25
「キャッ! 冷たーい!」
桃源郷、と言えば良いのだろうか。俺の眼前に広がっている光景を言い表すとするならば。
石川や岸谷、その他の参加者たちも到着して、全員が水着に着替えた。それから誰言うともなく海へと駆け出して行って、海にダイブして、また誰かは持参した浮き輪を持って慎重に進水した。
俺も後ろから数えた方が早いくらいの順番でヌルヌルと砂浜へ行き、足に波を浴びた。たっぷりと熱に茹でられた海水は、しかし冷たい。
水のかけあいや水泳、ビーチバレーに興じるクラスメイト達。
俺はずっとクラスでは浮いてる方の人間で、プライベートどころか教室でも交流のないクラスメイトが大多数で、それも手伝ってか、普段見慣れた制服姿とは形も被覆面積も何もかも違う恰好を見ると、まるで自分だけが赤の他人のような気がして不思議な気分になった。
照り返しに輝く海をバックグラウンドにしている効果もあるのだろうか、青春漫画や映画に出てきそうなワンシーンだった。
「ヒロー、テトラポッドのとこまで泳ごうぜ」
ブーメランパンツをパチンと指で弾いたナオヤが、沖合で波しぶきを浴びるテトラポッドの山を指さす。
「え、でもロープの向こうじゃねえ?」
「超えたってバレねえって。行こうぜ」
「いいよ、一人で行ってろ」
「ちぇっ」
ナオヤはケツをピシャリと叩いてその場を離れ、近くで遊んでいた男子を誘ってテトラポッドの方へ泳いでいった。そういえばアイツ、中学まで水泳やってたんだっけ。
浜辺で波の押し寄せる感覚を足の裏で味わい、その後でおそるおそる、尻を海に浸す。ウォシュレットとはまた違う、ひやりとした感触がケツの間をすり抜けていった。やがてその感触にも慣れ、立ち上がって海を割って歩いていく。膝まで、腰まで、そして肩まで海水が俺の身体を侵食する。浮き輪に乗った子供がそばを通り過ぎていくはしゃぎ声……ふざけあうカップルらしい、睦まじい声……モヤモヤを胸に抱えている俺だけがこの海から疎外されているようで、むしゃくしゃした気分になってくる。
海へ潜り、また海面へ浮上して息を吸う。
全身を脱力して、海面へ大の字になって浮かぶ。
耳元を波が通る時に鳴るちゃぷちゃぷという音が、なんだか心地よかった。
ヒトデのように揺蕩いながら、俺は今日ここに来た自分の決断が正しかったのかどうか、自問していた。鷹宮とあんな別れ方をして、なんでのこのこと今日参加したのか。半ば意地だったと思う。鷹宮と顔を突き合わせることにはなるけど、鷹宮と会うのが気まずいからという理由で今日の海をドタキャンするのは、他のメンバーには理屈が立たないし、何より逃げるようで、俺のドブみたいなプライドが許さなかった。
目をつむると、鷹宮の顔が浮かんできた。いつも見せていた仏頂面な顔。最近見せるような、目じりの垂れる笑顔。
鷹宮と海といえば、俺たちが幼稚園の頃――すなわち、鷹宮がまだ身体が弱かったころ、家族ぐるみで海水浴に行ったことがあった。多分神奈川のどこかの海。
有り余る体力を持て余していたガキの頃の俺は、そこら辺の野外で水着に着替えると猛ダッシュで海へと飛び込んだが、外に出ることすら珍しい鷹宮はおっかなびっくり、足先でチョンチョンと打ち寄せてくる波をつついていた。
それを見てるとモーレツにもどかしくなって、『ほら、一緒に入ろーぜ!』と彼女の腕を引っ張った。そしたら『はわわ!』とか萌え声で言った鷹宮はずっこけて顔面から着水、パニックになって溺れたんだよな。
その後母ちゃんにボコボコにされたけど、今となってはいい思い出だなあ。
「……クソッ」
未練タラタラじゃねえかよとツッコミを入れ、海中へ思い切りもぐりこんだ。
結構近い距離にクラゲが泳いでいてビビった。
***
海へ進水したヒロの背中を見送る。
昔からなんだかよく分からない顔立ちで、中学生の頃は一気に王子様みたいにカッコいいなとか思うようになって、それから一気に見るのも嫌な顔になった。
今は――どうなんだろう。
アタシが中学の時に張ったくだらない意地と、ヒロがひた隠しにしていた恥の記憶。
本当ならあの時にとっくに砕けていたはずの絆を、安いセロテープで貼るみたいに繋ぎとめていたけど、それにガタがきてまた空中分解を起こしそうになっている。
アタシはそれをどうしたいんだろうと、自分に問いかけてみる。
すると、やっぱりヒロと離れたくない、という答えが胸の奥から返ってくる。分かり切っていたことだった。
でもヒロは――どうなんだろう。アタシみたいなめんどくさい女、嫌いになっちゃったかな。この間はアタシの態度も嫌じゃなかったとか言ってたけど、それももう過ぎちゃったことなのかな。
10年以上一緒にいるのに、ヒロの気持ちが全然分からないことが怖い。
ヒロが海に潜って見えなくなったあたりで波打ち際から引き返し、パラソルの方へと戻る。アヤカと、バドミントン部の齋藤がバーベキューのための仕込みをしているところだった。
「ちょっと、肉デカすぎ。女の子のことも考えて」
「え、ああ、すまん」
アヤカは野菜の下処理をする片手間、齋藤に指導をしていた。
「アヤカ、こういうの得意なんだ。意外だった」
アタシが話しかけると、アヤカはまな板から顔を上げた。
「まあ、パパがアウトドア好きだからね。小さい頃よく連れまわされてたんだ」
「ふ~ん。意外」
「なんだとー」
とじゃれあいをしばらくしたところで、「あ、そうだ」とアヤカが呟いた。
「アマネ今手空いてるでしょ? 飲み物買ってきてよ」
「まだ余ってるんじゃないの?」
「今日暑いから、意外とみんなすぐ飲んじゃうんだよ」
「ふ~ん。分かった」
「あ、なら俺も――」
「齋藤はダメ。こっち手伝ってな」
「ええー……」
カバンから財布を取り出してラッシュガードのポケットに入れ、海の家に向かう。
家の前に無造作に置かれ、潮風に晒されたショーケース。中を覗いてみると、時代が止まったのかと錯覚するような品揃えだった。ファンタのゼリー缶にメロンの炭酸飲料。そして瓶のコーラ……小学生の頃までヒロが好きだった飲み物。アタシたちの家の近所に昔あった駄菓子屋に70円で売っていて、飲み干した瓶を返すと10円もらえた。ヒロはお金が戻ってくることに感動したのか、学校帰りなんかに足しげく通っていた。そしてキャッシュバックされた10円でチューインガムを買って、アタシに分けてくれたりしたものだった。
懐かしいなあ。
大切な思い出を想起していると、声をかけられた。
「あれ、もしかして……鷹宮?」
「え?」
誰だろう。
振り返ってみると、同い年くらいの男子が3人と女子が2人立っていて、先頭の男子がアタシの顔を驚いたように見つめていた。
その顔にはぼんやりとだけど、覚えがあった。
「もしかして……里崎?」
彼は、中学時代の、ヒロのチームメイトだった。
――――――――――――
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