第6話

 その夜も、くるみは夢を見ました。冷たい海に、仰向けに浮かんでゆらゆらと揺れながら、暗い色の連なりをぼんやりと見つめています。

――あの海だ。

 くるみが身を横たわらせているのは、あの恐ろしい深海でしたが、不思議と穏やかな気持ちです。どこまでも続く、果てしない深海のなかにぽつんと、たったひとりで浮かんでいるというのに、心は落ち着いていました。

 波が、ざあざあと音を立てて、どこまでもどこまでも広がっていきます。波が立つごとに、くるみの体は大きく揺れます。その揺れの激しさに、恐ろしさを感じました。心にすうっと風がとおっていくような、うすら寒い、心細い気持ちです。けれど、どこか、なつかしさを、くるみは感じていました。目をつむって、波の流れに身を任せていると、焦ったような大きな声があたりいっぱいに響きました。

 「何のんきに浮いているんだ。飲み込まれるぞ。まわりをよく見てみろ」

 くるみは、目を開けてぐるりと、身を横たわらせている海を見ました。波立ちだと思っていたのは、よく見てみると、白い腕の集まりでした。くるみを海へひきずり下ろそうと、無数の腕がくるみの体をひっぱっています。くるみは驚いて抵抗しました。けれど、くるみひとりの力では、とてもかないません。

――もう、だめだ…。

 くるみが力を抜いてしまうと、また声が響きました。

 「あきらめちゃだめだ。船だよ。船を呼ぶんだ。相手は人間の手だぞ。船をどうこうできやしない」

――船?

 くるみは、必死に抵抗しながら、声をはり上げました。

 「どこにも船なんてないよ! へんなこと言わないで、見てるんだったら、助けてよ」

 「想像するんだよ! いつも絵を描いているみたいに。想像するんだ! ただ想像したんじゃだめだぞ。紙でできた船を呼んだって助けにはならないんだから。心の底から想像するんだ。あんたの全力で想像するんだ。僕はあんたを助けることなんてできないよ。あんたの全力で、あんたがあんたを助けるんだ」

――へんなことばっかり言うんだから。

 くるみは憤慨しながらも、全力で想像するということの意味は分かりました。ただ頭の一部で想像しただけで描いた絵はつまらないものです。全力で心と体ぜんぶで、くるみはいつも絵を描いていました。同じように、くるみは想像しました。頑丈な船を。この深海に飲み込まれないような、唯一の舩を。恐ろしさに身もすくむようななかで、その船の細部まで心の筆で描き切りました。すると、くるみは船の上にいました。くるみの想像したとおりの船に、くるみは横たわっていました。船のへりに走り寄ると、荒れ狂う海が広がっていました。無数の腕は、頑丈な船になすすべもなく、ますます高く波立つだけでした。

 その腕たちを見ていると、くるみの気分がじわじわと高まりました。

 「やった。私、あの怖い腕たちに勝ったんだ」

 なんだってできるような気持ちになりました。

 「いや、まだだよ」

 また、あの声が響きました。

 くるみは、せっかくのいい気持に水を差されて、むっとしました。

 「なんでよ」

 「さあね」

 「なんなの。助けてくれなかったくせに。なんで意地悪なこと言うの?」

 「言っただろう。あんたがあんたを助けるんだって。僕は何にもできないよ。今はただ、船に乗っただけだろう。あの腕がなくなったわけじゃない。ほら、今だってこのだだっ広い、不気味な暗い海の波を作っている。あちこちにいるよ」

 「でも、船にいれば安全だもん」

 「さあ、それはどうかな」

 くるみは姿の見えない声にすっかり腹を立ててしまいました。けれど、腕が今もくるみを海へ飲み込もうとしている、ということをくるみは確かに知っていました。腕は、執拗にくるみを狙っているのです。そのことを、くるみは肌で感じていました。

――あの腕は何なんだろう?

 くるみは、じっと高くうねりを作る腕の集まりを眺めていました。とても細い腕です。長い指と、短く切りそろえられた爪はぴかぴかと光っています。くるみは、その腕をよく知っているように思います。けれど、その腕について考えると、心がひやりとして、うまく思い出すことができないのです。

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