第13話:赤ちゃんは、一切の不安も、一切の疑念も、一切の駆け引きもなく、ただ、僕の腕に・・


全ては杞憂だった。余計な心配だった。


父親になれるかって? 別に僕が、成長して変化して父親になる、という訳じゃない。もの凄く愛しいものが出来て、相対的に、僕は父親になるのだ。愛しさを捨てなければならないって? そんな筈ない! 最高に愛しいものに、今、こうして、出会う事が出来たのだから。


リリスが産気づいて、産婆を頼んでいた女性に急いで来てもらって、僕は隣の部屋でただ、立ち尽くしていることしか出来なくて、リリスは、命をこの世界に産み落とすという重い使命と、酷い苦痛とを、その小さいからだ一身ですべて、すべて受け止めて、———


一歩も、ほんとに一歩も引かずに闘っていたんだ。


なのに、なのに僕は、口では「がんばれ、がんばれ」なんてリリスを励ます言葉を、リリスに聴こえもしないのに言い訳がましく何度も何度も呟きながら、でも心の中では「ごめんなさい、ごめんなさい」って、謝り続けていたような気がする。


やがて産声が上がって、女性達の安堵と喜びの声が聞こえて、本当は逃げ出したいくらいに怖かったけど、逆に部屋に入ろうとしたりして、そしたら産婆の人にひどく怒られて、落ち着きなくうろうろと部屋の中を歩き回っていたら、今度は向こうから扉が開いて、落ち着いて椅子に座るように言われた。産まれた赤子を見せる、というのだ。


白い綿布にくるまれて、女性に抱っこされた赤ちゃんが、部屋に入ってきた。最初、それが赤ちゃんであるとは分からなかった。だって小さ過ぎる。しかしとても大切そうにだき抱えられているその様子から、すぐにそれと理解し、無意識に、僕は立ち上がっていた。早く会いたい、というよりは単に、緊張していたのだ。混乱もしていた。


「座って!」


厳しい叱責の声が短く浴びせられ、僕はハッとして再び椅子に座る。「もしも落としたりしたら、取り返しがつかないから」女の人はそう言葉を加えて、なす術なくただ椅子に座る僕に、赤ちゃんを抱かせてくれた。


白くて柔らかな生地に包まれた、僕の子供、———


産まれたばかりのその子は、あまりに小さくて、あまりに軽くて、その命の、あまりの儚さに、僕は驚いてしまう。しかしその柔らかな布を透して伝わってくる温もり、いや、熱量は、その子が間違いようもなく確かに存在し、生きていることを僕に教えた。


その小さな生き物は、真白の柔布の中から、まだ何も映さない筈の真黒のまなこで、僕を見ていた。僕の腕に抱かれてまま、真っ直ぐに、僕を見ていた。


その時、僕の中で起こった事を、うまく言い表せる言葉を僕は持っていない。いったい何と言えば、この気持ちが伝わるだろうか?


その赤ちゃんは、一切の不安も、一切の疑念も、一切の駆け引きもなく、ただ、僕の腕に抱かれていた。完全に信じ切り、護ってくれる筈と、僕の腕に抱かれていた。


座れと、

叱り飛ばされた理由が、

いま分かった。


これまでの人生に於いて、誰からも、一度だって、こんなに安心して身を任せてもらったことは無かった。こんなに無防備に、全身でもって、頼られたことは無かった。


この子は、まだ誰とも知らない僕という人間に、全幅の信頼を以って、自らの生命とその運命とを、完全に、預け切っているのだ。


スイッチが、切り替わった。僕は、ごく自然に、父親になった。一瞬で、気が付くと僕はもう父親になっていた。


この無防備な信頼に、応えようと思った。僕の力の及ぶ限りの事を、この子にしてあげようと決意した。たった今、寄せてもらったこの信頼に、一生をかけて報いたい、そう希った。


自分の力で、親になるんじゃない。子供のおかげで、人は親になることが出来る。赤ちゃんが、その無防備な眼差しで、産み落とした男女に「魔法」をかけるのだ。















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