっと」
待って、と言いかけながら、慌てて私も彼女の後を追って行く。
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