せめて、お前は―――

 顔を上げたシトラルの目は光を失っている。

 そしてその手には、いつの間にか現れたナイフが。



 シトラルは両手でナイフを握ると、躊躇ためらいなくその刃を自身の首にあてがった。

 その刹那―――



 パンッ



 高い音が森の中を貫く。



「馬鹿野郎…っ!」



 シトラルの腕を捕まえた尚希が、めいいっぱいの力でその頬を張っていた。



「お前まで……お前まで、この馬鹿と同じ死に方をするんじゃねぇ!!」



 渾身の怒鳴り声が、シトラルに浴びせられる。



「あ…」



 光が拡散していた赤い瞳が、その時初めて尚希を真正面から映した。



「でも……だって…っ」



 その両目から、今さらのように涙が零れ落ちる。



「サリアム様は、僕のお手本だったんです。サリアム様がすることが、僕にとっての正解なんです! サリアム様がいなくなったら……僕は………僕はこの先、どうやって生きていけばいいんですか!? 村から捨てられた僕には、サリアム様のところにしか居場所がないのに…っ」



「だったら!」



 シトラル以上に苛烈な口調で、尚希がシトラルの訴えを打ち消した。



「だったら、オレんとこに来い。」



 尚希はまっすぐにシトラルを見つめて、そう告げた。



「え…?」



 虚を突かれたシトラルが、まばたきを繰り返す。

 尚希は続けた。



「住むところも仕事も、全部用意する。お前がどうやって生きればいいのか分からないって言うなら、オレがそれを教えてやる。お前がいつか、一人でも道を決められるようになるまで……せめてお前は、オレの傍にいてくれ…っ」



 いつしか烈火のような怒りは消え失せ、尚希の声にこもるのは悲痛な懇願に変わっていた。



「………でも……」



 シトラルが、ぽつりと零す。



「でも……あなたは、サリアム様の―――」

「敵、か?」



 躊躇ためらうことなく尚希が先を言い当てると、シトラルが口をつぐんだ。



「ああ……そうだな…。敵だったよ……」



 一度顔をうつむけた尚希は、声も肩も揺らしてシトラルの言葉を認める。

 そして―――





「オレをここまで鍛え上げてくれた―――最強で最愛の好敵手ライバルだ。」





 涙をたたえた瞳をなごませて。

 今できる、精一杯の笑顔を浮かべて。



 尚希は、サリアムをそうたたえた。



「―――……」



 大きく目をみはったシトラルの意識が、尚希の笑顔にからめ取られる。

 その隙をのがさず、尚希はシトラルの頭に手を置いた。



「でもな……今はお互い、何を言っても受け入れられないだろうな。分かってるよ。」



「な、何を……」

「今はおやすみ、だ。」



 優しく告げた尚希は、問答無用で手先に魔力を込める。



 ほんの数秒。

 そんな刹那の時間が過ぎた後には、尚希の前にシトラルが力なく倒れていた。



「キース…。こいつ、どうするんだ?」



 眠りに落とされたシトラルを見やり、拓也が冷静な口調でそう訊ねる。



「とりあえず、ニューヴェルに連れて帰る。サリアムの葬儀も、オレの名のもとにニューヴェルでやるつもりだ。」



 訥々とつとつと答えた尚希は、シトラルの髪をさらりとなでた。



「オレもこいつも、落ち着くまでには時間がかかりそうだけど……まずは、ゆっくりと話をするよ。お互いが知らない、サリアムのこととかさ……」



 何度もシトラルの髪に指を通す尚希。

 その夕焼け色の瞳で揺れるのはうれい。



「なあ、サリアム……お前って、本当に馬鹿だな。引き取った子供の教育方法、間違ってんぞ? この子を置いて死ぬつもりがあったなら、この子の人生にはお前がいないって前提で育ててやらなきゃだめだろうが……」



 そこまで言った尚希は、ふと何かに思い至った顔をすると、乾いた笑い声を零しながら唇を吊り上げた。



「お前まさか……オレがこの子を放っておけなくなるって分かってて、あえてここまで連れてきたのか…? ……はははっ。だとしたら、お前にはどこまでも敵わないな。放っておけるわけねぇだろうが。こんな……お前と同じ目の色をした、お前にそっくりの子なんて…っ」



 最後に、なんて置き土産みやげを残していってくれたのだろう。

 本当に完敗だ。



 永遠に私にとらわれていろと、彼はそう言いたいのだろうか。



「キース……」



 拓也は心配そうに眉を寄せた。



 尚希から漂ってくる香りが、切なく胸を刺す。



 深い悲しみと己への怒りが織り混ざってできあがるこの香りは、間違いなくトラウマのそれ。



 サリアムの死とシトラルの存在は、尚希の心を完全に捕らえてしまった。



「無理して引き取らなくても―――」

「いや。」



 思わず口をついて出た拓也の言葉は、決意に満ちた尚希の言葉に拒絶されてしまった。



「サリアムが唯一残した、形見みたいなもんだ。絶対に見捨てない。……絶対に、死なせない。」



 そう宣言する尚希は、誰に何を言われてもこれだけは譲らないと、全身から放つ雰囲気でそう語っていた。



 そのかたくなな態度を覆すことは、この場の誰にもできなかった。


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