彼が選んだ道

 重苦しい沈黙。

 それを掻き乱したのは、誰かが葉を踏む小さな音だった。



「!?」



 全員が反射的にそちらを見て、そして誰もが想定外の乱入者たちに瞠目する。



「サリアム……」



 尚希が、かすれた声でその名を呼ぶ。

 後ろにシトラルを連れたサリアムは、尚希の声を聞くとただ穏やかに微笑んだ。



 ゆっくりと近付いてくるサリアムたちに、いち早く我に返った拓也が槍を持って身構える。



「安心したまえ。実君には用などないから。」



 拓也が警戒する理由を否定したサリアムは、実の近くに膝をつく。



 手を伸ばしたサリアムが取ったのは、実の近くに落ちていた布の塊だった。

 サリアムが引き上げたことで、塊だったそれが服であることが分かる。



「ああ……レティル様……」



 肌触りのいい布地に頬をすり寄せ、次にそれを大事そうにいだくサリアム。

 その目には、微かに涙が浮かんでいた。



「あなたはもう……どこにもいないのですね……」



 ぽつり、と。

 何もかもを悟った顔で、サリアムは静かにそう告げた。



「でも……これが、あなたが真に望んだことだとおっしゃるのなら……」



 頬を伝う一筋の涙。

 それがあご先から落ちるか否かといったところで、サリアムが急に咳き込み始めた。





 涙の代わりに地面に吐き散らされたのは―――真っ赤な鮮血。





「サリアム!?」



 ぐらりと傾いたその体を、尚希が慌てて支えた。



「おい! どうしたんだよ!? しっかりしろ!!」



 動揺しながらも、尚希はどうにか理性を集めて意識を集中させる。

 その両手から、柔らかい光があふれた。



「キース……」



 必死の形相で治療を試みる尚希に、サリアムが微笑みながら手を伸ばした。

 微かに震えるサリアムの手が、そっと尚希の頬に触れる。



 その手はすでに、氷のように冷たくなっていた。



「君は……子供の時、私にこう言ったね。……〝自分のためになら〟なんて言って、簡単に自分の命を投げ出すような奴はいらない、と……」



「―――っ!!」



 それを聞いた尚希の表情が強張る。



 やはりサリアムは、あの日自分から叩きつけられた言葉に、これまでずっととらわれていたのか。



 それを痛感すると同時に、遥か昔の出来事が昨日のことのように脳裏を巡る。



 しかし、顔を青くする尚希に対し、サリアムはどこまでも穏やかな笑顔だった。



〝もういいんだ〟



 表情と仕草で、サリアムはそう語っていた。



「君にとって、私は理解できない人種なのだろう。長いこと君を意識し続けてきたが……私も、君のことは理解できない。従う人間と従える人間……そこには、決して超えられない壁があるのかもしれないな……」



「サリアム……」



 一言一言を音にする度に、サリアムの口の端から新たな血が流れていく。

 それでも、サリアムは尚希に言葉を届けることをやめなかった。



「私は君に、私の生き方の正しさを証明してみせると言ったが……お互いに理解できないなら、仕方ないさ…。でもせめて、これだけは君の胸に刻んでおけ。」



 もう、自分では体を支えられないのだろう。

 サリアムは尚希の肩を支えにしながら、一生懸命に腕を震わせた。



 ゆっくりと尚希の胸に指を立て、彼はどこか晴れやかに笑う。



「これが、私の生き様だ。全てを捧げた方のために死ねることが幸せだと思う人間が、ここに確かにいるんだよ。」



「―――っ!?」



 その言葉を聞き、尚希だけではなく他の皆の顔にも衝撃が走る。



 分かってしまった。



 どうしてサリアムがこんなことになっているのか。

 彼がどんな道を選んだのか。



 喘鳴ぜいめいを伴った苦しい呼吸の合間に、サリアムは最期の言葉をつむぎ続ける。



「認めるのは悔しいが、君は確かに……人々の信を集められる、まぶしい人間だ。レティル様と出会っていなければ……私は君に、この忠誠を捧げていたのかもしれない。」



「くそ…っ」



 尚希の顔が大きく歪む。



「覚えておけ、キース。君にはきっと、多くの人々が心酔するだろう。その中には絶対に、私のように……〝あるじのためなら命も惜しくない〟と思う人間がいる。その気持ちは……君が望まないからといって、止められるものではない。望まれないなら望まれようと……余計に泥沼へはまり込んでしまう……」



「もうしゃべるな! 話なら、元気になってからいくらでも聞いてやるから!!」



 叫んだ尚希は、サリアムの言葉を拒絶するように頭を振る。



 嫌だ。

 こんな現実、認めたくない。



 どうして今なんだ。



 もっと早くそう言ってくれれば、今頃わだかまりを解消して、笑い合えていたかもしれないじゃないか。



 このまま自分の前から去っていくなんて、許さない。



 悪足掻きのように治癒魔法をかけ続けるが、そのどれもが大した効果をなさない。

 穏やかな表情で尚希を見つめるサリアムは、その理由が分かっているようだった。



「無駄だよ…。私が飲んだ毒は、レティル様がくださったものだ。それでお前が幸せなら、お前もあの世まで私についてこいとおっしゃって、これをくださったんだ。お前だけは、この道についてくることを許そう、と……」



「!!」



 息をつまらせる尚希に、サリアムはただ笑うだけ。



「君とレティル様の大きな違いはそこだ。君は私を否定し、あの方は私を受け入れた。私はそれが……本当に嬉しかった……」



「この……馬鹿っ!!」



「はは……馬鹿、なのかもな…。でも、これだけは言える。私は今、心の底から幸せだ。」



「………っ」



 はっきりと、そして迷いなくそう断言したサリアムに、尚希はとうとう罵声すらも奪い取られてしまう。



 振り絞っていた最後の力を失ったサリアムが、ゆっくりと倒れていく。

 その体は、必然的に尚希の腕の中へ。





 もう―――間に合わない。





 血の気が失せた白い顔にたたえられた死相に、誰もがそう思った。


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