第5話 因縁というかもはや言い掛かり
都の態度が気に障ったらしい早乙女は顔を顰めてチッ、と舌を打った。
ちなみに顔を顰めたいのも舌打ちしたいのもこちらのほうだ。
「……ったく、しゃーねぇな。今日は話し合いで勘弁してやるぜ」
ゴリラよ、お前に話し合いができるのか。
そう思ったのはなにも都だけではなかった。
「話し合いって……いったいどんな話し合いをご所望ですか。毎週のようにあなたがうちの部室に乗り込んできて荒らしに荒らして帰っていくだけの無駄な行為についてですか? それならぜひとも有意義なディスカッションにしたいものですね」
「オイなんだその言い方は。俺たちが一方的に害を与えてるだけのように聞こえんじゃねえか」
「それ以外に何があると?」
「そんな俺らを毎度毎度高笑いで返り討ちにしてんのはどこのどいつだよ!」
「はて、そんな粗暴な人間、天文部にいましたっけ?」
「テメッ、」
「部長やめましょう。あんたが雨宮に口で勝てる未来がまるで見えないんで」
勝手に熱くなり始めた早乙女が再び都に手を伸ばそうとしたのを桐野が止める。
なんと頼りになる男か。だが桐野が止めなかったとしても都の隣に座る橘が制していたことだろう。机の下でピクリと右手が動いていたのを見逃さなかった。
こうして天文部に害を為す外敵が現れた時、それに対応するのは決まって都と橘だ。
都は部長だからだとして、橘を隣に置く理由としては様々あるが、やはり顔、力、頭脳、どれをとっても高性能だからというのがいちばんの理由だろう。
あとはただ単に他の部員に対応させるには悪影響が過ぎるからだ。
武藤は頭の中は凶暴だが基本はもやしだし、夏目は多少のサディズム傾向があるところにさえ目を瞑れば基本は聖母だし、花染にいたってはそもそも争うことを望んでいない。
だから必然的に野蛮な外敵の相手はこの二人になる。
ただ、都もれっきとした女なのだが、今更そこにツッコミを入れる者など敵にも味方にもいなかった。
「だいたい、あなた方が乗り込んで来なければ私たちだって手を出すことはないんですよ。正当防衛です」
「過剰防衛の間違いだろうがッ!」
「あれのどこが過剰防衛なんですか。薄力粉まみれにしたことですか? 水風船をぶつけたことですか? まさか祭りでゲットした吹き矢を放ったことを仰っているわけではないですよね? あれ吸盤ですよ。あなたの筋肉を前にすればただのかわいい防衛じゃないですか」
武藤特製の水鉄砲を使用していない時点で十分な容赦だろう。
あれはまた別の外敵対策のために用意しているものだ。多少手の早い冒険部だが、まだモラルなんて知るか精神で突っかかってくる野郎どもではないので、比較的攻撃力が低い手段を選んでいる。
「それに関しては先に手を出しているのは俺たちだから気にしなくていい。部長含め血の気の多い奴らが多くて悪いな」
「だからテメェはどっちの味方だコラ!」
何かと脳筋が多い冒険部の中でも唯一まともな桐野。
なぜこんな部にいるのかといつも疑問に思うし腹の中がまるで読めない狐男だが話が通じるから楽でいい。
「では根本的な話をしましょう。早乙女先輩」
「あ? んだよ」
「なぜそんなに天文部を目の敵にするんですか? 私たち、冒険部の皆さんに何かしました?」
冒険部からの攻撃が始まったのは半年ほど前からだ。
何かきっかけがあったわけでもない。
まともに絡んだ覚えもない。
にも関わらず、気づけば今のような状況になっていた。
都からしてみればなぜそんなに突っかかってくるのか不思議でならなかった。
「…………あ゛? マジで言ってんのかテメェ」
だが、そんなふうに思っていたのは都だけだったようだ。
至極当然の疑問を浮かべる都に、早乙女の眉間には深々とした皺が刻み込まれた。
(うわ、すっごい顰めっ面。さすがゴリラなだけあって迫力が段違いだな……)
まるで他人事のように早乙女にゴリラ判定を下す都だが、そういう顔にさせたのは紛れもない都自身だ。
「あんたは何か知ってる?」
「いや」
橘にも反応を求めてみたが、案の定返ってきたのは否だった。
示し合わせたように二人揃ってハテナマークを浮かべるその姿は、早乙女の怒りを煽るには十分過ぎるものだった。
バァァァンッッ!!!!!
「……ッふざけてんじゃねぇぞゴルァァァッ!!!」
力任せに叩かれた机は小さく跳ね上がり、ガタガタとけたたましい音を鳴らす。
ついに早乙女がキレた。
激しい怒りによってか、早乙女は小刻みに体を震わす。
この男にはまだかろうじて理性が残っていた。
ただでさえ暴力に訴えれば不利な立場になるのは先に手を出した人間なのだ。
いろんな意味で攻撃的ではあるが、決して自分たちからは先に手を出さない天文部を相手に冷静さを欠いてしまえば命取りになる。
暴力はダメだ。柔道有段者であろうと武力行使はダメだ。ここは学園内。先に手を出した方が負けだ。
そういう思いで、わずかながらに残っていた理性を必死に手繰り寄せて、早乙女は耐えていた。
学年的に言えば早乙女は一学年上。天文部の面々にとっては先輩にあたる。
にも関わらず都も橘も、ついでに言えば桐野も、敬語を使ってはいるがその言葉遣いに反して敬う心はまるでない。
むしろゴリラだなんだと完全に舐めている。
そんな慇懃無礼な二年生たちを前に、やはり今日も早乙女は忍耐力と自制心を試されているのだった。
「……ダメだぞ俺、落ち着け、落ち着け……ックソが!! ……いや、ダメだ……気張れ俺の自制心ッ!!」
「ひとりで騒がしい人ですね」
「誰のせいだと思ってやがんだテメェ!!」
年下相手に吠えながらも深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着きを取り戻そうとしている早乙女を都はなんとも冷めた目で見ていた。
(そもそもの前提として。あんたが絡んでこなければそのなけなしの自制心をかき集める必要もないというのに……ほんとゴリラ。ほんと単細胞。脳筋こわ……)
自らを落ち着かせることに必死だった早乙女は幸か不幸か、そんな都の視線には気づいていなかった。
もし気づいていたのなら、間違いなくこめかみの血管が二本と言わず三本も四本も切れていたことだろう。
「……テメェらな、よーく胸に手を当てて聞いてみろや。去年の十二月、冬休み前。テメェら言ったよなァ? 『冒険部? なにそれ人生の冒険とかしてるんですか? 人生ゲームじゃダメなんですか? 活動実体が謎な部活ですね、意味わかんないです』ってよォ。忘れたとは言わせね、」
「忘れました」
「覚えてないです」
「オイイイィィィィッ!!!」
芸人さながらの素早いツッコミを披露されたところで当事者としてはやかましいの一言に尽きる。
もっとTPOをわきまえた声量で会話を成立させてほしいものだが、この男相手にそれを求めたところで無駄な時間を浪費するだけだということはこれまでの経験から学習済みである。
「あの時の、俺らを馬鹿にした血も涙もない言葉は忘れねえからな! 一生根に持ってやるよ! 何よりテメェらみてえな意味わかんねえ部活に活動実体が謎とか言われたくねえんだよっ!!」
「はあ? 心外ですね。私たちはその名の通り天体を観測する天文部ですよ。あなた方の冒険部よりはずっと明瞭でしょう」
「そういうとこが馬鹿にしてるっつってんだよ。見下してんのか?」
「そんなつもりはまったくありませんでしたが……なるほど、先輩がそう感じるということはご自身でも謎の部活だと自覚しているということでしょうか」
「…ッ、テメ……!」
「先輩がどう思おうと勝手ですけど、ただひとつの事実としては、天文部はあなた方冒険部のことを馬鹿にしてませんし見下してもいないということです。つまりは目の敵にする理由もないということになりますね」
「……………」
「ご理解いただけましたら今日はどうぞお引き取りください。そろそろ部活の活動時間も終わりますし、冒険部の皆さんも部長が帰ってくるのを待っているんじゃないですか?」
外を見ればすでに日も暮れかけていた。
一部の運動部や大会の近い部活はもう少し時間を延長させることもあるが、文武両道を掲げるこの学園では基本的に部活動の終了時刻は定められている。
かくいう天文部も夜の天体観測などがなければ定時で部活を切り上げているし、桐野情報によると冒険部も大体は活動時間内に終えるらしい。
時間も味方につけて退出を勧めれば、早乙女はその顔にありありと不服を滲ませながらも仕方なしといった様子で立ち上がった。
「……今日はこれくらいで勘弁してやるが、次はねえから覚えてろよ」
「騒がしくして悪かったな」
話のわかる飼育員がゴリラを連れ帰ってくれたことでやっと部室内にも平穏が戻った。
そろそろこの部室にも調教用のバナナを置いておいたほうがいいのかと真剣に検討しつつ、天文部の部員たちにも下校を促す。
「さて、ゴリラも無事に檻に帰ったことだし今日はここまでのようね。念の為に周囲には気をつけて帰るように」
「ええお疲れ様。佑宇、ゴリラの残党に遭遇したら危ないわ。一緒に帰りましょう」
「うん! じゃあね、都ちゃんたちも気をつけて」
「では僕は工業科の方に用事があるのでそちらに寄ってから帰ります。お先に失礼します」
数分前までの騒がしさはどこへやら。
あっという間に部室からは人がいなくなり、残されたのは都と橘だけになった。
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