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「はあっ!? なんでそんなことになるんですか!?」


 と叫んで反応を示した鷹宮が、顔を橘さんへ思い切り近づけて睨む。鷹宮の方が若干背が高く、見下ろす形になったが、橘さんは腕を組んで――その立派過ぎる巨乳を腕の上に乗せ――と鼻で笑った。


「そっちの方がやる気出るんじゃないの? リョーヘイも、そっちの彼も」

「……笠井」


 鷹宮が小さな声で呟き、俺を見る。激情に高ぶった目。それなのに、訴えかける子犬のような目。


 なんでそんな目で見るんだよ、と思った。もう俺になんか構わずにいてくれよ。……しかし、その奥には、昔よく遊んだ彼女の面影があるような気がして、尚更なおさら気が重くなった。


 こうやって誰かに期待されたりするのは、中学でもう懲り懲りだと思ってたんだけどなあ。


「つうか先輩、俺ん家から藤沢桜華って遠すぎますよ」

「そうなの? ならそうねえ……専属の送迎をつけてもいいわよ。パパにお願いしてあげる」

「えっ、パパですか!?」

「ウチの家、自営業やっててそこそこ儲かってるのよ。わたしに甘いし、お願いすればドライバーつけてくれると思う」


 のパパか……。安心したような、残念なような、複雑な気持ちで胸がいっぱいになる。


 にしても、一介の引きこもり予備軍高校生をヘッドハンティングするのみに留まらず、専属運転手まで付ける宣言をするとは、ちょっと色々とぶっ飛びすぎている。一体、何が彼女をそこまで駆り立てるのだろうか。ちょっと興味が湧いた。


 俺が口を開こうとすると、鷹宮が一歩前に出た。


「あの、先輩はどうしてそこまで――笠井を引っこ抜こうとするんですか?」


 奇しくも俺の疑問を代弁してくれる形になる。


 橘さんはキョトンとした顔を浮かべた。さっきまでの大人びた表情とはものすごい落差だ。


「そんなの……藤沢桜華高サッカー部を強くしたいからに決まってるじゃない」

「サッカー部を強くしたい……?」

「当たり前じゃないの。逆にそれ以外ある?」


 なぜそんな質問をするのか理解できない、と言わんばかりに聞き返す橘さん。ワンチャン俺のこと狙ってんのかなと思ってドキドキしていたんだけどネ……。


 橘さんは続ける。


「わたしはね、サッカーが好きなの……もっと言うと、サッカーチームのマネジメントがね。だから強豪校の藤沢桜華に進学したし、マネージャーになってすぐ監督を追い出して、練習メニューもわたしがつくるようにしたし、部員の食事管理もするようにした。すべては全国優勝のために、ね」

「……」


 超敏腕マネージャーじゃねえか! 見た目で判断してた自分が恥ずかしいわ。


 にしても全国優勝、か。


 確かに藤沢桜華は、神奈川県内ではトップ争いの常連だ。高体連とユースチームが混在して優勝を争うプレミアリーグでも、年によっては名だたるユースチームにも勝利できるほどの名門。


 そんな高校だから、部の監督はもちろん、コーチに至るまで、元プロ選手をはじめとする経験豊富な指導者を招聘していることが知られている。


 そんなカリスマ指導者から指揮権を奪還できるほどの辣腕。


 ……ただのホステス予備軍かと思っていたが、認識を改める必要がありそうだ。


「中学生の頃から将来有望な選手はしっかりマークしていたわ。その中でも笠井くんは頭一つ飛び抜けていた……間違いなく将来の日本サッカー界をけん引する逸材になるってね。だから、中学で実績ができたところでスカウトをかけようと思っていた。……なのに、中学2年のある時、突然消えてしまった。心残りだったわ。でもだからこそ、ここで出会えたことに、を感じるの」


 彼女の真っ赤な唇を割り、湿り気を帯びた舌が出てくる。舌なめずりをし、獲物を見る蛇のような目で俺を見つめた。


「絶対に逃がさないわ」

「ヒュッ……」


 俺と鷹宮の喉から空気が漏れ出る音が鳴った。いや、なんでお前まで同じリアクションとってるんだよ。


「橘先輩……と笠井?」


 後ろから声をかけられたので、振り返ると、里崎がクーラーボックスやら椅子やらのゴチャゴチャした荷物を両腕で持ち、こちらを見ていた。


「あらリョーヘイ、遅かったじゃない」

「荷物多すぎるんですよ……んで、何の話してたんスか?」

「別にぃ? 笠井くんにスカウトかけてただけよ。フラれちゃったけどね」

「は?」


 里崎は眉をゆがめて俺を一瞥し、


「そんな負け犬、勧誘する価値ないんじゃないですか」

「元日本代表候補よ? むしろ価値しかないじゃない」

「……どっちにしろ俺は反対ですけどね」


 吐き捨てるように言うと、荷物を置きに去っていった。


「トゲトゲしてるわねえ。普段もあんな感じだけど」


 橘先輩が呟く。中学時代もどちらかといえばぶっきらぼうだった。思春期かと思っていたが、もともとあんな性格だったのだろう。


「そういえば橘先輩。今更なんですけど、そっちは何の集まりで海に来てたんですか?」


 橘先輩は頭の上にあげていたサングラスを目元に戻した。


「リョーヘイたちがクラスで海に行くって話をしてて、面白そうだったからついてきたの。こんな出会いもあって儲けものだったわ」

「ええ……」






 里崎たちの荷物移動も終わり、いよいよ試合の段に入る。


 両チームの合計10人はすでに準備ができていた。いつの間に仲良くなったのか、アクティブストレッチやら柔軟体操やらを各々こなしながら、ペチャクチャ喋りあっている。


 この、すぐに仲良くなれるコミュニケーション能力……やはり陽キャは別次元の生き物であることを再認識させられる。一方の俺は相手チームどころか味方とさえ一言もしゃべらず、地面に転がっている貝殻を数えながら、股関節のストレッチをしていた。


 やがて整列の号令がかかり、橘先輩を長方形の上辺、両チームが左右の長辺をなすように整列する。


「じゃあ、このコインを投げて、表が出たら平塚第一高校が、裏が出たら藤沢桜華がキックオフね」


 気だるげな声で橘先輩が言う。彼女が自ら手を挙げて審判をしてくれることになったのだ。


 俺と里崎は一歩前に出て、橘先輩を挟む形で向かい合い、彼女の右手親指の上に置かれたコインを見つめる。他のチームメンバーも固唾を飲んでコインの行く末を……見てねえな。8人中8人が漏れなく彼女のあまりにも超高校級すぎる胸をガン見している。というか俺もコインとおっぱいの間を高速で視線移動させている。


「はい、表ね。じゃあ平塚第一がボールで。藤沢桜華はコートの希望ある?」

「このままでいいッス」

「オーケー。じゃあ両チーム位置について」


 そう言われてもなお、その場にとどまって巨峰を凝視し続けている岸谷の海パンを引っ張り、「脱げちゃう! 脱げちゃうって!」という声をBGMに定位置につく。


 橘さんがホイッスルを口にくわえた。それから間もなく、江の島のトンビのような、甲高い音。


 試合が始まった。

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