第2話 癒しに逃げる ー疲労をほぐすー

 職場から消えるように立ち去った帰り、いつもとは違う道筋を辿り、繁華街の雑踏から徐々に離れ、人のすれ違いさえもなくなるような裏の路地にある、目当ての店。

 艶やかな表通りの繁栄と汚れを避けて、哀愁を漂わせるには新しく、ただ、なにかの流行りから取り残されたような雰囲気に溶け込むような粗末な木造の住居。

 家の中から蛍光灯の人工的な白い灯りが、引き違いのアルミ戸に嵌め込まれた梨地の型ガラスからぼんやりと零れている。

 挨拶もせずにガラガラと戸を引き中をのぞく。靴を脱ぐ土間と靴箱には、来客がないことを示すように外履きはない。待合室の長椅子にも誰も座ってはいない。靴を脱ぎ、靴箱に放り込み、古びた木の床を踏めばいつものように軋む音が鳴る。


「誰よ。何か用かよ」


 木の床の軋む音を聞きつけ、待合室の奥から声がかかる。


「時間に空きがあると連絡があり、マッサージを受けに来ました」


 私が声を出すと、暗がりの奥から白い割烹着姿の、年配で恰幅のいい女性がにこやかな顔をで出迎えに来てくれた。


「なによ。貴方か。よく来たよ。そうよ、ちょうど暇時ね。診察室に来なさいよ」


 皺の入った満面の笑みを浮かべて、手招きで奥の診察室へと私を誘う彼女が、この許可を得ていない診療所の女主で、闇医者、暇なときに秘伝の経絡快癒術を用いたマッサージ師にもなる方だ。

 

 彼女の手招きに応じて診察室へと向かう。くすんで所々が剥げ落ちた塗装仕上げのモルタル壁、古びた事務机、年季の入ったスチール棚、夜の闇を映し出す先の見えない窓ガラス。蛍光灯は天井でジジジとなり、灯りの加減を明滅させている。私は促される流れの中で、診察台に腰を掛ける。


「いつもどおり、簡単に診察するよ。――相も変わらず、心的疲労を抱えやすいね貴方。臓腑まで影響来てるね。あと、あまり、変なことにばかり頼っちゃだめよ」


 顔色を見て、触診をされると見透かされたように私の健康状態を言い当ててくる。腕がいいのだ。しかし、医師免許は持っていない。だが、貧しい人達やその筋の方々から信頼を受けている。


「まあ、仕方ないね。だからここに来ることになるよ。でも、病気や大きなケガじゃないからまだマシね。じゃあ、診察衣に着替えてよ」


 そう言われ、診察室を仕切るカーテンの奥でそそくさと着替える。カーテンを開けるといつの間にか焚かれたお香のよい香りが室内に立ち込めている。


「さ、いつもとおりのうつぶせになるよ」


 割烹着姿のまま、診察台の脇に立つ女主の元へと進み、言われたとおりに枕を抱え込み、うつぶせになる。背の腰骨辺りをまたがる気配を感じれば、肩甲骨付近に圧力を感じる。まずは、彼女が過去に暮らしていた大陸の秘伝の経絡マッサージから始まる。喉から声が漏れる様な圧力に伴う痛み。圧迫から解放されるたびに口から息が吐き出される。

 肩から腰へむかい、尻から太腿、脚、足裏へと進む。足裏を押されれば激痛を感じるも「ガマンよ、ガマン」と声を掛けられ、痛みで身をよじるのを耐える。


「さあ、次は頭と顔に肩、起き上ってよ」


 言われるがままに起き上り診察台を跨ぎ腰を掛けると、後ろから強い力で頭をもまれ、顔をほぐされ、肩をつままれる。


 きづくと、じわりと汗をかいている。上着を脱がされ、タオルで拭われてから再度うつ伏せになり、粘性の高い香油を塗り込まれていく。体内からよくない何かを絞り出すように丁寧にじっくりと塗り込まれ、揉み解されていく。

 いつしか目の前が蛍光灯の明滅に合わせるかのように虹色に星が瞬き、ぼんやりと風景が歪み、耐え切れずに瞼を閉じれば――




「ハイ、終わりよ。さあ、着替えて、お代を払って帰るよ。そろそろ、うるさい連中が来る時間ね」


 私はマッサージを受けているさなかに眠り、彼女に起こされ帰宅を促される。そそくさと着替えてお代を支払うと例もそこそこに、診療所をあとにする。

 入れ違いで、この国の人ではない腹を手で押えた男が一人診療所へと入ってきた。互いに顔を見せずにすれ違う。私が外へ出てすぐに「なにしてるか、バカか」となじる声が聞こえてバタバタとせわしない音がし始める。今度は快癒師ではない闇医者としての仕事になるのであろう。

 私は聞こえないふりをしてその場をあとにする。体が軽い。腹もすいた。なにかを食べたくてしようがない。体内の悪い何かが、排出された。これで、明日からもまた頑張れるというものだ。

 

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