第2話
静かになった教室。
ルーカスは頭を抱えて机に伏していた。
「ねぇ……ルーカス、貴方貴族だったの?」
少し悲しげな瞳が此方を覗き込んでいた。そして複数の同級生が自分の周りに集まって来ているのも感じた。
四年の隠遁生活のベールが剥がされたのだ。
「違う、俺に爵位は無い」
「でもお母様がハイデガーだって」
「父は貴族じゃない、平民だった」
答えになっていない様な気をもするが、どうでも良かった。頭が混乱していて声を出すのが精一杯だったのだ。
「あの人達、悪い人では無い……よね、皆んな?」
「うん、多分そう思う」
「俺も……彼奴ら悪い奴とは思えねー……」
「でもいきなりルーカスと取っ組み合いになる様な乱暴な奴だぞ?」
「それは……」
今まで学友として接していた男が勇者候補だなんて、素直に信じる事が出来ないのも当然だった。この中にはルーカスよりも成績が良い者も居り、何で此奴が、という思いを抱く者も居るだろう。
「勇者か……凄いな」
褒め言葉とも取れる様な呟きに、近くの女子がキツイ睨みを効かす。
「まだ決まった訳じゃないでしょ」
世間での魔王の評判が良く無い事から皆、勇者というもの自体に良い印象を抱いている者は少なかった。
それはそう、魔王はこれまで凄まじい数の英雄を葬り去っているのだ。
誰かしらが憧れている英雄も、どっかの年代に魔王によって殺されている事が多い。
「先生」
「何だルーカス」
「今日早退しても?」
「……良いぞ、心の整理が必要だろう。この後の教科担当には私から伝えておく」
「ありがとうございます」
◇◇◇
ここは一旦心を整理するべきだ。
母に勧誘されたと打ち明けたら怒られてしまうだろうか。
「ん? あれは……」
帰路に就いたルーカスの視界には平日の昼間とは思えぬ人集りと主に女性からの歓声が多く聴こえた。
この街に有名人でも来たのだろうか、気になって人混みを掻き分けて行く。
もし王都などの有名人ならば一度は見ておきたい。
そんな学生じみた軽い気持ちで人混みを抜けると、目の前には巨大な荷車が馬車により牽引されており、先頭には王国の騎士の護衛が数名歩いていた。
ここまでの護衛は貴族でもあまり見ないが、一体何があるのだろう。
「凄いわね、あんなに大きな魔物を仕留めるなんて……」
「そうね。若いのに流石だわ」
馬車の小窓。その奥に手を振る男が見えた。若く見えるが何歳くらいなのだろうか。
そんな事を考えているところに近くの観衆からの声が耳に入る。
「聞いた話だともう既に『マスター』の席が空けられているらしいわ」
「知識の塔は老人ばかりだもの、新鮮ピチピチの魔法使いが欲しいんでしょう」
「老人って……もう、殺されるわよ」
魔法の研究施設であり、国を股に掛けて活躍する魔法使いを育成する機関でもある知識の塔。それが目を付ける人材とは相当優秀なのだろう。
巨大な荷車に掛かっていた布が大胆に払われ、荷物が露わになる。
「へぇ〜これは凄い。バジリスクか」
巨大で筋骨隆々な体躯に艶のある表皮、大きな眼と目が合うと石化してしまうその恐ろしさから国総出で討伐する事が多い魔物だ。それを一つのパーティーが仕留めたとなると、この歓声も納得出来る。
「凄い人気ですね、流石は黒の勇者」
斜め後ろから自分に声を掛けてきたのは見た目二十代後半の男でローブを纏っていた。魔法使いか、魔法使いもどきか。
判断しようと振り向こうとしたルーカス。
しかし、その動作は男が肩を掴んだ事によって中断させられた。
「前を見ていて下さい。この群衆ですが王国の騎士達は自分達全員の顔を見ています。下手に動くのは注目されるだけですよ」
「人探しですか?」
「えぇ。ですから目立つ行為はおやめ下さい」
「その様子だと、その探している人というのは俺か貴方の様ですが、何かしたんですか?」
「ハハハ……」
小さく笑った男は懐から一枚の紋章を取り出して、ルーカスの制服のポケットに忍び込ませた。
「何だ……あぁ、知識の塔のレリックマスターでしたか。先代はお亡くなりに?」
平静を保って頭に蓄積されている知識を最大限使って質問をする。勿論、レリックマスターなど気軽にお目に掛かれるものではなく、全身が震えているのだが、筋肉と気合いでなんとかする他無かった。
「先代をご存知で?」
「ええ、レリックマスターから家宝を隠し通すのに母はよく苦労していました」
「……あぁ……すいません、実は自分も……」
「おっとっと、まじですか」
「まじです」
気不味い数秒間の沈黙。それを破ったのは通行人との接触だった。
「すいません……」
「気を付けてな」
「うっす……」
母とこの地方へ引越して来た理由の一つに、知識の塔があるのだが、最近は音沙汰無く平和だったが故に忘れかけていたのは言うまでも無い。
なんと面倒くさい組織に絡まれてしまった事だろう。目を瞑り猛省するも、この人混みでは逃げ出す事が出来ない。
「家に来れば良いのでは? わざわざ俺を尋ねる意味が分からないのですが……」
「英雄アトラスの武器アベレルシオンを護衛も居ない邸宅に置いている筈が無いと思いまして」
「俺が持っていると?」
「持っている様には見えませんが、場所は知っているでしょう」
「そりゃまぁ」
「では! 対価は十分にお支払い致します!」
「教える訳が無い。アレは金でどうこうしていい物じゃないからな」
馬車と荷車がルーカスから僅か数十メートルの所で止まる。バジリスクを解体するのだろう。そういう施設の前だ。
馬車から四人、バジリスクを討伐したと思われるパーティーが降りて来た。一層増す歓声に耳を塞ぎたくなる。
「ですが、アレが凄い代物だと理解しているのは我々だけじゃありません。彼処に居るあの子達も、話に聞くアベレルシオンを求めてこの街に来たんですよ」
「はぁ!?」
思わず大きな声が出てしまった。
周囲の視線は勿論、バジリスクの死体を囲んでいた男女四人組も此方に振り向き凝視されてしまう。一人知り合いが居る為にあまり顔を見られたく無いのだが、見られてしまっただろうか。
狭い空間の中、ルーカスはしゃがんで姿勢を低くする。
レリックマスターも同様にしゃがむが、良く見ると目立つ格好のレリックマスターはより一層注目を集めてしまっていた。
「逃げるぞ」
「えぇ、流石に逃げましょう」
両者しゃがんだまま群衆を掻き分けていく。顔面が膝や脛辺りにあるからか、時々小さな蹴りをくらってなんとか外へと抜け出した。
「いてて……誰だよ蹴った奴」
「見られたでしょうか?」
「分からない、見られてないと良いけど……」
膝から腰にかけて付いた土や砂を手で叩いて落とす。制服に汚れというのは気分的にも最悪なのだ。既に下がっていた気分がもっと下がってしまう。
人目につかない路地裏。
此処ならば安全だろう。そう思った矢先だった。
「――お前……ルーカスか?」
ドキン、と身体の中で心臓が跳ねたのが分かった。
長く記憶の奥に仕舞われていた懐かしの声。
答えてしまいそうになるのを堪えて咄嗟に笑顔を取り繕ってゆっくりと振り返った。
いつの間にか自分と同じ位の身長に成長した幼い頃の友人。記憶にあるその面影は最早、黒髪というのと整った顔付きくらいで、その他は昔からは想像付かないものとなっていた。
答えるべきか否か。
「ルーカス、久し振り」
敵意は無さそうだが、目的を知っている以上警戒を怠る事なんて出来ない。
「聞いたぞ。お前、勇者候補なんだってな」
微笑んだ。見た事ない哀しげな笑顔だった。
「どうした……?」
「――ロイド」
「ああ! そうだ俺だ。やっぱり人違いじゃなかった」
「俺に用があるんだろ、何だ?」
「その用事、知ってるんだな……。気に入らないのは分かるが、これも魔王を倒す為だ。貸してくれないか?」
「アベレルシオンで魔王を倒す事は出来ない。お前は騙されているぞ。王国や帝国、知識の塔がアベレルシオンを求める理由は他にある。……な?」
チラリと横に居るレリックマスターを見ると後ろめたい表情を浮かべながら俯いた。図星である。
「何だそれは?」
「ロイドは知らなくて良いよ。――取り敢えず勇者おめでとう」
「な……あ、ありがとう。ルーカスも勇者になれよ、俺達なら魔王を倒せる」
「決めるのは聖剣なんだろう? 俺は……選ばれないと思うぞ」
何も無い路地裏で話していた二人と傍観者一人。
ロイドの仲間らしき人物三人が奥から此方に近付いて来るのが見えた。此処で勇者候補として顔を覚えられるのは色々と面倒な気がしたルーカスは急ぎその場から離れようとする。
「ちょ、ルーカス!」
走り出したルーカスをロイドは大声で引き留めた。
「――何だよ!?」
「また会おう」
「……………………ああ」
ロイドの確信めいた眼差しにルーカスは自然と笑みを見せていた。それに気付く事はなく、傍から見ていたレリックマスターはポカンとした表情で、去るルーカスと迫る三人組を何度も見合わすのだった。
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