第4話

 ある日曜日の朝、くるみの家には、いつものように幼馴染たちが集まっていました。いつもは誰よりも早くやってくる佳織ちゃんは、めずらしくまだいませんでした。「いいお天気だから、公園にでも行こうか」とお母さんが声をかけたとき、みんな半狂乱になって喜んで、お母さんの車に乗り込みました。すぐにやってくるだろう佳織ちゃんが来る前にと、みんなどこかで意識していたと思います。その日は、久しぶりに幼馴染たちだけで、のびのびと遊びました。大きな声で笑い転げて、走り回りました。落ち葉の上にダイブして、泥団子をたくさん作って、ブランコを大きくこいで。たのしい時間はすぐに過ぎていきました。

 その翌朝、教室に入ったくるみに、佳織ちゃんがつめ寄ってきました。「昨日、何してたの」と、怖い顔で聞くので、「さっちゃんたちと公園で遊んだよ」と答えました。その答えを聞くと、佳織ちゃんの顔はますます怖くなりました。けれど、先生がやってきたので、佳織ちゃんはこちらを振り返ってにらみながらも、自分の席に着きました。くるみは、佳織ちゃんのことを怖いと思ったり、どうしてあんなに怒るんだろうと不思議に思ったりしていましたが、すぐに忘れてしまいました。窓から雨のにおいがしたからです。くるみは雨のにおいが大好きでした。そのにおいをかぐと、嬉しくなります。いつもと違う何かが起こるような、たのしい予感に胸がわくわくするのです。ただの雨の前ぶれに過ぎないのかもしれませんが、くるみにとっては、小さな冒険の予感に思えるのでした。

 けれど、その日は、くるみの長い苦しみの始まりの日となりました。授業の間の十分休みになると、佳織ちゃんはくるみの腕をつかんで、荒っぽく教室を飛び出しました。「痛いよ、どこ行くの?」と言うくるみを無視して、強い力で引っ張っていきます。教室のある棟から離れた場所にある視聴覚室に着くと、くるみの手を離し、ほっとしているくるみを乱暴について倒しました。「痛い!」とくるみは叫びます。「なんで?」という、疑問は声になりません。鬼のような形相の佳織ちゃんが、くるみにのしかかり、その首に手をそえて、ぎゅっと力を加えて来たのです。痛くて、息ができなくて、何より怖くて、くるみは目を見開きました。やめてほしくてもがきますが、佳織ちゃんは鬼の顔のまま、お面をつけているように表情を変えずに、くるみの首をしめ続けます。永遠のように思える、長く、苦しい時間が過ぎ、次の時限を告げる鐘の音が校舎中に鳴り響きました。佳織ちゃんはくるみの首から手を離し、何事もなかったかのように、さっさと視聴覚室から出ていきました。くるみは恐怖と痛みで、ぶるぶる震えて、しばらくその場から動けずにいました。

 その日も、佳織ちゃんはくるみの家にやってきました。幼馴染たちの遊ぶ輪に入らず、一人で絵を描いていたくるみのそばに、ずんずんと歩み寄り、くるみの絵の上からでたらめな線を引いて、くるみの目を見すえてにたりと笑うのでした。くるみは、恐怖で全身が固まってしまいました。心までこおり付いたような心地でした。くるみが苦しい気持ちを吐き出しながら時間をかけてていねいに描いた絵を、佳織ちゃんはいとも簡単にめちゃくちゃにしたのです。くるみは、恐怖で固まってしまった心と体を、どうにか動かし、幼馴染たちが遊んでいるところに逃げ出そうとしました。けれど、そうはさせまいと、佳織ちゃんは、くるみの手をぎゅっとつかみます。くるみは、ぞっとしました。震えながら、小さな声で「さっちゃん、りぃちゃん、ゆりちゃん」と幼馴染たちの名前を呼ぶと、佳織ちゃんはますます強い力でくるみの手をつまみあげます。その痛みで、くるみのなかの小さな勇気はしぼんでしまい、これ以上傷つかないように、心と体を縮込ませて、時間が過ぎるのをただ待つしかありませんでした。

 くるみは、今も、首をしめあげた、佳織ちゃんの手の感触をありありと思い出せます。思い出すたび、息をするのを忘れてしまいそうになります。

――どうして、こんなに苦しいんだろう…。

 くるみは、声を殺して泣きながら、思い詰めていました。出口のない迷路に入り込んだような気持ちでいた、くるみの頭を、ふいに、画用紙に描き切った海の影がかすめました。その暗さ、おどろおどろしさは、くるみにとって、甘く、優しいもののように感じられるのです。くるみは、少しの安らぎを感じ、泣きつかれて、眠ってしまいました。

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