24

 横浜駅から東京駅で特急に乗り換えて千葉駅へ。それからまたJR線に乗り換え、平地をガタンゴトンと揺すられながら行くと、かつての海の名残のように、周りに湖が見え始める。気の遠くなるような年月を経て、土砂が堆積し、人の踏み渡れる土地となった上をさらに進んでいき、東金とうがね市へ。


 透き通るように深い青空。


 まるで鏡面の空が海を写し取っているかのようだった。


 そこからバスに乗車して、道沿いに民家が並ぶほかは、田んぼの広がる長閑のどかな風景が窓辺を過ぎていくのを見送りながら30分、俺たちは目的の海水浴場に到着した。


「うおおおおお海だああああああ!!!」


 たくさんの足跡のついた砂浜を踏みしめながら、海へ向かって俺は一目散に駆けていく。


「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」

「元気だねえ、ヒロは」


 後から追い付いてきたカオルが、垂れてきた汗を拭い、苦笑いを浮かべた。


「ねえ、あの人超イケメンじゃない?」

「声かけてみる? 隣にいるのも顔パッとしないけど背高いじゃん。体格いいし」


 先客の水着ギャルのグループがかき氷を片手にコソコソ喋っているのが聞こえる。”顔パッとしないの”とはもしかしなくても俺のことだろう。


「ナオヤ、パラソル持ってきてる?」

「おお、結構これ重てえぞ。立てる?」

「いや、これでカオルを突き殺す」

「白昼堂々殺人予告するのやめてくれない?」


 レジャーシートを敷いてパラソルを設置して、海の家から割高のペットボトルを買ってくると、日陰で休んでいるにもかかわらず、あっという間に汗が噴き出してくる。


「中島たちは?」

「もうすぐ着くって。石川と岸谷は家近いし、すぐ来るよ」


 住所が近い中島と山本と池田、石川と岸谷がそれぞれ連れだって来る予定で、その単位を班として、食材班や機材班として役割が割り振られている。その他大勢は把握していない。


 俺たち3人は場所取り班ということで、こうして先んじて海へ来ていたのだった。


「鷹宮はどうすんだっけ?」

「石川池田以外の女子たちと来るっぽいよ」

「ふーん」


 なんだかんだで今回のイベントは大所帯になったらしく、俺も把握してはいないけど、当初予定よりも随分増員したらしい。ちょっとしたクラス会だとか岸谷が言っていた。


 場所取りをしたところで水着へ着替えようということになり、俺たちは海の家へ向かった。


 砂が吹きつけられ、けば立った畳の上を歩き、長いこと潮風に吹きさらされて黒く変色した海の家の天井を見ていると、懐かしいというか、妙な安心感を覚えるのは俺だけだろうか。


 各人が更衣室へ入り、数分もしないうちにほぼ3人同時に部屋を出た。


「へえ~、……ヒロ、センスいいじゃん」とカオル。

「お、そうか?」

「うんうん。てっきり柄の主張が激しいモノ持ってくると思ってたけど。落ち着いてるね」


 俺の海パンは長い丈のトランクスタイプで、腰に近いところから青、下にいくにつれて黒、というグラデーションを描いている。


 俺……ではなく鷹宮チョイスなのだが、もちろん黙秘する。


「カオルは……まあ、イメージ通りって感じだな」


 白馬の王子様よろしく白いトランクスタイプの水着を着たカオルは、上半身にラッシュガードを羽織るという出で立ちである。


「なんでそんなん着てんの?」

「肌、弱いからさ。日焼け止め塗っても焼けちゃうから、これ着てるんだ」

「ふーん」


 てっきり乳首も解禁するのかと思っていたが、コイツのルックスで上裸になると警察案件になるのかもしれないな。


 で、ナオヤはというと、意外や意外、食い込みの激しいブーメランパンツを着て登場した。


「お前……攻めるねえ」

「一度きりの夏だからな。陰キャがこういうの着るとおもしれ〜だろ」

「ナオヤのそういうとこ、嫌いじゃないよ」

「ああ、そうだな」


 コイツは期待をいい意味で裏切ってくれる男だった。


 しばらくパラソルの下で休んでいると、第二陣である中島たちが大荷物を担いで到着する。


「ふぃ〜あっち〜」


 山本がドカリと降ろしたレジ袋には、肉や野菜がこれでもかとばかりにギッシリと詰められていた。それが複数。


 近寄って荷物整理の手伝いを始める。


「黒毛和牛は買ってきたか?」

「んな金ねーよ。これ肉でこれ野菜、んでこれにドリンク入れてっから」


 中島はそれぞれのレジ袋を指さして中身を教えてくれた後、着替えると言って山本、池田と共に海の家へ入っていき、しばらくすると水着になって戻ってきた。


 中島、山本は言及する必要はないだろう。オスだし誰も興味を持っていない。


 それよりも俺は、クール系ダウナー女子の池田が水着を着ているという事実に、背徳感にも似た謎の昂揚を覚えた。


「……? 何ジロジロ見てんの?」

「いやぁ〜、……池田ってビキニ着るんだなと思ってさ」

「そりゃ着るでしょ。なに、スク水が良かったの? 笠井ヘンタイすぎ」

「極端すぎだろ」


 池田はピンク色のセパレートというセレクトだが、特筆すべきはくい込みの際どさだった。姉ちゃんの部屋で見たTバックほどではないが、それに近しいものを感じる。


 高校生としては攻めすぎじゃないか?


 そう思ったが、何も言わないことにして甘んじて罵倒を受け入れた。


「お、天音も着いたっぽいよ」


 スマホをいじっていた池田が、ぽつりとそう漏らす。


 それから程なくして、道路と砂浜を繋ぐ石造の階段に、女子たちの一団が見えた。その中ほどに、――あまり見たくない顔があった。


「やっほー」


 先陣切ってパラソルへ切り込んできた陸上部の高村こうむらが、片手を挙げて池田に近づき、池田もそれに応えるように右手を挙げ、そのままハイタッチをかわした。


「早かったじゃん」

「あんま道混んでなかったからね。そっちの準備はどう?」

「見ての通り、場所と食べ物は揃えてるよ。カオリたちもちゃんと持ってきた?」

「モチのロン」


 高村が背負っていたリュックには、木炭やライター、着火剤など、バーベキューに必要なものが一式入っていた。


「あとは岸谷が持ってくる台でいつでも焼けるな」

「先、肉とか仕込んでおくね」


 そう言った高村が食材の入ったレジ袋を持ち、


「アヤ〜、まな板とか頂戴」

「ほいよ」


 4人くらいのグループで肉や野菜を切り始めた。


 手際いいなあ、慣れてるのかな。


 そんなことをぼんやり考えながら、俺はなんとなく視線をあちらこちらに彷徨さまよわせ――鷹宮と目が合った。


 顔をそむけた。


「ねえ、ヒロ」

「んだよ」

「鷹宮となにかあったの?」

「……何も」


 Tシャツにジーンズのホットパンツという夏らしい出で立ちの鷹宮は、脳まで焼けるかと思うような日差しも気にならないのか、手持無沙汰そうに炎天下に立っている。


「ねえ天音、着替えに行こーよ」


 同じタイミングで到着した女子の一人がそう言っても、「後で行く」とそっけない対応。声をかけた彼女たちも、そんな鷹宮を不思議そうに見つめながら海の家へ向かっていく。


 残された鷹宮は、海を見ているのか、虚空を見ているのか、心ここにあらずといった様子だ。


「……ちょっとアイス買ってくるわ。暑いから」

「あ、じゃあ僕の分もいい?」

「俺も俺も」

「アタシたちの分もよろしくー」

「え? マジ?」


 何となくその場にいるのが気まずくなって言ったのだが、まさかのクラスメイトたちが次々と便乗し始め、しまいにはその場にいた全員分のアイスを買ってくるというパシリの役目を仰せつかることになってしまった。


 だりいなー、そもそもそんな数のアイスあんのかよとか思いながら、財布を取り出し、日が昇るにつれて温度を増していく砂浜の熱さをサンダル越しに感じながら、海の家に入ろうとすると、海パンを引っ張る力を感じた。


 迷子かなと思って振り返ると、鷹宮が指で俺の海パンをつまむようにして立っていた。


「……」

「……え? 何?」


 流石の俺でも戸惑いを禁じ得なかった。まさか一緒に買い出し手伝ってあげる、とかいう申し出でもあるまい。


 それこそ迷子みたいな表情を浮かべている彼女をじっと見る。


「……ぁ、ごめ」


 彼女は右手で左腕を抱えるようにつかみ、足元を見るように顔を俯けた。


 何度も見たことがある。


 彼女が困っている時の仕草だ。


 俺は何と声をかければいいんだろうか?


 空気と唾液が混ざり合い、泡の粒ができそうな口を動かそうとしたところで、坊主頭を日光で眩しく光らせながら、山本がやって来た。


「うーい! 手伝いに来たぜ〜!」


 弾かれたように鷹宮が離れた。


「あれ、鷹宮も手伝いに来たん?」

「……そんなとこ」

「ふーん。じゃ、3人でぱっぱと買っちまおうぜ」

「ああ、そうだな」


 間の悪いような良いようなタイミングで乱入し、鼻歌を歌いながらアイスのショーケースを眺めている山本の後頭部を、鷹宮が鬼のような形相で睨みつけている。いやどういう感情?


 情けない安堵を覚えながら、ジャンケンに負けた俺は袋にパンパンに詰められたアイスを持ち、汗だくになりながら来た道を戻った。

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