第10話:愛、食、寝、性、——— 強力であると思われる順に並べてみた


人間には「三大欲求」というものがあるという。


食欲、睡眠欲、そして性欲、———


しかし、これだけでは人間の心の、その美しい在り様を語り尽くせない。その浅ましい在り様を語り尽くせない。その複雑に入り組んだ精妙かつ怪奇な在り様を、語り尽くせない。妄執、我執、確執、愛憎、etc、etc、………


食うに困らず、定時で帰れて、夫婦円満なら、それで人生はすっかり幸せで、後は何にも要らない、ということになるだろうか? 「まあ、だいたいそうなんじゃないの?」という回答も、もちろん「あり」なのに違いない。しかし「否」だと、私(筆者)は敢えてここで明言したい。


喰って、寝て、ヤレれば満足な人生なら、、恐らくはカクヨム上で自らも作品をものする、こんな人生を削るほどの思いで執筆を続ける、その理由の説明が付かない。(筆者は、約半世紀に亘る人生い於いて、空手と、野外ギター弾き語りと、そして小説(創作)とにハマったが、体力的・時間的・精神的に最もダメージが大きいのは小説(創作)である、間違いない)


人間関係に於ける様々なトラブル、有史以来語られた様々な物語、その他、人間にまつわるあらゆる事象がその存在を示唆する、もう一つの本能的な欲求が「愛されたい」である。


いやそれは前出の三大欲求を満たすための心の働きであって本能ではない、という意見も当然あるだろう。しかしこの「愛されたい」という欲求が、しばしばこの三大欲求に矛盾し、凌駕してしまう事に思いが至る時、これは本能の命ずる基幹的な欲求であると考える方が自然ではないだろうか?


愛、食、寝、性、———


強力であると思われる順に並べてみた。食欲・睡欲・性欲は他の動物にもある。「愛されたい」この欲求こそが、人間を人間たらしめている、と筆者は考える。まあ、必ずしも人間だけに固有という訳でも無いだろうが、しかし少なくとも、人が「人間的だ」「人っぽい」或いは「心がある」と感じるか否かは、この「愛されたい」または「愛しい」という気持ちの有無が強く関係している。というか、この気持ちの有無が、と言っても過言ではない。


「護って欲しい」と「愛されたい」はイコールだ。そして「愛されたい」はやがて「可愛くなりたい・綺麗になりたい」へと変化する。


「愛されたい」という気持ちを向けるその対象は、子供の頃の自分からみた「大人」である。成長を終えた個体、つまり成体のことだ。可愛くなって、綺麗になって、成体に愛しさを感じてもらい、結果的に護ってもらいたい、ということだ。


そして「可愛くなりたい・綺麗になりたい」の具体的な理想像は、今より幼い頃の自分、究極は赤ん坊の頃の自分、または「こういう自分でいたかった」という憧れのイメージ像である。乳幼児の頃の自分の容姿を、例えば原始狩猟社会においては自らが知りようが無い訳で、幼い頃の自分のイメージ、セルフイメージは、成り行きとして自然、「こうでありたい」という憧れの「理想像」ということいなる。


そして、成長し「可愛くなりたい・綺麗になりたい」が叶わない、つまり「幼い頃の自分」に戻れない、ということが明らかとなると、人は、今の自分より「幼い頃の自分」に近い容貌・特徴を持った者を、かつての自分と置き換えて、愛するようになるのだ。


男性について言うなら、多くの場合、それは「若い女性」ということになる。













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