第1話

「ねぇ、ルーカス。起きてる?」


「……」

「ねぇってば!」

「……あ、あぁ、起きてるよ……」


 最早空いていない両目を何とか気合いでこじ開けて隣に座っている同級生の顔を見た。自分は笑顔で彼女を見たつもりだったのだが、彼女が呆れた表情で見つめ返すを見る限り、自分の表情は思い描く様に取り繕えていないと改めて理解出来た。


「おい、ルーカス! また寝てたのか! 進路が決まったからってあまり調子に乗るんじゃないぞ!」

「ふぁ〜……すいません、気を付けます」


 十席先まで聴こえてそうな巨大な欠伸に勿論先生が気付かない筈も無く、目を細めてルーカスを強く睨んだ後、教科書の頁をパラパラと捲り出した。


「良いだろうルーカス、四百ページの五行目、英雄アトラスの使用武器と使用している型を述べよ」


 突然の問題にルーカスが困惑する素振りは無い。

 周りの生徒達は目線だけルーカスに送って先生からの無茶振りを見守っている。


「――武器の名前はアベレルシオン、英雄アトラスに使用している型なんてありません。彼は覇気で相手を押し潰しながら戦う。それが答えです」


 沈黙。

 誰かの小さな笑い声だけが教室に流れた。勿論、声の正体は分かっている。絶妙に視界に入ったまま笑い悶えているから考えなくとも分かっていた。


「な、何?」

「なーんにも、ただ面白くて」


 何が面白いのか、未だに分かっていないのはルーカスのみだった。この問題はルーカスが寝ていた際に先生が口にしたちょっとした雑学であり、教科書の四百頁に載っている事も無ければ、そこら辺の小説に載っている事も無い。


「良く知っているな、何処で覚えた?」

「何処……何処……彼の自伝が家にあります」

「「「えぇ!?」」」


 騒然とする教室、勢い良く詰め寄って来る先生を両手で抑えている最中、教室の前の扉が開いて貴族風の男が二人、同じく貴族風の女性が一人辺りを見渡しながら入って来ていた。


「――地方の学園にしては……」


 視線が一気にルーカスから女性へと移り変わった。特徴的な青髪は珍しくついつい眺めてしまう。美しさも相俟ってか、人によって目の色が違うのは仕方の無い事だろう。


「ん、ちょっと君達! 此処は歴史学の教室だぞ、誰だね」

「我々はただの見学者ですよ。学校長から許可は得ていますからお気になさらず」


 そうは言ったものの、目立つ三人の乱入者を前に気にしないなんて無理がある。現に、此方を見つめて来る視線は単なる見学とは思えない興味を持っている証拠であり、ルーカスも自然と椅子を引いて警戒の姿勢をとっていた。

 そんな本人しか分からない様な警戒ぶりと些細な行動に、見学者を名乗る三人は顔を見合わせて何やら話をしていた。表情は深刻さの中に蔑みがある様な不穏なもの。


「ルーカス、知ってる人?」

「知らないな。誰だろう……」


 貴族風だが、三人からは滲み出る闘気を感じる。それこそ、『覇気』と呼ばれる人間の奥底に眠る見えない力の様な。


「ルーカス・セイン。俺達と一緒に来い」


 自分の名前を叫びながら自分を真っ直ぐ見つめるその瞳に茶化しや冗談めいたものは感じない。本気で自分を勧誘しているのだろうか。

 何が目的で、何を求めて自分なのだろう。

 色々な要素を整理してルーカスが導き出した答えは。


「は?」


「突然で驚いているんだろうが関係ない、付いてこい。話はそれからだ」


「はぁ……?」


 ざわつき出したこの教室で一人感情を露わにして歩み寄って来る男。

 それに対するルーカスの返答も、客観的に見たら癪に障るものである事には変わり無いと言える。


「付いてこいって言ってんだ」


 自分の台詞を喉まで引っ張り、溜めに溜める。


 「――俺は暇じゃ無い」


 決まった。

 正にそんな清々しい気持ちで言い放ったのだが、周囲の空気は凍りつき、隣の同級生は目を点にして口を開けたまま固まってしまっていた。


「はぁ……」

「チッ……あれに俺達がつけと?」

「メルフェスタ王国はそうお望みよ。あれでも”勇者”になる人間なんだから」


 小さな声で仲間内だけの愚痴共有。この空気の固まった教室下では溜息の息遣いでさえはっきりと聴こえて、更にはその後の会話までもはっきりと吸い込まれる様にルーカスの耳に入った。


「え……勇者?」


 聞き慣れない単語を繰り返すルーカスを見つめて頷いた三人。続いてその中の一人が値踏みする様に好奇な視線をルーカスへと向けた。

 

「剣は得意なんだろう?」

「いや、まぁ……少し」

「剣聖から教えを受けていた過去がある、と聞いたが?」


 時間が止まった。そんな感覚を覚えた。

 何故この男達は自分が此処に越してくる前の情報を持っているのか、誰一人として話したい事なんて無く、勿論この学校に入学する際にも”此処が出身”と嘘をつき、それを貫いていた。

 守り続けていた秘密が突然の訪問者によって破られたのだ。

 額に汗が滲み、僅かに心拍数が上がるのを感じた。


「剣聖の家系、ハイデガー侯爵家。現当主ジェルド・ハイデガー閣下の実の娘であらせられるエレオノール・ハイデガー、今はハイデガー本家から離れて暮らしている様ですが、貴方の母君では?」


 視線が泳いでしまいそうだ。この緊張感は未だ経験した事の無いもの。ルーカスは黙って喋り続ける女性を睨む事しか出来ていない。


「殺気は本物ね」

「そうだな、殺気は、たが」


 不気味に微笑んだ二人の男。そして次の瞬間にはルーカスの視界一杯に男の拳が映り、身を捩ってそれを躱した。


「は?」


 思わず声を上げた男の拳は空を切った。ただの拳では無かった。

 しかし、それが理解出来る者自体この場には少なく、ルーカス、先生、後ろ居る仲間二人のみ。

 昔から貴族と平民の違いとして、教養の他に剣術、槍術などの武術の差があると教えられたのをふと思い出す。


「こんな場所で……大胆に覇気を……!」

「何か悪いか?」


 両手をがっしりと掴み合い、衝突するルーカスと男。近くで見てみると案外この男は若いのかもしれない。


「何スカしてんだよ……!」


 そんな事を考えられる余裕があったのは事実だが、決してスカしている訳では無い。ただこの若さで覇気を扱うという事実に複雑な感情を抱いてしまっていただけ。


「少し落ち着けって……なぁ……」


 男は正直このルーカスが勇者候補だと信じたくはなかった。

 名前すら初めて聞いた男。

 大した威厳を感じない男。

 喋ったと思ったら気取った様な口をきく男。

 しかし、この男は噂通り剣聖から教えを受けているのかもしれない。他にも噂はあるが、それももしかしたら本当なのかもしれない。


「くっ……」


 体勢は此方が半分覆い被さった様なもので、有利。しかしルーカスの身体は大地に根を張る大木の如く一切動かないのだ。


「ドレイク、もういいわ」

「俺達でも此奴を見定める権利くらいあって良いだろ!」

「それ以上は駄目よ」

「何故ッ!?」

「もう既に先を越されているの! 不平不満を言っている場合じゃ無い!」

「チッ、ったく……!」


 手が解かれ、離れて行くドレイクという男。話を聞く限り自分は巻き込まれているらしいが、巻き込んでいる側にもどうやら事情があるらしい。


「改めてお願い、私達と一緒に来て」

「それは出来ない……」

「何で……」

「当たり前だろ……! いきなり押し掛けておいて、一緒に来いだと? 無理に決まっている……!」


 静まり返っている教室のチャイムが鳴った。次の授業は体術で、外に出る必要があるのだが、誰も外に出るどころか、教室すらも出ずにルーカスと向かい合う三人を眺めていた。


「そう……」


 俯いた女性は小さくそう呟いた。

 

「ルーカス・セイン、良いのですか? 勇者になるチャンスを逃しても」


 初めて口を開いた白髪、赤眼の大男。柔らかい言葉遣いで聖者的な優しさを感じる。

 

「俺はあくまで候補者なんだろう? 剣聖の教えを受けたからっていう理由だけで候補に挙げられるのなら、他にもっと良い人が居る筈だ。もっと……強い奴が」

「そうね、確かに貴方は候補者でしかないわ。でも、十八歳で剣の達人を探すのは…正直言って厳しいの。貴族でもなかなか居ない」


 再びチャイムが鳴った。授業開始の合図なのだが、生徒を始めとして、先生もそんな事すっかり忘れていた。


「――ロイド・シドウェルズ」

「……何故その名前を!?」

「え、あ、昔の知り合いだよ……確か彼奴も剣を使う。尋ねてみたらどうだ?」


 ロイド・シドウェルズはメルフェスタ王国の侯爵家であるシドウェルズ家の長男で、今最も期待されている学生と言っても過言では無い実力の持ち主だ。

 

 

 そして現時点で、【レベル6】という王国内でも指折りの実力者である。若干十八歳で【レベル6】に到達しているのは観測上初めての事で、学園に属している者で彼に対抗出来る者は居ないのでは無いかと囁かれる程。


 

 そんなロイドとルーカスは幼い頃一緒に剣の鍛錬をしていた過去があり、隣で剣を振るう光景が今でも思い出される。

 彼は優秀だ。きっと力になる筈。


「「「駄目だ」」」

「何故……?」

「もう既に片方の勇者は彼に決まっている」


 だから焦っていたのか。腑に落ちてルーカスは小さく頷きながら顎に手を置いて視線を地面に落とした。

 ロイドが駄目なら他に誰か良い人を探さなければ。

 記憶を辿るが、元々身分を隠す為に生活の拠点を転々としていたルーカスだ。これだ、という良い人が見つからない。


「私達、今日までこの街に居るから。良い返事を待ってるわね」


 教室を去る三人とそれを黙ったまま見送るルーカス達。

 静かだった。

 でも心の中は何故かうるさかった。決まった時間に登校してペンを走らせる日々に足りなかった”興奮”が去って行く。そんな気がした。

 教室の扉を眺めたまま動かないルーカスを見て、隣の同級生もたった数分間のやり取りで変わった気持ちというのを感じ取っており、歓喜するどころか、頭を抱える仕草が似合う表情を浮かべるルーカスに思わず手を差し伸べたくなってしまう。

 勇者への誘いというのは悲しむべきものなのだろうか、それこそ、勇者候補というのを経験した者が居ない、又は知らない者達が多いこの空間の中で、落ち込むルーカスを励ます正解を知る者なんて当然いなかった。


 

「勇者か……」

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