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 結局、試合は後半戦を終えてもスコアドローで着地した。そうなると自然の成り行きで、延長戦をするか、PK戦で決着をつけるかという議論が沸き起こった。


 正直、PK戦というワードが出たのを聞いた時には動悸が激しくなったが、幸か不幸か、それをできるようなゴールでもなし、また、延長戦をするよりはこのまま両校で懇親会を催した方が良いだろうというのがマジョリティになり、俺発案のビーチサッカー対決は引き分けということで決着した。


 里崎は納得いかなそうな顔だったが……荷物移動の時も見かけた金髪に何やら茶化されたようで、顔を真っ赤にしていた。


「流石藤沢桜華って感じだったわ! しかも一軍っしょ? 練習試合したくてもできねーって!」

「平塚第一も結構いい選手いんだな~。見直したわ」


 岸谷がリクなる者と同じ網焼き機を囲み、さっきの試合の感想戦をしている。選手以外にも、


「平塚ってさ~女子のレベルどうなん?」

「藤沢桜華に國橋くにはしって先輩いるでしょ? あの人この子の元カレ」

「藤沢桜華に神崎サンって人いるっしょ? あの人マジヤベーから。怒らせっと」


 ガヤたちもすっかり仲良くなったようで、肉と野菜を焼き、ぬるくなった炭酸ジュースを飲みながら、そこかしこで他愛ないお喋りに興じている。


 まさしく青春って感じだ。夏休みに、海に行って、他校の友達ができる……ラノベでもそうそうお目にかかれるものではないだろう。全員水着でもある分、開放感が増しているのかもしれない。


 懇親会真っ最中といった有様だが、実はまだ乾杯の挨拶が済んでいない。待ちきれない連中が先んじて興じているだけだ。


 乾杯の挨拶を任されたのは、両校を代表して、さっき里崎をいじっていた金髪。名前を倉原くらはらというらしい。


 350ミリの缶を持ち、一同の中心に立つ。


「えー、改めまして平塚第一のみなさんはじめまして。藤沢桜華高校2年B組の倉原といいます。部活はテニス部に入ってます。藤沢桜華は2年にあがるタイミングで普通科がA~Dクラス、特進科がE、Fに振り分けられる仕組みになっていて」

「挨拶なげーぞ! 校長じゃねーんだから!」


 藤沢桜華の生徒から飛ばされたヤジに、笑いが起きる。「うっせーって!」と倉原も半笑いで応え、


「催促されちゃったんで……みなさん飲み物は持ってますかね? じゃあ、今日はいっぱい楽しみましょう! 乾杯!」


 かんぱ~い! と大音量が砂浜に響く。打ち寄せる波も、音に震わされて泡立っているようだった。人目を避けるようにこっそりと足元を歩いているカニが、驚いたように砂の中に潜った。


 土中の養分を吸って肥大化する果実のように膨らんでいく周囲の喧騒。


 一方で俺は、由無よしなくここに紛れ込んでしまった異邦人のように、網焼き機の上で踊り狂う食材を見ながら、ペットボトルの緑茶をちびちび飲んでいる。


 ――絶望的なコミュ力の低さ。


 一応俺がいるにも、平塚第一と藤沢桜華の男女が5人くらいいる。どうやら最近流行りのJPOPバンドの曲の話で盛り上がっているようだが、あいにく俺は名前こそ知ってはいれど、曲は全然聴いたことがない。


「niziuめっちゃよくな~い?」

「ね、分かる。つかもうJPOPもKPOP路線いけばよくね?」

「羊文学もきてんよな~今」

「あと最近だったらミセスもめっちゃ聴いてる!」


 彼らは一体どこの世界の言語を使って喋っているのだろうか。思い出す、お盆の時期の線香の匂い。黒塗りの高級車が家の前に停車し、降りてくる顔なじみの坊さん。年季が入ってささくれができ始めた畳。正座をして両ひざに手を下ろし、目をつむって俯きがちになると、間もなく頭の上をうずまき銀河のように巡り始めるお経を読み上げる声……言っていることの理解不明度でいえば、現状とどっこいどっこいだった。


「お、この肉もう食べごろだな……」


 ボソボソと呟きながら肉をひっくり返すが、誰も声を拾ってくれない。焦げ付き始めたピーマンを救出し、焼き肉の塩だれが入ったプラスチックの皿へ入れる。さっと表裏に漬け、口へ運ぶと、ちょうどいい塩とニンニク、それにピーマンの苦みが合わさり、なかなかに美味い。


「お、もう焼けた?」


 平塚第一の陸上部・高村こうむらが俺に声をかけてくる。


「え、ああ、うん」

「そっか。んじゃ食べよみんな!」

「お、やっとか~もう腹ペコだぜ」

「あたし野菜もらおっかな~」


 たちまち次から次へと、竹やりのように割りばしが網の上へ伸び、食材が消えていった。


「おいし~い! あ、ねえねえ、君確か笠井って名前だったよね?」

「え、ああ、うん」

「私今野こんの! 藤沢桜華の2年E組」


 今野と自己紹介したのは、利発そうな顔立ちの、黒い髪の長い女子。大きな黒い目が印象的だった。


「E組っていやあ、特進科だっけ? 倉原が言ってたけど」

「そそ。毎日授業7時限もあって大変なんだよね~」

「7……時限……? 1コマあたり何分?」

「60分」


 平塚第一は最大でも月水金の6時限までしかなく、火木に至っては5時限までしかない。進学校の恐ろしさを再認識した。


「それ、全然遊ぶ時間ないんじゃねえの?」

「まあね~。放課後塾もあるし」

「マジか……」

「両親が教員やっててねえ。私も将来は医者になりたいし、必要な投資だよ」


 そう言って今野は、屈託のない笑顔を浮かべた。


 でもそうか。高校2年生のこの時期ってまだまだ遊んでナンボの時期だろうと思っていたが、ちゃんと将来の夢がある奴は、今からちゃんと準備しているんだな。そう考えると、特に何も考えずにデュナオンして、特に何も考えずに劣等感を燃やしているのがくだらないことに思えてくる……実際くだらないんだけど。


「すげえなあ、今から将来見据えて勉強するって。俺には無理だわ」

「笠井君は将来の夢とかないの? さっきの試合見てたけどサッカーめっちゃ上手だったじゃん」

「ああ。前はプロになりたいって思ってたけど、もう辞めたしなあ。サッカー関係の仕事したいとも思わないし……やっぱバンギャの彼女つくってヒモやるしかないのかなあ」

「発想が飛躍しすぎだと思うけど……あ、ごめん。呼ばれちゃったから行くね」


 そう言って「またね」と手を振り、右方向にある集団へ入っていく。俺はその、日焼けするにはもったいないんじゃないかと思うくらいの白い背中を見送った後、また緑茶を飲み、食材を焼く作業に入った。


 しかし今度は手持無沙汰になったが故の虚無作業ではない。俺の好物であるエリンギがそろそろ焼けようとしているのだ。


 丁寧な仕上がりにすべく、醤油を定期的に垂らす。こうすることで、炭と醤油の香りがエリンギに移るのである。


 さて、そろそろできあがりかな、というところで串を網の上から移動させ、一本ずつ皿に移し……いざ実食という寸前で、横合いから伸びてきた手が串をかっさらっていった。


「なあっ!? オイテメエ――」


 横を向くと、里崎のエリンギをモシャモシャ頬張っている、ゴリラみたいな顔が視界に入った。隣には橘さんが立っていて、「よっ」と手を挙げたので、こちらも手を挙げて応えた。


「結構うめえな、キノコだけど」

「……何しに来やがった」

「いやな、さっきの試合が不完全燃焼だったからよ。また後日試合しろや」

「アァン? なんでだよ」


 里崎は醤油のついた指をペロリと舐めると、


「さっきも言っただろ。俺はテメエを超えなきゃなんねえ。超えるためにはテメエと試合しないといけねえ。だからだよ」

「さっきも聞いて思ったけど……んだそりゃ」

「いやねえ、リョーヘイったら笠井君を超えるべき壁として位置付けてるのよ」


 横合いから橘さんが補足説明を始める。里崎が「ちょっ」とか言ってまごついているが、構わず、


「彼、入部後の挨拶でなんて言ったと思う? 目標を聞かれて、『笠井博人を超えることです』って間髪入れずに言ってさ。もうみんな凍りついちゃったわけ。中学で有名な選手っつっても、テレビで放送されるプロとか高校サッカーとかみたいに、みんな知ってるわけじゃないからね。もう誰? ってなってさ。わたしは知ってたけど」

「その話蒸し返すのやめてくださいって言ってるじゃないですか……!」

「そうなんすか」


 正直どうでもいいな。


 そう思いながら聞いているのが伝わったのか、里崎は、


「……今聞いたことは忘れろ」

「分かったよ。あと、再戦受ける気はねえからな」

「……チッ」


 不機嫌そうに顔をゆがめ、のっしのっしと去っていく。


「あーあ、また拗ねちゃった。ほんと子供なんだから」


 頬に手を当て、大人のお姉さんの色気をばら撒きながら、橘先輩が呟いた。小さな子供を見るような目……俺は気になっていたことを質問してみることにした。


「先輩って、里崎と付き合ってんすか?」

「え? いやないない」


 橘さんは半笑いで手を振り、


「わたし年上派だから。去年まで大学生の彼氏いたし」

「うっわ……マジリスペクトッス!」


 俺に置き換えてみると、女子大生と付き合っていたということだ。女子高生とはまた違う大人の色香を纏わせた、母性の塊のような笑顔に溺れ、たわわに実ったおっぱいに顔を沈める……男なら誰しも妄想することだろう。


「そぉ? でも、笠井君も結構好みかも。背高いし、サッカー上手いし」

「えっ、マジすか?」

「マジマジ。藤沢桜華サッカー部に入ってくれたら考えちゃうかも」

「入りませんって……」

「アハハ、色仕掛けでもダメかあ。ま、あなたにはあの茶髪のカワイイ子がいるっぽいしね」

「俺と鷹宮はそんな関係じゃないですよ」

「恥ずかしがっちゃって」


 からからと笑うと、不意に顔を近づけ、俺の下唇へ人差し指を触れさせた。


「でもね、最初に言ったとおり、逃がさないってのも本音だから。……いずれ絶対、捕まえてあげる」


 それじゃあね、と後ろ手に手を振り、橘さんが去っていった。


 俺は橘さんが触った己の下唇を自分の指でなぞりながら、火事を知らせる鐘のように激しく脈打つ心臓の鼓動を呆然と聞いた。


 高校三年生ってあんなこともできちゃうんだナ……。


 深呼吸して動悸を落ち着かせ、皿に残ったエリンギの串を手に取る。一口ほおばると、ちょうどいいくらいの熱さにおさまっており、期待通りの炭の香ばしさと醤油の塩気が、舌の上をすべっていく。緑茶を飲むと、その苦みが良質なアクセントを加えた。


「はあ、この手に限る……」

「なにじじくさいこと言ってんの」

「うわっ!」


 いきなり背中から声をかけられて思わずびくんと肩を震わす。


 振り返ると、鷹宮が手を後ろに組んで、怪訝そうに俺を見上げていた。




* * *




 平塚第一と藤沢桜華のゲリラ試合は引き分けという結果で終わった。


「引き分けか~いい勝負だったね」

「ね、どっちが勝ってもおかしくなかった」


 近くにいた女子たちがそんな感想戦をしている。


 でもアタシはそうは思わない。なぜなら藤沢桜華は全員が現役サッカー部だったのに対し、平塚第一は現役部員が2人だけ。藤沢桜華の強豪校としての地位を鑑みると、実質的には平塚第一の勝利なんじゃないだろうか。


 もちろん、それはヒロのおかげだろう。試合中もざわついていたが、ヒロのプレーはやっぱり一線を画していた。


 観戦している両校の生徒たちが驚きの声を漏らすのを聞き、自分のことでもないのに得意げな気持ちになった。そして同時に、内臓と骨を全部失ったような喪失感。


 ……結局、あの日以降、まともにヒロと会話できていなかった。


 今までだってまともに会話していたかと言われると微妙だけど、オフ会以降、多少なりとも昔みたいな関係に戻れていたと思う。嬉しかったし、楽しかった。夢のような時間だった……。


「アマネ、ぼーっとしてどうしたの?」


 みんながバーベキューコンロを囲んでワイワイと喋っている中、缶ジュースを持って突っ立っているアタシを心配してか、アヤカが声をかけてきた。


「ぁあ、ごめん。ちょっと考えごと」

「……大丈夫? ちょっと前から、ぼーっとしてること多いよ。顔色もあんま良くなさそうだし」

「そう見える?」

「ウチも同じこと思ってた」


 リオが肉の刺さった串を片手にこちらへ歩いてきた。


「アマネっち、心ここにあらずって感じでさ~。話しかけても塩対応だし」

「……ごめん」

「何かあったら私ら相談乗るよ? ……もしかして、笠井になんか嫌なことされた?」


 ドキリとした。リオならまだしも、まさかアヤカからそんな指摘を受けるとは思っていなかったのだ。とはいえ、この前、アタシたちが幼なじみであることはバレていたのだが。


「な、なんでそう思うの?」

「ずっと笠井の方見てるじゃん。ちょっとド突いてこようか?」

「いいから!」

「冗談だよ」


 歩いていきかけたアヤカの腕をつかんで静止する。外見は完全にクールビューティーなんだけど、こうした茶目っ気も併せ持っているのが彼女の長所だ。


「にしてもさ、ほんとになんかあったの?」

「……ちょっと、ね。喧嘩しちゃって」

「おお~青春しているではありませんか~」

「からかわないでよ……」


 リオが人差し指でアタシの頬をツンツンとついてくる。「アマネのほっぺたは赤ちゃんみたいに柔らかい」というよく分からない評価を彼女からはもらっていた。


「どっちが悪いの?」

「……わかんない。どっちも悪い、のかも」

「ならお互い謝ってはい仲直り、でいいんじゃない? そんでアマネの方からキスでもしてやればどんな男でもイチコロでしょ」

「お、流石アヤカ分かってる~!」

「キッ……」

「アハハ! 顔真っ赤なってる~!」

「もう、からかわないでよ!」


 ほんとにコイツらは……いい奴なんだけど、こと色恋に関してはアタシをいじり倒してくるきらいがある。


 と、アヤカが、


「でも、アマネもこのままじゃ嫌だって思ってるんでしょ?」

「それはそうだけど……」

「なら任せてよ。私とリオで、笠井と二人きりになる機会つくってあげる」

「いいの?」

「モチのロン。アマネのためだもん、一肌でも二肌でも脱ぐよ。ね?」

「そーそー。友達だもん。なんなら水着も脱いじゃうよ」


 公然わいせつじゃん。


 でも、二人の気持ちはとてもうれしかった。思わず、じんわりと視界がにじんできてしまう。


「二人とも……ありがとう」

「もう、泣かないの」

「アマネってクールぶってるけど泣き虫だもんね~」

「うっさい」


 やっぱり感謝するのはやめてしまおうか。二人に頭を撫でられつつ、釈然としない気持ちになる。


 とはいえ、二人きりで話せる機会をつくってくれるのはありがたい。何も今日焦ってヒロと話す必要もないかもしれないけど、臆病なアタシのことだ。きっとダラダラ先延ばしにして、二度とヒロと話せる機会はなくなるんじゃないかという予感があった。


 とはいえ、アタシはヒロとどうなりたいのだろう? 幼なじみに戻りたいのか、それとも……その先に進みたいのか。


 考えていると恥ずかしくなってくるけど、やっぱり幼なじみに戻るんじゃなくて、一歩前に進みたい。もう中学の時のようにこじれるのは嫌だ。


 でも……ヒロはどう思っているのだろう。アタシのこと、もう嫌いになっちゃったかな。だとしたら悲しいけど、それでも、逃げないで謝りたい。その結果拒絶されたら、それはもう受け入れるしかないだろう……しばらくは立ち直れないかもしれないけど。


「よし。アタシもお肉食べてくる」


 アタシは集団の中で早くも孤立しかかっているヒロを横目に見ながら、近くにいた網焼き機のところへ向かった。


――――――――――――

夜っぽい雰囲気になりましたが、昼です。

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