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 そこは、先ほどの一階とは別世界の景色だった。


 照明は明るく、壁は真っ白。全てが新品のようで、清潔で、開放感がすごい。あの息の詰まりそうな一階と同じ建物とは、とても思えない。


 絶句する私に知香は言う。


「ここが九階。そこに休憩できるスペースがあるの。疲れたでしょう? ちょっとジュースでも飲まない?」


 はい、と応える間も与えず、知香はすっすっと歩いて行くので、私も大股でフーフー息をしながらついて行く。


 休憩スペースには五つの丸テーブルがあった。一つのテーブルに椅子は四つ、他にはテレビが一台、雑誌や新聞がきれいに並べられたラックもあり、自販機も三台並んでいる。


 ただ、そこには誰もなく、なんとなく寂しい空間だと思う。


 知香は慣れた様子で自販機に百円玉を入れ、迷いなくボタンを押す。ガコッと一つ落ちると、また百円玉を入れてボタンを押した。ガコッと二つ目も落ちる。


「ここのは、いくつか飲んだけど、リンゴが一番おいしいから。はい」


「あっ、ど、どうも……」


 知香はリンゴジュースの紙パックの一つを差し出すので、私は受け取るしかない。


 紙パックのジュースは全部一律百円だった。それなら選ばせてくれてもいいのに……とちょっと思うけど、おごってもらって不謹慎だろうか。でも、私は欲しいなんて言ってないし。それとも、そんなに物欲しそうな顔をしていたか、かわいそうな人に思われて同情でもしてくれたか……


 そんな私をよそに、知香は丸テーブルの所へさっさと行って椅子に座り、紙パックにストローをもう、さしていた。


「そうだ! 私、まだ、あなたの名前を聞いてなかった!」


「えっ? あっ、私は立山実理です……」


 私も知香と向かい合うように座る。


「そう、実理ちゃんね。ところで、実理ちゃんはどうして……修睦からの手紙を持っているのかしら? 修睦に会うために、この病院へ来たの?」


 知香の声は急に低くなった。こちらを見つめる瞳の光は鋭く刺さるようで、私はまた目をそらしてしまう。


「手紙は、その、私に届いたものではなくて。私の母宛にきたものなんですけど……あっ、そうだ、伯母にも届いたんですよ」


 私は今までの、一連の話を知香に説明する。祖父のこと、母と伯母の関係から、後期高齢者の書類に子沢修睦の名前があったこと、そして、私がこの希迫醫院に来ることになった経緯など、思いつく全てを話した。


「ふうん……そう、それは大変だったね」


 あらまし聞き終え、知香は考えるようにして頬杖をつく。


 話したことで心が落ち着いてきた私は、やっと紙パックのストローを吸った。甘い味が口にぬるく広がって、パックはゲコッと鳴いた。


「ということは、とりあえず……実理ちゃんは修睦のことを何も知らないのよね?」


「そうです。あの、修睦さんって、どんな人なんですか?」


「うーん、どんな人か。そうねぇ……」


 視線を斜め上に動かし宙を見るようにして、知香は子沢修睦の話を始めた。

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