第6話
あれから暫く経った頃。
順調に王都までの道のりを進んでいた馬車は突然止まり、馬車の扉がいきなり開いた。御者がルーカス達に先程の逃走劇を伝えるとドレイクはやっぱり、と手を叩いて勢い良く馬車から飛び出し、見かけたという馬車を探そうとキョロキョロする。
「見つかったか?」
少し眠そうなルーカスの声は夜道の静けさに鳴る虫の音に負けてドレイクに届かない。小声だとしても声が届いていないというのは些か不安になってしまうが、それ程にドレイクは"何か"を感じ取り集中しているという事だろう。
「ちょっと待って、あそこ……」
ミシェーラの指差す先には生い茂った木々、深い森。それとその中で動く二つの灯り。
森なんていう舗装されていな道を急ぐなんて危険な真似はどう考えたって無謀だが、恐ろしい程に速度を上げており、何やら魔法を使っている様にも見えた。
「おいおい……あれって明らかに魔法だよな。ちょっと行って来る」
そう言ってドレイクが走り出した。
「ドレイク! 彼奴っ……。先に出発してて下さい、俺達此処に戻って来れそうにないので」
御者は戸惑いながらも頷き、手綱を引いた。もう後戻りは出来ない。
ルーカスは初動こそ遅れたものの、飲み物が入っていたグラスを投げ捨てて直ぐ走って行った。続いてヨハン、ミシェーラと、全員がドレイクの後を追い掛けて行く。
目視でも火系統の魔法が複数回。
盗賊に追われる商人などであろうか。そんな思索をするドレイクの手は腰元の剣をいつでも引き抜ける位置で固定され、意識は数百メートル先の馬車二台のみに向いていた。
◇◇◇
「何者だ!?」
ガサゴソと動く自分に対しての言葉だろうが当然無視をする。先ずは様子を伺って状況を把握、整理するところからだと考えた為である。
しかし、実際はそう待ってはくれなかった。
「うむ……餓鬼じゃないか」
「な!?」
輝く鎧を身に纏い、巌の様な巨躯で突然前に立ち塞がった大男。
ドレイクは直ぐ様剣を抜き目の前の男を切り伏せようとする。
完璧に近い反射速度。
一直線に首元へと向かうドレイクの刃に躊躇いは無かった。
「シールド」
男の呟きはドレイクの斬撃を防いだ。
というよりも透明な”何か”が斬撃を防いだ。
そうルーカスには見えていたのだ。しかし、驚愕に変わりなく『シールド』と言って弾かれた斬撃の次に来た大男の斬撃を躱すのに全神経を使い、地面に倒れてしまう。
泥濘んでいたのが幸いして顔面に傷は付かない。しかしなんという無様な格好。
謎のプライドを持つドレイクにはそれが堪らなく屈辱的だったのだろう。
「はぁぁぁッ!」
利き手でない方の手で剣を握ったかと思うと全身に覇気を巡らせて剣を投擲した。
目的は大男であろう。
矢にも劣らぬ凄まじい速度で大男に迫るドレイクの剣。
「シールド」
再び”シールド”という言葉。
瞬きの間に詰め寄られ、腹に数発の重い拳が入る。
苦悶の表情は男を喜ばせるのみ。
蹴りは肋骨に響く程。
「な、何故……」
空中で止まった自分の剣を眺めてそう呟くとドレイクの意識は霞み、夜空を眺めて大の字になって倒れてしまった。
「覇気もまだまだ未熟、己の実力を誤って挑んだか」
「あ”ぁぁ?」
倒れた状態で睨むドレイクを大男は見下す様にして冷たい視線を向けている。意識は既に薄い筈、それは白目を剥いている事から分かる。が、戦う意志は失われていない様にも窺える。
「おい、ドレイク。お前何突撃してやられてんだよ」
見下げる大男の左側からニョキッ、と顔を出したルーカス。接近というより接触までしているルーカスに大男は驚き口をパクパクさせていた。
「なっ、貴様、どど、ど、どうやって……!」
「どうって………………歩いて」
自分に見向きもしないこの男はどうやって自分に近付いたのだろう。
自分には”アレ”がついている。
アレさえあれば何者も自分には触れられないどころか、近付く事すら出来ない筈。
「あぁ、そういう事か、精霊に攻撃されていない俺に驚いているのか!」
「ココルドゥ様ッ! 此奴を! この不届者に罰をッ!」
首を左右、前後に回し叫ぶ大男。しかし、何も起きず大男は狼狽えている。
「何故! 何故! なぁぜぇッ!!!」
「無駄だよ。お前がココルルドゥと呼ぶ精霊は俺を攻撃しないみたいだからな」
「嘘だッ!」
「……はぁ、嘘じゃない。見えてるんだろ、アイツは俺を見てるが何もしてこない」
「動けッココルルドゥ! 此奴を潰すのだ!」
何も起きない。
「男なら腕っぷしで勝負しようよ」
素手で接近するルーカスを前蹴りで牽制、更には詰めて大振りの一撃。
肩の辺りに直撃し、痛みに悶絶するもその時間僅か二秒。自らを鼓舞して相手の顎目掛けてハイキックを見舞う。
「ぐっ……」
「――よし、借りるぞ」
ルーカスの手にいつの間にか握られていたドレイクの剣が視界に入る。尋常とはいったものの一方的な開戦と一方的な一手は完全にルーカスが有利であった。
「舐めるなよ若造がぁ」
地面を抉りながら振り上げられたルーカスの斬撃を大男は剣で防ぎ、剣の側面でルーカスを叩いて吹き飛ばす。巨躯から想像出来る力強さ以上の威力にルーカスは笑みを消して真剣に目の前の大男に対して剣を構えた。
精霊抜きにしても、この大男は強い。何処の国の騎士かは定かではないが、中々強い。
「そう言えば、馬車……」
「あの馬車か、誰が乗っていると思う?」
「何処かの国のお姫様だったりして、いや王子かもしれないな」
「当たりだ。あの馬車にはアーガイルから戻られるメルフェスタの王女が居る」
「……嘘だろ、護衛は……!?」
「二時間で制圧したぞ。王国の騎士は相変わらず脆い。噂ではネヴリスターダの女剣士が帯同していると聞いていたが、それらしき女は見当たらなかった。――知ってるか?」
「知らないね」
口角のみを上げて笑う大男の仕草に寒気を覚える。
「うむ……楽しみだったんだがな」
「成程、お前帝国の騎士か。それにしてもその鎧、初めて見た鎧だ」
「ハハハ! それはそうだろう。我々は表向きはもう存在していない騎士団だからな」
「目的は?」
「それはな!…………ん、お前、我に何でもかんでも吐かせようとしているな。そうはいかんぞ」
「チッ……」
得意げに眉が上がったのが余計にムカつくポイントだろう。流れに任せて全ての情報を得る作戦も失敗し、ルーカスは本格的にこの大男を仕留める方法を模索し始めた。恐らく一対一では勝つのは難しいだろう。それに相手は騎士、言葉の途中で出た表向きの”騎士団”では無いという言葉を取るとまだ他に別の騎士が此方の様子を窺っている可能性がある。
迂闊に突っ込むと数の差で殺られるかもしれないのだ。
であればどうするか。
ミシェーラとヨハンには”追い掛けられている方の馬車”を追う様に伝えてあるし、援軍や支援は望めない。
「いざ、尋常に勝負……!」
「ふっ、望むところだぁッ!」
剣聖から剣術を教わったのは随分と昔。
構えから剣の振り方まで丁寧に教えてもらったものの中々上達せず鍛錬を投げ出していた日々を思い出す。
『……遅い』
『これでも一番……速く……振って……いるつもりなのですが』
腕に力を込めて剣を振り下ろす鍛錬を強いられていた頃の記憶だった。
あの時は幼く、腕の力など皆無とは言わずとも決して”ある”と言えない様なものだった。それでも祖父は家を出るまでの間ずっと自分に目をかけてくれていた。
『一回一回目を瞑るな、相手をしっかりと見据え、動きを予想するんだ!』
『は、はい!』
そうしていつの間にか剣聖の剣技の一端を掴む事に成功していた。その時の、一瞬のみだったあの感覚を記憶の奥から引き摺り出して集中するルーカス。
中央で剣を合わせる二人に会話は無い。激しい攻防は地面を抉る程に激しいものとなっている。
ルーカスは目を瞑り黙っており、大男はそんなルーカスを怪訝そうに睨むのみ。
ゆっくりと開かれたルーカスの瞳。それを見た大男は咄嗟に剣で押し返し、軽いバックステップで後方に下がった。
「忘れた訳じゃないだろ……俺、思い出せ……」
「何だ? 何をぶつぶつ言っておる」
小声で内容は届かないが、何かをしようとしているという意図は伝わったのか腰を下ろして警戒する大男。
「ふぅ……」
「そろそろ終わりにしよう」
再び迫る巨躯。躱すにも二手、三手と間髪入れずに攻撃をして来る大男は”命を賭けた戦い”を初めてするルーカスにとって厄介極まりないものとなっていた。
しかし、一見優勢に思われていた大男も、中々しぶとい目の前の青年に対して疑問を抱き始めていた。
何故自分の速度について来れているのだろう。
「この剣筋……何処かで……」
脳裏に浮かぶのは一人の人間だった。
嘗て帝国の騎士十三人に包囲されながらも剣一つで切り抜け、自分に一生残る傷を残して去ったあの男。
「疼く……疼くぞ、古傷が……っ!」
つい最近まで学校に通い、普通に生活する平凡な毎日を送っていたルーカスに、体験した事の無い圧倒的でおぞましい圧がのしかかる。
歯を食いしばり、このままでは押されると思い深く息を吸って何とか踏ん張っているが、押し返す事は叶わない。
「……っ!」
その時だった。
自分の中にある何かが外れて目の前の光景が無意識の内に次々と変化している事に気付いた。
相手の攻撃に反応しているが、それは無意識で、攻撃が来ると理解する前から身体が動き始めている状態だった。
信じられない程に呼吸は落ち着き、自分の鼻息が聴こえる程まで静かで無駄の無い滑らかな剣筋。
紫色の斬撃が自分の身体を通り過ぎざまに切り刻んで舞う。
流れ出る血液すら一つの作品に仕上げているかの様な恐ろしくも美しい攻撃に、自然と死を受け入れ、回避行動は取り止め、静かに目を瞑っていた。
「くっ……見事……!」
そこから放たれた濃密な覇気の奔流、季節の変わり目を意識させる壮大な空気感の変化に、大男は敵でありながら一人の”騎士”として、最期に賞賛を贈らざるを得なかった。
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