第8話

 十年前、帝国が騎士団内の特別攻撃部門の存在を公にして、各国の元首が集まる大陸会議の中で謝罪をしたというあの日。


 その時は自分も八歳という善悪すら分かっている様で分かっていない様な幼さであり、細かく全容を覚えてはいないものの、当時話を聞いた際にひっくり返る程の衝撃を受けたという記憶だけは辛うじて有していた。


『父上、何故皇帝陛下は謝罪をしたのでしょうか……?』

『――皇帝陛下はな、悪い事をしたんだ。謝罪せねばならなかった……』

『そんな……僕は信じません。謝罪する陛下など、陛下らしくない!』

『愛国心というやつか、忠誠心か、……将来きっと誰かの役に立つ心構えだな。大事にしなさい』


 記憶は霞み、だんだんと意識が現実へと戻されていく感覚は調子良く起床出来た瞬間に近いものだった。目が冴え、遅れて身体がハッとする。

 頬を汗が伝って足元に落ちた。


「どうした?」

「……取り戻す……って……」

「――ん?」

「取り戻すって……どうしてですか、あの様な身勝手な行為は許されるべきではありませんッ! それに名前だけは可愛いものですが、僕は知っています。先代皇帝を死に追いやったのは特別攻撃部門だと……!」

「ゴールドフィールド閣下の入れ知恵か? 恐ろしいな、閣下は何でもご存知の様だ」


 騎士の一人は支持を出すと再び戦闘体制に入る特別攻撃部門の騎士達。多勢に無勢で、戦いの経験も桁違いの騎士達を相手に、ヨハンは一人二人を人質に取ってこの場を収める事を優先に考えていた。

 その為の立ち回りなど至って単純だった。

 盾で受け止めた攻撃を受け流しつつ、体を反転、その勢いで腹部や胸部、鎧の隙間を縫う様に斬り裂いていくのだ。細かく、一人に攻撃を与え過ぎず、流れる様に次から次へと斬っていく。勿論、一撃で倒れる軟弱者など居る筈も無く、終わりの見えない混戦をただ一心不乱に、もう少しで来るであろう応援を待って駆け抜けていた。


 耳に響く金属音が鳴り止まない場所から少し離れた場所では特別攻撃部門の騎士が二人、軽く手当をしながら会話を交わす余裕を見せていた。

 

「ヨハン・ゴールドフィールド……これで十八か、恐ろしいな」

「隊長、傷口がまだ塞がっておりません。動かないよう」

「そんな事は分かっている。ものの数分で塞がるのなら苦労していない」

「はっ。――私から一つ、宜しいでしょうか」

「何だ?」

「ヨハン・ゴールドフィールドは次期当主の座を降りたと聞きましたが、何故でしょう」

「何故、か……それは難しいな。理由なんて幾らでもあるだろうが、ゴールドフィールドの”無敵要塞”とまで言われたあの青年は勇者のパーティーへと一番に名乗り出たんだ。それなりの覚悟が必要だった筈。死ぬ事は覚悟で次期当主の座を降りて帝国を出たのだろう」

「覚悟ですか……?」

「『上位存在』と呼ばれる魔王、そしてメルフェスタ国王に二振りの剣を渡した別の『上位存在』は、剣を持つ者に制約を付けた。当然、知っているだろう」

「確か、若い人間……」

「そうだ。そして面白い事に今年、十八を迎えた人間の質は例年に比べ格段に上がっている。いや、数人が突出していると言うべきか……」


 緊迫した空気感の中、二人で話していた騎士の内、一人が全身に付いた汚れを払いながらヨハンの元へと近付いて来る。隊長と呼ばれていたが、真偽は確かでは無い。

 しかし、自分の盾を見るに、此処に居る騎士達がとても強いと知らされる。出会った中でも指折りの敵の攻撃を受けても少ししか付かなかった傷が、今では無数に、入念な修繕が必要になる程に付いているのだから。

 

「満身創痍か、でもやはり強いなゴールドフィールド。勇者になるべきだ」

「確かに、その様ですね。――しかし僕程度では勇者など決して務まらない」


 吐き捨てる様に溢した一言に、周囲の騎士達は怪訝そうに首を傾げた。

 

「何故だ? 俺達は勿論、帝国の人間は皆応援する筈だぞ、自国からの勇者程誇らしいものはないからな」


 隊長が言った。

 周りの騎士達も賛成の様で小さく頷く者から深く頷く者も居る。今さっきまで剣を交えて命を削り合った敵仲だというのに何という奇妙な現場だろうか。完全に敵と言えないこの関係。しかし、ヨハンからしたら迷惑でしかない。

 

「誇られても消えていった命など、もう…数え切れない程ありますよ。応援する側も、所詮は他人なんです。身勝手で此方の気持ちも考えない……自分が憧れ、最強だと信じていた英雄が敵わなかった相手を前に、恐怖を抱かない訳が無いでしょう!」

「でもお前は白の勇者パーティーへ真っ先に立候補した」

「――見たかったんです。勇者になる”バカ”を。一緒にバカな事をして、そのバカを一番近くで支えたかった」


 ヨハン・ゴールドフィールド。

 この男は狂っているのだろうか。

 自分は危険だと分かっておりながら、他人に任せ、それを一番近くで眺めるという狂気。


「勘違いしないで下さいよ、ただ見ているだけじゃない、支えると言った筈です。僕がパーティーの、盾となる! それが僕、『白の盾』ヨハン・ゴールドフィールドだッ!」


 ヨハンの身体に光の粒子が集まり出す。

 言葉に呼応する様に現れた粒子はヨハンの持つ盾を中心に身体へと拡がり、やがて全身を淡く包み込んだ。

 何か触れられているという感覚は無い。

 ただの光だが、何かが起こっているというのは確かだった。


◇◇◇


 ヨハンの身体が光り出す二十分前、二手に分かれて馬車の方へと向かったミシェーラは草の茂みや、木の陰に隠れながら静かに馬車の直ぐ近くまで移動し、魔法を使って燃え盛る炎を消し去った。

 

 この世界で魔法というのは基本的に、魔力という生まれつき持っているかもしれない能力でこの世の事象に干渉し、普通は成し得ない超常現象を起こす事の総称である。

 例えば、ミシェーラが行ったのは馬車の周りの空気に対する干渉で、水を生み出し掛けて消火する事も出来たが、それではこの規模の炎を消すのに尋常じゃ無い量の水が必要であり、馬車の中に生存者が居た場合に他の問題が出て来てしまう。


「さて……誰か、生きてるかしら……」


 ミシェーラ自身、あまり生存者が居るというのに期待はしていなかった。

 それこそ、森の外で見た火系統の魔法は明らかに殺傷目的で、馬車の炎上具合からも、中の人間が無事であるなんて思う人の方が少ないくらいだった。


「う、うそ……」


 生きていた。一人の女性に覆い被さる様に、騎士か狩人、傭兵の様な格好の女性が一人。計二人、肩が僅かに上下しており、荒い呼吸音がミシェーラの耳元まで聴こえて来た。先程の魔法により空気中には酸素が少なく、二酸化炭素が多い状態になっている。正に火山の火口付近と言っても過言では無い位に。


「……っ!」


 幸い意識はしっかりとしている。

 覆い被さっていた上の女性はミシェーラを見ると一瞬警戒したが、直ぐに味方だと分かった様で腰の方に伸ばしていた手を止め、ミシェーラの肩に手を置いて自分の耳元までミシェーラを引き寄せた。


「姫様を頼む……周りの敵は任せろ……」

「そ、そんな状態では……」


 視界の縁で血が床に流れ落ちるのが見えた。

 

「いいから……!」

「――分かりました。後でしっかりと事の経緯を説明してもらいますので、どうかご無事で」

「ふっ、分かったよ……」


 足を縺れさせて、頭上の馬車の扉から出て行く女性。

 護衛か、何かなんだろうが、態度、口調、気配からただならぬものを感じた。

 酸素が少なく、思う様に息を吸う事の出来ない状態を耐え凌ぎ、更に酸素は削られ二酸化炭素が増える魔法の影響下にさらされて、コンディションは最悪であるだろう。

 まして敵の騎士達はそんな事を露も知らない。


「はぁぁぁッ!」


 威勢の良い雄叫びと共に振るわれたであろう斬撃は見事に敵を打ち砕く事に成功したのだと、馬車の中でも外から聞こえて来る悲鳴から判断出来た。

 

「ぐはっ……」

「何っ……!?」


 直ぐにでも外の状況を見に行きたいところだが、膝の上には『姫様』と呼ばれていた女性の頭が乗っており、気絶しているのか、無防備なその姿を見ると手放しで放置するなんて到底出来ない。


「そう言えば姫様って……ん、何処かで……見た事が……」

 

 目を瞑り、外の空間を意識して集中する。

 魔力を音波の様に発してソナーの様な手法をとる。

 ミシェーラが王都の学園時代に習った空間掌握方法で、世の中の魔法使いが混戦の中、よく用いると言われている。


「え……」


 ミシェーラの驚く様な声が溢れた。

 外は正に一体多数で混沌と化していた。

 二人がかりの槍の猛攻をたった一本の剣で防いだ傭兵風の女性は押されてはいるものの、確実に相手を屠っている。

 人数差をもろともしないあの女性は何者なのか。

 思えば騎士達が何やら躍起になっているのが感じ取れるが、何故だろう。

 色々と気になる所だが、動けないミシェーラは援護に向かえない。


「嘘でしょ、勝っちゃった……」


 飛び交う剣戟によって削られたであろう女性の得物。

 刃毀れか、血液か、刃が思った様に通らないのだろうと思った次の瞬間、腰から双剣を取り出し持ち替え、斬り刻むなど多彩な動きで帝国の騎士達を翻弄するのだった。

 敵が息をしていないのを確認し終わった女性はゆっくりと腰を捻り、胸を反り、伸びをしながら此方の方へ歩いて来る。

 朝一のランニングを終えた後の様な清々しい表情を浮かべてゆっくりと。戦っている際の獰猛さとは相反する可愛らしい仕草で忍び寄ってミシェーラの隣に座り込んだ女性は、意識を失っている『姫様』の目に掛かっている髪の毛を指で払い退ける。


「……あれ、エリス変装は……?」

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