まずい事態

「お前…っ!?」



 首を巡らせた拓也は、新たな登場人物を見て目を見開く。



 金茶色の瞳を少し眠たそうに伏せた、一人の男性。



 肩につくくらいの白髪の中で、左のこめかみ辺りにある藍色の三つ編みが異様に目立つ。



「ルド……」



 警戒する拓也の前で、エリオスがどこかほっとした顔をする。



「まったく、やっと完成したと思ったらこうなってるんだもん。さすがに焦ったよ……」



 颯爽さっそうと現れたサティスファの山のぬしことルードリアは、まっすぐに実に近付いていく。



「言いたいことが山ほどあるのは分かるけど、今は黙っててね。」



 今にも噛みつきそうな拓也に一言入れてから、ルードリアはエリオスの腕の中で暴れる実に目を向けた。



「これは、埋め込み式にして正解だったな。体の外側からだけじゃ、抑えきれなかったかも。」



 懐に手を入れたルードリアは、そこから何かを取り出す。



 手のひらに収まる小さなそれは、無色透明のガラスのような素材でできたピアスだった。



「さーて……あれだけ馴染んでたから、反発はしないと思いたいけど……」



 ピアスを指でつまんだルードリアの表情に、微かな緊張が走る。



 一つ呼吸を置いたルードリアは、勢いをつけてピアスの針を実の耳に突き刺した。

 透明だったピアスが、実の血を吸って深紅に染まる。



 その瞬間―――



「う…」



 小さくうめいた実の体から、一気に力が抜けた。



「ルティ!!」

「実!!」



 皆が叫び、実の様子をうかがう。



 エリオスに抱かれてぐったりとしている実だったが、その表情からは激しい苦悶が引いていた。



「……一旦は大丈夫そうだね。このまま、一瞬で消滅ってオチだけはけられたみたい。」



 実のもう片方の耳にもピアスを取りつけながら、ルードリアは安堵した声音で告げる。

 それに、全員がどっと肩を落とした。



「ちょっと失礼。」



 これで終わりじゃないのか、ルードリアは実の胸に手を当てて目を閉じる。

 そのまま、しばし無言の時が流れた。



「なるほどね……」



 ふいに口を開くルードリア。



「エリオスが見た、この子の魔力が暴走する未来ってのはこれのことか…。確かに、僕が道具を作っておかなかったらまずかったね。」



 溜め息をつくルードリアの瞳に、深刻そうな色がたたえられた。



「―――ウォル、出てきなよ。これは、かなりまずいよ。」



 ルードリアが、とある名前を口にする。

 しかし、その呼びかけに応える者はいなかった。



「あれ……ウォル?」



 これまで、ウォルという誰かが呼びかけに応えなかったことなどなかったのだろう。

 きょとんとしたルードリアは、周囲をぐるぐると見回した。



「あ、すまない……」



 そこで声をあげたのはエリオスだ。



「彼なら私に叩きのめされて、すぐには動けないかもしれない。」

「はあ?」



 エリオスの言葉に、ルードリアは呆気に取られた表情で目を丸くした。



「エリオス、何やったのさ? というか、ウォルと一戦交えるとか、正気の沙汰じゃないね…。やたら怪我だらけだと思ったら、そういう理由だったのか……」



「私を怒らせる彼が悪いんだ。」



「ああ、そうかい。そういえば君は、大人しそうな顔をしてるくせして、喧嘩っ早い命知らずだったね。本当に、この子のためならなんでもするんだから……」



 ルードリアは頭が痛そうだ。



「はあぁ……仕方ない。元々、こういう想定外の事態が起きた時のための僕だし、なんとかするしかないか……」



 ぼやくように呟いたルードリアは、再び実の胸に手を当てた。



「崩壊と再生が同時に進んでる…。これは……もしかすると、を使われたか…? そんなこと起こりえるの…? くそ……さすがにこの状況は、僕でもどうにかできるか分からないっての……」



 参ったように髪を掻き回すルードリア。

 その口から出てくるのは、不穏な空気を滲ませるものばかり。



「おい! 何がどうなってる!? ルティは……ルティはどうなるんだ!!」



 しびれを切らせた拓也が、ルードリアに掴みかかった。



 必死な拓也の目をしばし見つめていたルードリアは、やがて気まずげに視線を横にずらす。



「今はなんとも…。現時点で言えるのは、この子が秘めていた封印が解かれたってことだけ。」



「―――っ!?」



 拓也たちは衝撃のあまり、うめき声を発することすらできなかった。



 実が秘めていた〝鍵〟の封印が解かれた…?



 一体、何が起こったらそんなとんでもないことになるというのだ。



 ルードリアの話は、さらに続く。



「ただ、単純に封印が解かれたってわけではなさそうだね。今この子の中では、魂と力の核が崩壊と再生を繰り返している。これは僕たちじゃ止められるものじゃないし、これが落ち着いた結果、この子がどうなるのかも未知数だ。」



「そんな…っ。どうにかならないのか!?」



 拓也の声が悲痛に揺れる。

 しかし、ルードリアは首を横に振るしかなかった。



「今は、この子が粘ってくれると信じて見守るしかない。……限界まで来た最後の魂だ。純粋な人間の魂ではないから、ギリギリで耐えてくれると思いたいけど……」



 さりげなく放たれた言葉。

 それに、拓也が敏感に反応する。



「最後の、魂…?」

「!!」



 拓也がそう聞き返した瞬間、エリオスの肩が大袈裟なほどに震えた。

 それを見るルードリアも、どこか切なそうに唇を噛んでいた。



「………っ」



 泣きそうな顔で目元を歪めたエリオスが、実を抱いていた腕に力をこめる。



 エリオスとルードリアの間に満ちる沈黙。

 それは、まるで救いのない深淵に突き落とされたかのように重たいものだった。


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