8 頁


 古い病院だった。雨の筋が黒く染みついた壁や、希迫醫院と書かれた看板の、最近ではないデザインとその汚れ具合に、私は圧倒され、入るのを拒まれているような気さえする。


 恐る恐る、建物の玄関前まで来た。五段くらいある階段を上ろうとしたら、まるですぐ後ろで弾けたように、パーンと雷は鳴った。


「ひゃぁあっ!!!」


 なんとも情けない声を上げ階段を上り切れば、勢いで前につんのめって、心の準備もできぬまま自動ドアを開けてしまった。ザーッという音でふり向く。


 案の定、大粒の雨は強く降りだしている。もう後に引くことはできない。


 思い切って中に入る。節電でもしているのか、照明は妙に暗い。それだけでなく、くすんで真っ白でない壁、綿が出てしまっているソファーなど全てのものが、この病院をひたすら暗く印象づける。


 それに、患者や見舞う人もまばらで、大きな病院のわりに、ロビーに人はほとんどいない。


 立ち止まっていたら、刺さるような視線を感じた。


 そちらを見ると、タクシー運転手が教えてくれた、ナースセンター兼受付のカウンターはあった。


 カウンターの中に、中年の看護師らしき女性が座っている。カウンターの高さは絶妙で、鼻から上だけ見える顔が、こちらの様子をうかがっていた。威嚇するようにこちらを見続け、目が合っても決してその表情は変わらない。


 目をそらせば負けてしまうような気がする。ひそめた眉を一層ひそめる私は、その看護師から目を離さぬようにしてつかつかと歩み寄った。


 そしてなるべく、はきはき言うことを心がける。


「すみません。私の祖父、子沢勇次と子沢修睦さんのお見舞いに来たのですが」


「あぁ。では、こちらの用紙に今日の日付と、お名前を書いてください。それと、招待状はもちろん、お持ちですよね?」


 看護師は口の右端だけ上げて二ッと笑う。


 私は動揺する。だって、お見舞いに招待状が必要だなんて、今まで聞いたことはない。


「……招待状?」


「子沢勇次さんも子沢修睦さんも、この病院の九階のお部屋で休まれています。九階は全て個室になっていて、エレベーターで九階へ行くには、カードキーが必要になるんですよ。


 乗るときと降りるとき、ともにカードキーをピッとしないといけないの。それで、そのカードキーを貸し出すのに、患者さんが許可したということでね、招待状がいるっていう、そういう規則になっているんですよ」


 フフッと今度は鼻で笑われた。


「そんな! おじいちゃんがそんな、高級な個室に? 何かの間違いじゃないですか!? それに、九十半ばの認知症で、脳梗塞になって入院しているおじいちゃんですよ! 招待状なんて書けるわけがないでしょ!?」


「そう言われてもねぇ、規則ですから。しかも、あなただって本当にお孫さんかどうか、失礼ですけど、わからないじゃないですか? 九階はねぇ、なかなか入れないのよ。看護師の私だって、自由には出入りできないんだから」


 せっかくここまで来たというのに、なんという仕打ちだろう。おじいちゃんの孫であるかまで疑われるなんて、悔しすぎる……!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る