第3話 学生は忙しいらしい



 雨宮都の日常は忙しい。


 朝起きて学校へ行き、特進科という超スパルタ詰め込み教育のオンパレードにガリガリ気力を削られ、放課後は天文部の愉快な仲間たちと天体観測に勤しむ。


 それだけならば少し勉学に力を入れた高校生と変わらない。

 

 変わらないのだが、その日常にもうひとつ、雨宮都を語る上では欠かせない趣味があった。


 それは───。



「本日はアスプラ不動産の下落が目につきましたね。始値からして低かったですけど、そこからずるずると下落の一方でした。近年業績を伸ばしている会社なので多少の回復は期待できるとは思いますが…」


「あー……そこってたしか大津ホールディングスの系列だったっけ。最近親会社の不祥事が続いてるから致し方なしって感じか。早々に売却しといて正解だったな」


「ですね。なので大津ホールディングスのは根幹事業の株だけ残してだいたいは市場傾向を見ながら売っておきました。元から長く保有するつもりはないと仰っていましたので、この辺りが引き際かと」


「オッケー、十分良い思いさせてもらったから問題ないわ」


「他にも今朝仰っていた銘柄は買っておきましたよ。お昼にご連絡頂いたものだけ残してあとは利益が出たものは売却でよろしかったですよね?」


「うん。もともとデイトレードのつもりで目をつけてたやつだし、ちょっと小遣い稼ぎの足しにしたかっただけだから」



 そう、それは投資である。

 都は学生と投資家の兼業だった。



「あぁ、それにしてもずっとPCの前に張りついていられないのが歯痒いわね。なんて命取りなことを…」


「そのために私がいるんですよ。学生なんですからどうぞ気兼ねなく勉学に励んでください」


 柔らかい笑みでそう締め括った佐々木はテーブルの上に広げていた資料をトントンと重ね、PCの電源を落とした。

 これにて本日の報告会は終了である。



 学校から帰ってきて都がまずやることは本日の成果の確認だ。


 都は学生だ。つまりは毎日学校に行かなければならない。となればどうしても株式市場の取引時間と授業がバッティングしてしまう。

 株を扱っているというのに常に株価をチェックできないこの状況では話にならない。


 というわけで、都がせっせと勉学に励んでいる間、株価をチェックしてくれているのがこの佐々木なのである。


 きっちりスーツを着こなしたエリート優男風の彼は、学校の隙間時間に市場をチェックしている都の指示を受け、日々株価と戦っていた。

 時には常に株価を見ることのできない都に代わり、自己の判断で売買も行ってくれている。

 日々の都との会話のなかで、都の考えや好みの傾向などを完全に理解しているからこそ任せられることだ。二人の間には確かな信頼関係が築かれていた。


 その後、目をつけている銘柄や経済の動向を鑑みながら明日の売買について簡単に話し合い、本日の報告会は終了した。

 


 まだ仕事が残っていると帰っていった佐々木を見送り、リビングへ戻れば、足元にもっふもふの毛玉が絡みついてきた。

 アンバーのまん丸の瞳がじっとこちらを見上げてくる。

 不意打ちの色仕掛けに、きゅん、と一瞬にして締め付けられた心臓。トクトクと高鳴る鼓動。


 これはもはや恋。


「~~~っ、今日も最っ高にかわいいねぇ虎之助ー!」


” みゃおぉーん ”


 愛らしい鳴き声でお出迎えを受ければ人間なんてひとたまりもない。

 すりすりと都の足に頭を擦り寄せてくる殺人毛玉。

 その愛くるしい頭をひと撫でしてから脇に手を差し込み、みょーんと抱き上げてソファに戻る。


 佐々木との話し合い中はキャットタワーの中腹で船を漕いでいたが、どうやら目を覚ましたらしい。

 膝の上に乗せてまるっこい頭から背中にかけてゆっくり撫でてやれば、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らす。


 今日も今日とて存分に癒しをくれるこの猫は虎之助とらのすけという。

 毛足の長い長毛種で品種はサイベリアン。

 真っ白の中にところどころグレーが混ざるその毛並みはもふもふふかふかで触り心地は最高。毎日丁寧にブラッシングをしている賜物だ。


 そんな虎之助の目が次第にとろんとしてきたかと思うと、くわっとあくびをひとつ。


「どうした? 眠い?」


” なぁう… ”


 大きな体をこてりと都に預け、スピスピと寝息をたて始めた虎之助。

 さすがは猫。いくら寝ても寝足りないらしい。


「かわいい…かわいい……」


「お疲れ様です。お嬢」


 虎之助の寝顔に骨抜きになっていれば、労りの言葉とともにテーブルにカップが置かれた。ふわりとコーヒーの香りが広がる。


「ん、ありがとう小野寺」


 黒スーツにエプロンを巻いたなんともアンバランスな格好の男が傍に立つ。

 右目を通る縦長の傷跡とサングラス、鍛え抜かれた体躯からしてもあまりカタギの人間には見えない出で立ちだが、若干強面ではあるもののそれも許容範囲内で、筋肉隆々の巨漢というわけでもないので街を歩いていても大した問題はない。

 ただ、何度か職質を受けたことはあるらしい。子供に泣かれたこともあるらしい。

 

 こうしてコーヒーを淹れたり何かと都の世話をしてくれる小野寺だが、いまだにその手には銃器の方が馴染むと言っていた。

 それは果たして前職の影響なのかなんなのか。


「……お嬢、表情筋緩みっぱなしですけど…」


「虎之助が可愛すぎるのが悪い。もう虎之助と結婚しちゃおっかなー」


「…はぁ、御隠居が泣きますよ。飯もう少しでできるので待っててください」


「ああ」


 前職がどうであれ、今ではこうして立派な家政夫なのである。




 高校生が住むには立派すぎるマンションの最上階にある自宅。


 都に両親はいない。

 幼少期に家を出て行ったっきり、気づけば帰ってこなくなっていた。

 今ではすっかりその顔も記憶の彼方へと消え去り、どんな人だったかすら思い出せない。

 現在どこにいるのか、どうしているのか、そもそも生きているのか。

 両親への興味を幼少時代に投げ捨てた都は、すでにその情報を入手することすらしなくなっていた。


 そうして現在、ちょっぴりと言わずかなり過保護な父方の祖父が保護者代わりとなり、その祖父が雇った世話係の小野寺がこうして身の回りの面倒を見てくれていた。

 ちなみに投資の手伝いをしてくれている佐々木も祖父に雇われた人間だ。同じ保護者ポジションで歳も近い小野寺とは仲良くやっているようだ。



 膝の上で眠る虎之助の肉球をふにふにしていると、キッチンから漂ってくるいい匂い。あんなナリだが小野寺の作る飯は美味い。


 間もなくして声がかけられたのでダイニングテーブルに座れば、そこに用意された二人分の夕食。


「……んん?」


 小野寺は基本このマンションにいるが、共に食事をすることはない。

 都が食べている間も片付けや家事、その他の仕事をこなしてくれている。


 家族である虎之助の分、と言いたいところだが、それも違う。

 何より虎之助は人間のご飯なんかよりも高級ミルクと缶詰の方が大好物だから。


 ならばこれは誰の分の食事か。


 考えるまでもない。

 ここに住んでいる人間は都と、それからもう一人しかいないのだから。




 ───ガチャリ。



 タイミングよく、玄関の方で扉の開く音が聞こえた。

 



「ただいま」


 リビングに入ってきたのは私服姿の青年だった。

 朝出た時は制服だったのだが、仕事の関係で着替えたのだろう。


「おかえり。てっきり遅くなるのかと思ってた」


「今日は軽い打ち合わせだけだったからな」


「お疲れ様です坊ちゃん。飯の準備できてますよ」


「ああ」 


 小野寺が二人分の食事を用意していたということは、この男が早く帰ってくることを知っていたのだろう。


「ただいま虎之助。今日も最高にかわいいな」


 ソファでぐでぇと寝ていた虎之助をひとしきりかわいがる男のその甘い言葉を聞きたがる女はこの世に腐るほどいるのだろうが、デレデレしたその顔に彼女たちの知っているかっこよさはまるでない。

 完全に虎之助に骨抜きになっている。

 その気持ちは都もよくわかるので何も言わないが。


 せっかくだからと、男が来るまで頬杖をついて待つ。


 手を洗ったり部屋着に着替えたりと忙しなく動く男は、たしかに世間で褒めそやされるのも納得の見た目だ。

 身長が高くて小顔で手足も長い。顔のパーツひとつひとつをとっても、神が丹精込めて作り上げたのかというほど綺麗に整っている。


 ただ、物心ついた時から毎日見ているその顔に今更思うことは何もない。


「さっきから何? 俺の顔になんかついてんの?」


「いや別に。お前の顔が国宝級だとかなんとか言うからいかほどなものかと」


「あっそ」


 たいして興味もなさげに返事をしながら向かいに座った男。

 両手を合わせ、とくに意識せずとも自然と声も重なる。



「「いただきます」」



 雨宮あめみやれい

 学生でありながら『レイ』という名で活動している、老若男女問わず絶大な人気を誇るモデルであるが。


 都からしてみれば、ただの血の繋がった双子の片割れでしかなかった。



 

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