22

「えっ……」


 鷹宮が固まる。


「だからさ、サッカーやってる俺がカッコイイなら、サッカーやってねえ俺ってダセエのかなって」

「そ、それは言葉の綾っていうか……」

「でも、お前に毎日のようにキモいとか邪魔とか言われるってことはさ、やっぱダセエんだよな」

「それは……」


 意地悪いこと言ったなあ、と思いながら、続ける。


「なあ、なんで俺が中2の時に部活辞めたのか、知ってるか?」

「え? い、いや……知らない」

「そっか。なら、教えてやるよ」


 ――どうせ、これでだしな。


「中2の10月にさ、関東大会に出たんだよ。最初っからトーナメント形式で、全部で32チームが参加してて。俺ら――神奈川四中はくじ引きで6番引いて、一回戦は3試合目だった。相手は横須賀大附属中学校ってとこで、そこそこ強いチームだった。試合は2対2で後半も終わって――延長はなかったから、PK戦になった」

「……うん、それは知ってる。アタシ、現地で観てたから。それで――」

「ああ、俺がPKを外して負けた。……今でも思い出せるよ。4人目の岩淵先輩が成功して、『頼んだぜ、エース』って声かけられてさ。決めてやろうと思ってペナルティエリアまで走って行って、キーパーと対峙した。相手は茅野かやのっていって、トレセンにも呼ばれてるような3年生だったんだけど、流石に大丈夫だろうと思ってた。でも、いざ蹴ってみたら、ボールがポスト横に飛んでってさ。……3年生は最後の大会だったから、みんな、泣いてたよ」

「うん、それも知ってる。ヒロがPK外した瞬間、ハーフラインに並んでた人たちがみんな崩れ落ちて、相手チームが喜びながらキーパーに駆け寄ってってたの、覚えてる。アタシも、ちょっと泣いちゃったもん」

「なんでお前が泣くんだよ」

「そういうもんなんだよ、観戦って」


 鷹宮は言った。


「でもさ、なんでその試合の話をしたの? まさかPK外しただけで、とかじゃないよね……?」

「ああ、それはあくまでキッカケだよ。……俺さ、



* * *



「小学生からちょっと周りより上手くて、一目置かれてて、みんなに注目されるのがうれしかった。そんで中学生になったらもっと上手くなって、チームも俺のワンマンみたいになって、しまいにゃ日本代表候補にも選ばれてさ。監督とかコーチも『お前だけが頼りだ』『お前のためのチームだ』って言うから、もうその気になっちゃったんだな。――調子乗ったガキが完成するのに、そう時間は要らなかった」


 意識していないのに、口の両端が吊り上がって震えている。両目のまぶたがピクピクと、暗闇で光を求めて羽ばたく蛾のように動くのが感じられる。


「先輩だろうが後輩だろうが関係なく、ドリンク係とかタオル係とかやらせたよ。マネージャーいなかったしな。俺がと思ったら、その日の練習を好き放題追加して、夜まで走り込んだりした。部員は練習漬けの放課後よりも、友達と遊んだり彼女つくったりしたかっただろうが、『勝つために』って言い聞かせてな。……練習中にミスしたりしたら怒鳴りつけたりもしたな。顧問はサッカー未経験で、練習を俺に一任していたから、先輩だろうと容赦なく怒鳴りつけた。……今思えば完全に時代遅れのだった」


 自嘲的に鼻で笑うが、鷹宮は笑わない。先ほどから口を一文字に引き結んだまま、こっちを見つめている。


 ふう、と、3年分のため息を吐く。


「当然ついてこれなくなった奴もいた。付いてこれる奴も残ってたから気にしなかったけど、小さな歪みは次第に大きくなっていった。……俺も気づくべきだったんだ。いや、気づいたうえで見ないフリをしていたのかもしれないな。……まず、楽しそうに練習してる奴が減っていった。休憩中に軽口叩いてた奴も、ひたすら苦しそうに息をついて、水分を補給していた。活気がなくなっていったのが分かったが、それも強くなるために必要だと結論付けたから、何もしなかった。……そしたら、次第に皆が、何かに怯えるように練習するようになった。言うまでもなく、俺のことだ。俺に怒鳴られるのが怖くて、1年生も3年生も、ご機嫌を窺うように俺の顔を見ていた。でも、『上手くなればそんなこともなくなるだろう』と思って、放置した。……当時、俺と同じ2年生に、里崎って奴がいた。プレーはパッとしない奴だったけど、ひたむきで、一生懸命で、俺の考えた練習メニューにも必死で食らいついてきてた」

「うん、知ってる。喋ったことあるから」

「俺が厳しく接しても文句一つ言わずについてくるアイツを、俺は好ましいと思っていた。アイツのために自主トレのメニュー考えたり、経験を積ませるために、練習試合の出場機会を増やしてやったりもした。一度、練習終わりにファミレスに寄った時、アイツは笑顔で『お前のおかげで、今めっちゃ楽しいよ』って言ってくれて、救われた気分になったのを覚えてる。……他の問題に目をつむったことも。そして、2年生の10月――」




* * *




「クソッ、なんであんなPKを……!」


 グラウンド外の木陰で、俺は己の不甲斐なさに拳を握り締めていた。


 1回戦。


 後半終了時点でスコアはドロー。延長戦は無しというルールなので、すぐさまPK戦が始まる。


 蹴る順番は、俺が考えた。


 物事に動じない野上のがみを一番手に、飯倉、里崎、岩淵、そして俺という順番で5番手までを決め、残りは挙手制にした。


 俺たちが後攻になったPK戦は、4人目までが両チーム全員成功した。PKの成功率が80%と言われていることを考慮すると、決して高い確率ではないのだが、珍しいことじゃない。PK戦は5人目までにほとんど決着が着くことを踏まえると、プレッシャーは相当のものであり、だからこそ、その役回りを俺自身に課したのだ。


 しかし。


 7歩分の助走をつけ、ゴール左上隅を狙ってインステップで蹴ったシュートは、ボール半個分、ポストの横へとそれ、グラウンドの周りを囲む陸上競技用トラックレーンの上を弾んでいった。


 世界が上下さかさまになったかのような感覚の後、相手チームがキーパーへと駆け寄っていく歓声と足音が聞こえてきた。いやセーブしてねーじゃねえか、という俺の疑問をよそに、彼らはペナルティエリア内で肩を組んで勝利の喜びを分かち合った――俺の目の前で、


 俺がハーフラインへ戻っていくと、チームメイトたちはおずおずとねぎらいの言葉をかけてきた。


「ど、どんまい、笠井」

「しゃあねえよ、こればっかりは」

「……悪い」


 敗北後、「今回の試合から色々学ぶように」というおざなりな結論を出すミーティングを行い、俺は独り反省していた。


 PK練習が足りなかった、というのが正直な反省点だった。高を括っていたのもある。


「俺も……まだまだだな」


 普段偉そうに口きいてたのを反省して、これからは俺も一緒に泥臭くやろう。日本代表候補である以前に、俺は神奈川四中サッカー部員なのだ。


 そう思い、自分を半ば無理やり立ち直らせ、控室への道を戻り始める。


 入口にたどり着き、スライド式のドアに手をかけた、その時だった。


「てかさあ、結局アイツも口だけだったってことじゃん」


 ――本能的に手が止まった。


 今喋ったのは誰だったっけ?


「な。散々威張りちらしといてPK失敗はダセエわ」

「外して戻ってくる時の顔見たか? 傑作だろあれ。俺一生ネタにできるもん」


 誰のことを言っているのか、すぐに分かった。


 俺だ。


 俺が言われているんだ。


「つかよお、あんだけ地獄みてえな練習した割には、試合勝てねえな。横須賀の奴らも普通に上手かったし」

「俺らが才能ないからじゃねえ?」

「それはあるわ。でも笠井も大したことなかったよなあ。エースならゴールくらいポンポンとってくれりゃあいいのによ」

「いやアイツパスばっか出して自分で攻めたりしねーじゃん!」


 爆笑する声が聞こえてきた。


 頭がどんどん冷えていく。


 自分が立っているコンクリートが、ぶよぶよした芋虫のように形状を崩していくような錯覚を覚えた。


「まあでもこれからどうすっかなー。アイツ帰ってきたらなんて声かける?」

「まあちょっと優しくすりゃあイチコロっしょ。『みんな今までごめん! これからは練習も軽くするから!』みたいなさ!」

「ハハハハ! そりゃ間違いねえわ! てかアイツ熱血すぎてマジウゼエんだよな。この前も先輩に誘われてちょっとタバコくわえてみたら、たまたま見られててスゲエ形相で駆け寄ってきてさ、先輩諸共ボコボコにされたんだよな」

「それお前もヤベエって」


 ――コイツら、俺のこと裏でこんな風に思ってやがったのか。


 握り締めた指が掌に痛いほど食い込んでいる。今この胸を去来している感情はなんだろうか。怒りか、悲しみか――羞恥心か?


 さっきの休憩で整った呼吸が徐々に乱れていく。


「なあ、里崎もそう思うよな?」


 ――里崎。


 俺の練習メニューにも必死でついてきた、唯一の同級生。俺の練習を「楽しい」と言ってくれたただ一人のチームメイト。


 アイツなら、きっと。


 そんな淡い期待が脳裏をよぎる。


「――。先輩にも生意気な態度とってたしさ。なんか勘違いして熱血入っててぶっちゃけ寒かったっつうか……しかもあのPK外すとか、情けなさすぎだろ。俺の方が泣きたかったわ」


 それは、里崎の声に間違いなかった。


「めっちゃ言うじゃんお前! 笠井くん泣いちゃうよ~」

「でも実際お前以外誰もそこまで求めてねえよって感じはしたよな。一人だけアツくなっててシラけたわ」

「それな~。てかこの後どうする? まだ3時だけど」

「それなんだけど、俺合コン誘われててさ。空きあるから来る?」

「お、いくいく! 最近彼女にフラれてご無沙汰だから楽しみだわ~」

「おいテメエ抜け駆けすんなや! 俺も混ぜろ!」

「ほんじゃあ女子側にも増員お願いすんべ。てかマジでお前ら一回家帰ってシャワー浴びろよ? クセーから」

「わーってるって」


 ――俺は、ドアにかけた手を力なく下ろした。


 情けないことに、扉の向こうを見る勇気が出なかった。俺は首吊り死体のように項垂うなだれて、なおも部屋の中から聞こえる馬鹿騒ぎを聞いていた。


 涙さえ出なかった。




* * *




「……その日以降、いくら練習しても、試合になるとボールが思うところに飛ばなくなった。ドリブルが下手になった。チームメイトとの連携ができなくなった。――何より、PKが蹴れなくなった。そしてみるみるうちに”エース”の面影は消えてなくなり、あの試合から一か月後、俺は退部届を出した。――誰に促されるでもなく、自主的にな」


 ふう、と、もう一度ため息をついた。


 心臓がバクバクと脈打ち、全身から嫌な汗が噴き出している。真夏なのに、悪寒が身体を走る。


 鷹宮は――顔をくしゃくしゃに歪めていた。


「どうして……今まで言ってくれなかったの……?」


 嗚咽の混じった声で、そう尋ねられる。


「なんで俺がこの話を今まで秘匿してたか、分かるか?」

「それは――ダサい、から、?」

「ちげえよ」


 俺は目を閉じ、そして開いた。


「――お前に……




――――――――――――

ハイキューの影山飛雄、キャプテン翼の葵新伍のエピソードを参考に書きました。

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