ライブ会場までの道すがら、通りを歩く人たちや通りかかる車に乗っている人たちから声をかけられた。

 自分の外見は、この星の過去に実在していた人物をモデルに作成しているので、奇異な印象は与えないはずなのに、とユーパンドラはいぶかしんだが、声をかけてくる人たちはみな好意的な接し方をしているので、あまり深く考えず、手を振り返したりして――多くの民族に共通する最も簡単なコミュニケーション方法らしい――やり過ごした。

 偽造したチケットで会場には入れたが、そこに印字されているシートは本来の持ち主がいるはずだ。しかも、今夜はどうやら満席のようなので、さて、どうしたものかと人混みを避けながら会場をうろついていると、背後から声をかけられた。

「あなた、ひとり?」

 振り返ると、若い女性が立っていた。

 周りには誰もいない。いつの間にか、スタッフ専用の通路に迷い込んでしまったみたいだ。

 こくり、とユーパンドラがうなずくと、若い女性が近づいてきた。

「あなたはまるで――」

 そのあとの言葉を若い女性は飲み込んで、ユーパンドラの全身をくまなく眺めた。

「それってコスプレ……じゃないわよね」

 ユーパンドラはあらかじめ記憶していた膨大な情報を探り、コスプレという言葉と前後の文脈から判断して、恐る恐る口を開いた。

「私の姿は、奇妙ですか?」

 慌てて、若い女性は首を振った。

「そうじゃない。すごく素敵よ。姿だけじゃなくて、その顔もまるで――」

 若い女性は手を伸ばし、ユーパンドラの頬にそっと触れた。

「『麗しのサブリナ』っていう大昔の映画。知らないの?」

 知っている。

 ユーパンドラはその映画の主人公の姿を模して、この星の知的生命体を構築したのだから。

 でも、ここで正直に知っているといっていいのか、ユーパンドラは迷った。もしかしたら自分はとんでもない間違いを犯してしまっているのではないか。

 顔を寄せてくる若い女性がいった言葉は、さらにユーパンドラを戸惑わせた。

「ねえ、キスしてもいい?」

 再び記憶の中の語彙を高速で検索したユーパンドラは、キスにも様々な意味合いがあることを知り、硬直した。この場合は、どのキスを指すのか。

 若い女性の唇が目前に迫ってくる。

 つやつやとして柔らかそうだ。

 ユーパンドラの脳裏に、会場でライブを行うバンドのシンボルマークが浮かんだ。誇張された分厚い唇から大きく突き出された赤い舌。

 いや、キスは舌を出したりはしないんだった。

 あれこれと考えている間に、ユーパンドラの唇は若い女性にあっさりと奪われた。

 相手の舌がユーパンドラの口の中にするりと滑り込んできた。ユーパンドラの舌を探り当てると、最初はちょんちょんと軽くつつき、やがて深く絡めてきた。

 まるで舌が意思を持った別の生き物のようだった。

 相手の動作をまねて、ユーパンドラも積極的に動いた。 

 ユーパンドラはだんだんと頭の芯が痺れてくるような、不思議な感覚に陥った。

 どのくらい時間が経ったのかもわからなくなった頃、突然若い女性が身を引いた。

 ユーパンドラは思わず足元がよろけて、若い女性にしがみついた。

 ふたりはお互いの額をくっつけて、同時に深いため息をついた。

「あー。なんてこと。こんなすごいの、初めて」

 若い女性は軽く首を振った。

「それで」紅潮した頬に手を当てて、若い女性はいった。「あなた、席はどのあたり?」

 ユーパンドラは曖昧に笑った。

「それが、ちょっとトラブっちゃって。席にありつけないかもしれないの」

「じゃあ、一緒に来て」

 さっとユーパンドラの手をつかむと、若い女性は歩き出した。

「あなた、名前は?」

「ユーパンドラ」

 自分の本当の名前の発音に最も近い、この星の、この国の言語に該当する言葉をユーパンドラは発した。

「素敵な名前」

「ありがとう。あなたは?」

 そう尋ねたユーパンドラを、驚いた表情で若い女性は振り返った。

「私のこと、知らないの?」

 ユーパンドラはうなずく。

「ねえ、あなた」若い女性は、じっとユーパンドラを見つめた。「もしかして、宇宙人?」

 ギクッと、身を引いたユーパンドラに若い女性は笑いかけた。

「ごめんね。私もまだまだね。ジェシカよ。ジェシカ・ヒューストン。これでも、結構有名な俳優なのよ」

 ジェシカは通路の奥に立っている男に、「ひとり追加ね!」と呼びかけて、扉を開けた。

 ユーパンドラはジェシカのあとについて、会場に入っていった。

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