第6話 やはり元凶はこの二人だった



 机に広げてあったものを片付け、窓の戸締りをし、キャビネット類の鍵を閉め、忘れ物がないかをざっと確認。

 慣れた手順で帰り支度を済ませた都と橘は最後に明かりを落として部室を出る。


「帰るぞ」


「んー」


 外はまだ明るさが残るが校舎内だとやはり薄暗い。

 肝試し感覚を味わうにはまだ早いが、心臓の小さい人だと怖がるにはこれで十分だろう。

 生憎都も橘も心霊だのお化けだので怖がる質ではないのでこの程度の薄暗さではなんの恐怖心も煽られはしないけれど。



 外からは運動部の声が聞こえてくる。

 グラウンドの照明が点けられているということは今日はもう少し運動部が粘るようだ。


「それにしても今日もゴリラは煩かったわね。そろそろ出禁にすべきだろうか…」


「それで素直に自制してくれんならゴリラとか呼ばれてないだろ。あれは本物の脳筋だぞ」


「下手に知恵とか回されても面倒だけど、逆に超直情型脳筋も厄介ね」


「今度袈裟固めでも極めとくか」


「発言だけ見ればお前も脳筋だよ王子サマ?」


 一瞬でも早乙女と同じ括りにされたことに橘は眉根を寄せた。


 橘は王子顔のアンニュイ系イケメンとして、特進科でありながら芸能科の美形たちにも引けを取らない人気を誇っている。

 だから顔を顰めたところでその顔立ちの良さが半減することはない。むしろ気怠げな雰囲気をさらに際立たせているだけだ。


 顔のいい男に目がない旭をはじめとして、女子生徒たちからは『無気力王子』などと言われているらしいが、常日頃の橘を知っていれば王子要素はまるでない。

 強いて言えば髪とか肌とか全体的に色素薄めで白馬が似合いそうということくらいなものか。あくまでもそう見えるというだけだが。


 そんな他称王子が柔道、空手をはじめとした各種武道の有段者であることを知っている者は少ない。

 そのスキルだけを見れば脳筋と言われて仕方なしのこの男。

 だがその顔の良さだったり頭の良さだったりそもそも暑苦しいのが大嫌いな性格だったり、諸々の要素からこの男に脳筋という言葉は似合わなかった。


 だがもし今度ゴリラが襲来してきたときには上段回し蹴りくらいはしてもらおう。


「そういえば早乙女の言ってたあれ、覚えてたか?」


「ああ、きっかけのやつ? ゴリラは冬休み前だと言っていたけどあれは冬休み中の出来事ね。特進科の冬季講習で学校に来ていたときに部活中の彼らと遭遇したときのことだから。あの時は初対面だったはずなのにほんとクソほどうるさかったわね」


「はっきり覚えてんのに知らないふりしてたのかよ」


「それをお前が言う? あのとき私がなんて言ったか当ててみなさいな」


「『冒険部って人生の冒険とかしてるんですか? 人生ゲームじゃダメなんですか? ああ、それとも校内の秘密通路とか隠されたお宝とかを探しているとか……それなら是非とも活動成果を聞いてみたいものですね。ふふ、総じてよく意味は分かりませんが頑張ってください』だったか? 早乙女も正確には覚えていないようだったな。根に持っている割には記憶力に乏しい気もするが脳筋だから仕方ないか」


「あは、やっぱり橘も覚えてるじゃん。しかも一言一句正確に」


「あれしきの煽りでまさかここまで長引くとは思わなかったけどな」


「私だってべつにそのつもりはなかったっての。ていうかあの時の橘の表情も相当煽ってたと思うけど」


「知るか」


 先ほど早乙女に問われた際は二人揃って知らん顔を貫いていたが、その実当時のことはどちらもよく覚えていた。それこそ何かと気にしていた早乙女よりも正確に。

 この辺りに二人と早乙女の記憶力の差がよく顕れている。


「ゴリラのことだからもっと感情的になるかと思っていたけど雀の涙程度には理性もあったようね」


「一発くらい殴られてたらちょうどいい既成事実になったのにな」


「あんなゴリラの拳を喰らおうものなら私は病院送り確実だっただろうから無理だわ。この役は橘が適任だと思うけど?」


「俺だって無理に決まってんだろ。相手はゴリラだぞ?」


「そのゴリラ相手に技極めようとしてた黒帯はどこのどいつだよ」


 早乙女に対して都と橘が一貫して煽り態勢だったのは何も煽るのが好きだったからではない。

 いや都の場合はそもそもが煽り属性の人間だなのだが、今回は意図的に言葉を選んで立たせなくていい火をわざわざ立たせていた。


 天文部の部室にはいくつかのカメラが取り付けられている。場合によってはいつでもボイスレコーダーが回せる。もちろんどちらも防犯用だ。

 天文部にはなぜだか冒険部のように部室に乗り込んでくる外敵が多いので万が一のためにと用意しているのだ。

 

 金曜日である今日は冒険部が乗り込んでくる可能性が高いことは事前にわかっていた。だからカメラとボイスレコーダーを回していた。

 あとはわざと早乙女を怒らせて感情のままに拳を振り下ろしてくれれば、それをうまくカメラに撮らせ、今後の脅し……んん゛、交渉材料に使おうと考えていた。


 だが意外なことにも早乙女には自制心が働いていたようで、今回は都の胸ぐらを掴み上げるだけにとどめられた。


「ま、それも橘が止めてくれたから決定打にはならなかったけど」


「あのまま手を出さない方がよかったか?」


「まさか。お前のことだからカメラのことは当然頭に入れつつ私が無事でいられるギリギリを見極めてたんでしょ? ナイス判断だ。あのまま揺すられてたら確実に吐いてたね」


「感謝しろよ」


「さっすが王子。紳士的ですねぇ」


「言ってろ。つか結局は冒険部に突っ掛かられんのって俺とお前のせいってことだよな」


「疑う余地もなくね。それに関しては部員を巻き込んじゃって申し訳ないと思ってるわ」


「あいつらも楽しそうだからいいんじゃないか」


「うーん、変な性壁を開花させてなきゃいいけど……」


 部活動終わりの学生が集まる正面玄関で靴を履き替え外に出る。

 沈みかけた夕日を背にした校舎は色濃く陰り、校門までの並木道には木々の影が落ちる。

 ここには桜の木が植えられている。春先はそれはもう綺麗な満開の桜で溢れるが、すでに散ったこの季節は緑の葉がゆさゆさと揺れていた。


「まあいい。ゴリラの対処はまた追々考えるとして、必要ならば警戒レベルを引き上げることも視野に入れておこうか」


「仮にもあいつらは部活動だ。怪我を負わせるわけにはいかないだろ」


「さすがに粋がってる不良どもと同じ扱いはしないわ。それにもしもの話だから、このままゴリラがエスカレートさえしなければ白紙になる話だ」


「裏を返せば不良どもにはいつも通り容赦なしってことか。それ自体には賛成だが、お前の天文部部長って立場は狙われやすいぞ。いずれは雨宮個人にも不良の手がいく可能性はあるだろ。暴力はあいつらの十八番だからな」


「問題ない……と言いたいところだけど正直可能性はあるわね。学園内でも関係なく喧嘩してるような奴らだし」


「不良じゃない生徒相手でも暴力に訴えてくるかもな」


「頭沸いた連中には困ったものね」


 やれやれと都は首を振る。

 八代学園は有数の進学校として、多様な分野の学習を提供する学校として名を馳せているが、その反面、学科の数に伴い生徒も多様化しているためか、なぜだか毎年一定数の不良生徒がいるのだ。

 そんな彼らの一部も天文部の外敵のひとつに数えられている。


(…もしも本格的に危なくなれば小野寺に送迎を頼めばいいか)


 あの男も見えないだけで祖父に負けず劣らずの過保護っぷりを秘めている。

 身が危ないと都が一言漏らせば次の日には装甲車ばりの車で毎日送迎してくれることだろう。


(通学はそれでよしとして、あとは学園内か……)


 不良がいるのは大体が特進科以外の学科だ。

 都や橘がいる特進科とは棟が分かれているため特進科棟にいる間は心配ないが、共通スペースでは他学科との関わりもある。


 もしも、万が一、天文部を敵視する不良たちが仕掛けてくるとするならばそのあたりでということになるだろう。



 そこでちらりと隣を見る。

 相変わらずやる気のなさそうな気怠そうな双眸と目が合った。


「……で、オトモダチのいない橘くんは部活が同じってだけのこんな根暗女といつもわざわざ一緒にいてくれるわけだ?」


「根暗なのはその見た目だけだろ。中身はただの狂人だ。あとオトモダチはいないんじゃなくて作らないだけだから」


「イケメンが言うとまったく負け惜しみに聞こえんから不思議だな。それとお前の中身も狂人であることを忘れるな」


「負け惜しみでもなんでもないからな。それよりもお前に顔の良し悪しの認識基準があったことに驚いた」


「興味は微っ塵もないけど顔の美醜くらいはわかるっての」


 部活がある日は大抵、部活がない日も橘と帰ることは度々ある。クラスも違うのに気づけば共に校舎を出ていることが多かった。

 面倒くさがりなこの男の気まぐれなのかなんなのか。

 多少なりとも都の身を案じたゆえの行動でもあるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

 面と向かって言われたことはないし、言うところも想像できないけれど。


 そうして今日も男の気まぐれは続いていた。


 無気力が常の橘に翼を授ける気持ちで都がエナジードリンクを贈ってやったのはその翌日のことだった。

 


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