第13話 鬼ごっこの行方
「はっ、はっ、はっ……」
背後から迫る怒声に追われること数分。
運動神経が良く武術の鍛錬とかで鍛えていたであろう橘ならまだしも、普段から運動はあまりしない都は完全に息が上がっていた。
「大丈夫か?」
「はっ、しんど……!」
なぜ一日の終わりに全力疾走をしなければならないのか。
そもそもの体力がない都は理不尽な怒りに打ち震えていた。
猛追者を撒くために角や階段を多用していたため、余計に体力の消耗が著しい。というか脚にくる。
むしろよくここまで体力が持ったものだと自身のことながら逆に誇らしささえ感じてくる始末だ。
「……後ろの足音がひとつ減った。脱落したか、あるいは回り込む気か」
「後者一択だろ! こんな運動もろくにしてない女に体力で負けるようなら不良なんてやめちまえっ…!」
「向こうにも考える頭はあったらしいな」
筋肉痛に悩まされるであろう明日の我が身を憂う暇もない。
特進科と芸能科の棟を抜きにしても十分に広く綺麗な校舎の階段を駆け下り、頭の中に描いたルートと現在地を見比べながら走ることさらに数十秒。
「…はぁ、はぁ、もう逃さねえぞテメェら!!」
行く道を塞ぐように現れた不良(赤)と、やや遅れて後ろから追いついてきた不良(緑とピンク)によって不毛な鬼ごっこは終幕を迎えた。
しばらくの間、荒い息遣いだけが廊下に響く。
盛大に息を切らせた四人を、ただひとり、数分にわたる鬼ごっこを経ても平然と涼しい顔をしている橘が見ていた。
廊下の前後を塞ぐ形で挟み込んできた不良たち。
まさに絶体絶命というやつだ。
「……よぉ、もう終わりか?」
「この前は随分と酷ェ目にあわせてくれたなァ」
「無事に帰れると思うなよ」
彼らはニタニタと気色悪い笑みを浮かべながら距離を詰めてくる。
状況だけ見てもリンチにあう1秒前だ。
しかしそんな状況下でもまったく動じた様子のない、いや動じる必要のない橘は小さく溜め息を落とす。
「お前たちの目的はなんだ? 俺たちを追いかけ回して何がしたい?」
目的もやりたいこともわかっているくせにわざわざ訊くのはなんのためか。
(……ちゃんと時間稼いでくれよ?)
いまだに呼吸が整わない都に回復の時間を与えるため、万が一鬼ごっこが第三ラウンドに突入した場合の体力を戻させるため、だ。
「ああ゛? んなのテメェらをボコるために決まってんだろうがっ!」
「やられっぱなしで黙ってるわけねえだろ」
「正気か? ここは学校だぞ」
「センコーにバレなきゃ問題になんねぇよ」
「俺たちが黙ったままでいるとでも?」
「テメェらは誰にも言わねえよ。いや、言えねえの間違いか。そこのブス犯して動画に残せばいい。それだけでテメェらは俺らに従うしかなくなる。まったく好みじゃねえけどなっ! ギャハハハ!」
おお、意外とゲスなことを考えているではないか。下卑た笑い声を聞きながら思わず感心してしまった。
たしかにその方法は彼らにとって有効な手段だろう。女の身としてもレイプ動画なんぞ死んでも撮られたくない。そもそもそんな展開は御免
だがしかし、それを実行するためには、彼らには乗り越えなければならないことがある。
(…あー…やっぱりね。こいつら、橘の武力知らない部類の不良どもか…)
前提として、都に手を出すためには彼らはまず橘をどうにかしなければならない。
無論、巷をブイブイ言わせている不良如きに遅れを取る橘ではないし、そもそも橘の武力を知っている者ならばわざわざ一緒にいるところを狙ったりはしない。都ひとりの時を狙った方がよほど成功率が上がるからだ。
「なんだなんだ? 急に大人しくなりやがってよォ。恐怖で何も言えなくなっちまったか?」
「クハハハ! けっこうカワイイとこあんじゃねえか!」
「ダイジョブだぜ。優しくしてやっからよ。ギャハハ!」
何やらほざいているが、成功する確率が限りなく低いことを考えれば、その威勢もなんだか憐れに思えてならない。
橘も可哀想な生物を見るような目を向けている。成功を確信している当の本人たちがそれに気づくことはないが。
都は小さく息を吐き、やっとのことで呼吸を整える。
その様子を横目に見ていた橘と目を合わせ、アイコンタクトをひとつ。
不良たちの間では下衆話に一段落ついたのか、緑頭の不良がニヤニヤしながらさらに近づいてきた。
おそらく今、都はとてつもなく冷めた目で男を見ているのだろう。こちらの瞳を窺わせない眼鏡と長い前髪の二重防御壁が人生で一番活躍した瞬間かもしれない。これ以上不良たちを刺激せずに済むのだから。
別に怖いから刺激したくないとかそんな理由ではなく、ただ単純に、さらに激昂した馬鹿共の相手がめんどくさいから。
伸ばされた手を叩き落としたい衝動に駆られながらも、なんの抵抗もせずに胸ぐらを掴ませる。
女の平均身長は優に越える都だが、やはり男には敵わない。
ぐいっと力任せに掴まれれば踵が浮く。そして息苦しい。
「……離してもらえるかしら?」
「おいおい随分と威勢がいいじゃねえか。テメェこの状況わかってんのか?」
「というと?」
「テメェは俺たちの手の中にあんだぜ? そこの野郎を沈めたあとはテメェの番だ。ハッ、どうせハジメテなんだろ? こんなブス相手に欲情する男なんかいるはずねえもんなァ? その貴重な体験を俺たちがくれてやるっつってんだから、せいぜい媚びへつらい機嫌を取っておくほうが身のためだぜ」
鼻先が触れそうなほど顔を近づけられ、都の両腕には次々と鳥肌が量産されていく。ついでに全身に悪寒も走る。
これは決して恐怖などではない。自分の身を案じているわけでもない。この感情はただの気色悪さ。目の前の男に向ける純度100%の不快感だ。
(……うっわこいつ、バチくそキモいなッ…!!!)
都のことをブスだなんだと散々罵倒しておきながら、無遠慮に顔を近づけるところも若干頬が上気しているところもがっつり瞳孔が開いているところも総じて気持ち悪い。
状況が状況ならセクハラ、パーハラその他差別的発言で一発アウトだ。是非とも社会的地位を失ってほしい。
(……それにしてもこいつ、人には散々言っておきながら節々から醸し出される非リア童貞感が否めんな。……ふはっ、やば、憐れすぎてなんか涙出てきた…!)
ぷるぷる震えそうな表情筋に力を入れる。
ここで笑おうものならしばらくツボにハマる自信がある。これ以上橘に呆れた視線を向けられるのは御免だ。先ほどから隣から刺さる視線が痛いのなんの。
「あら、あんたの方こそわかってんのかしら?」
「はあ?」
息苦しさを覚えながらも両手はだらんと下げたまま、都は目の前の男に、そしてその後ろの二人に冷たく言い捨てた。
「この状況下、誰がどう見たって悪いのはお前たちだよ。酌量の余地もなくね」
ちらりと送った視線の先は、廊下の天井。
同じように都の視線の行方を追った彼ら。
「あ……」
呆けた声とともに都の胸ぐらを掴んでいた男の手が離れる。
その顔は若干青ざめているようにも見えた。
なぜならそこにあったのは、廊下の様子を映す監視カメラだったから。
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