9話 飯野皐は可愛い

「これ、今から返却する! 申し訳ない!」


 もう少しで朝のホームルームが始まるというところで本を返却。


 図書委員として受付に座っていたメガネの男子からは露骨に嫌そうな顔をされたが、なんとか受け取ってもらうことに成功した。


 すぐに何かが変わるということはないはずだが、これでこのルートにもちょっとした変化が見受けられるんじゃないか。


 よし、時間的にはギリギリだが、まだ朝のホームルームには間に合う。


 そそくさと返本業務を終わらせて図書室から出ようとしていたメガネ男子とともに、俺も移動しようとした矢先のことだった。


「っ……!?」


 突如襲ってきた強烈なめまい。


 それは今まで体験したことのないほどのもので、俺は思わずその場で膝をついてしまった。


「な、なんだ……これ……!?」


 助けを呼ぼうにも、周りには既に誰もいない。


 図書委員のメガネ男子はもうここから出てしまってるし、図書室の中は俺一人だ。ただただ苦しむしかなく、俺の意識はその場で途絶えてしまう。


 おぼろげながら覚えているのは、微かに聞こえたホームルームの始まりを告げる鐘の音。


 高越には「すっぽかす」と言ったが、本当にホームルームをすっぽかすことになってしまうとは。


 これがまた、このルートに何か影響するかもしれない。


 いい方か、悪い方かはわからないにせよ、隠しルート十五番目の最低最悪な固定エンド、榎森絵空妊娠退学エンドを回避することに繋がるかも。


 そんなことを消えゆく意識の中で考え続けていた。






●●●●●●●●●●●●●●●●●






 体の節々が痛む。


 意識が完全に回復したわけじゃないが、それだけはハッキリとわかった。他に何かを考えることはできない。


 まるでまどろみの中にいるような感覚。痛みはしっかりしてるけど。


「目、覚めたか?」


 ……誰だ?


 目を閉じた状態だから、声の主が誰なのかわからない。


 ただ、その声はどこか聞いたことのあるものだった。女の人の声。名前が喉元まで出かかってる。


高越の時もそうだったが、ゲーム内音声と生声じゃあ割と聞こえ方も違う。だからすぐに答えられないんだ。ゲームの声優そのままだったら、一言目で速攻誰なのか答えてやるのに。


「……返答くらいしたらどうなんだ? もう意識が回復しかかってるのはわかってる。私は時間がないんだが」


 冷ためな声音。


 ただ、それでも聞いていて嫌な感じではなかった。


 耳障りがいいというかなんというか……。この声で罵られたいとさえ思ってしまう。いや、こんな時に何を考えてるんだって気はするが。


「お、おい、なに目を閉じたままニヤけてる。本当はもう起きてるんだろ?」


「うっ……」


 頬をペシペシされた。


 強い力じゃないけど、なんか女の子に頬を触られたって事実が俺の目を強引に開けさせる。


「……! あんたは……!」


「……やっと目を開けたか。お前、図書室で倒れてたんだぞ? 大丈夫なのか?」


 そこにいたのは、黒髪ポニーテールが特徴的な女の子。


 名前を飯野皐(いいのさつき)といって、クラス委員長をしてるクール系の長身巨乳な子だ。


 あと、ひそかに大峰祐志へ好意を抱いてる。攻略可能なヒロインの一人であり、この子もまた、NTR対象となってる。本当に、隅から隅までNTRの影が潜むクソゲーだ。ちょっとくらい設定に良心を残しとけよ、バカ制作陣がよ。お前は鬼か。


「大丈夫……かはわからん。急にめまいがしたんだ。めまいがして意識失うって、なかなか経験がないから……」


「え……。そ、それは心配じゃないか! 風邪……とかではないよな……!? まさか脳の病気とか……!? だとしたら大変だ……! 私はいったいどうしたら……!」


「ちょ、と、とりあえず皐ちゃ……じゃなくて、い、飯野さんは落ち着いてくれ。俺は今ゲームの中の登場人物だし、何より一回死んでるから怖いものなしだし! ……って、あ……」


「……え? い、一回死んでる……?」


「ち、ちがっ! い、一回死んでるってのは……そう! ゲームのこと! 意識失ってるときにゲームの夢見てて、めまいがして倒れたってのも寝不足が原因かもしれない! 昨日遅くまでゲームしてたんだよ! それこそ徹夜でやりこんじゃってさ!」


「そ、そうなのか……?」


「そ、そうそう!」


 俺は頭を縦に勢い良く振った。


「それなら安心……ではないな。ダメじゃないか徹夜なんてしたら。趣味にいそしむのもいいことだが、健康を阻害するような時間の使い方はダメだ。ちゃんと寝るようにな」


「了解です……」


 注意してくれながらも、わかりやすく表情が安堵したようなものへ変わっていく皐ちゃん。


 この子は絵空ちゃんの次くらいに推しだったから、ついついちゃん付けで呼んでしまいそうになった。


 仕方ない。クール系なのにちょっとドジっぽいところとか、無理してでも頑張ってしまう健気さがどうにも俺の心を掴んで離さなかったんだ。


「……にしても、ただの寝不足だというのなら、それは本当に良かった。お誘いも……その、心置きなくできるというか……」


「え、お誘い?」


 俺が首を傾げると、かぁっと顔を赤くさせ、斜め下を向き、目を逸らしてくる皐ちゃん。


「も、もちろん大峰が体調不良な時に何言ってるんだって気はしてるぞ……!? ……け、けれど……今は保健室で……そ、その……二人きりだし……保健医の先生もいないし……」


 おっとぉ……? これはぁ……?


「こ、今週の土曜、わ、わわっ、私と映画を見に行ってはくれないだろうか! お、お願いします!」


 お堅いクラス委員長とは思えない大胆なお誘い。


 そうなのだ。この子は案外積極的なキャラをしてる。


 そこもまたギャップを感じてすごくいい。


 けど……これはどうなんだ……?


 このお誘いに俺は乗るべきなんだろうか……?


 最推しは絵空ちゃんだし、何よりも俺はまだ死んでこの世界に転生(?)してすぐだ。


 早々に事を進めるような感じでいいのだろうか。何もかもがわからない。ゲーム感覚であれこれ決めていいわけがないだろうし……。


 でも……。


「わ、わかった。今週の土曜だよね? 土曜なら……たぶん何もないはず。部活も……」


「ほ、本当か!? 本当に!?」


「う、うん」


 頷くと、皐ちゃんはくるっと椅子に座ったまま俺に背を向け、軽く身悶えしてるようだった。ガッツポーズもちょっと見える。


「そ、そういうことなら、土曜日だぞ……! 土曜日、街の時計台の下で待ってる……! よ、よろしくだ!」


「わかった」


 そういうことになった。


 好意を利用するつもりは一ミリもないし、そんな失礼なことはできない。


 けど、俺はまずこの子から色々と話を聞きたかった。


 ゲームでは聴くことのできない、深みあるキャラの声。


 それを事細かに聞きたいと思ったのだ。


 それがNTRへの道を防ぐ第一歩な気がした。


 まだ絵空ちゃんには会えてもいないわけだが……。


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